岩手で
津波の被害を受けた
小さな出版社があります。
在庫はほとんど流されましたが
一部水に濡れながらも
残っていました。
北海道の
三浦綾子記念文学館は
―敬虔な信仰で
病苦と向き合った方ですね。
それを
「津波の洗礼を受けながら
残った貴重な本」と捉え
館内で売ることにしたそうです。
この出版社は
なんとケセン(気仙)語訳の
聖書で知られているのです。
昨日のビンラディン殺害から
宗教学習が
ますます必要な世の中になったと
言えると思いますが
―寛容になるには
知らねばなりません。
聖書理解を助けてくれる
よい視点だと思います。
随分前のことですが
NHKのこころの時代で
小塩節さんが
ゴート語に訳された
聖書の話をされていたのを聞いて
そう思いました。
小塩さんは
長崎の出身ですから
ケセン語ではないと思うのですが
「天にまします。我らの父よ」を
「おっとう。天にいるんだよね」と
訳されてたのに
共感しました。
神は父親でもあるのですが
原語ATTAは父ちゃんくらいの意味で
fatherのような上品なニュアンスは
ないそうです。
神はグスですが
これも相談相手くらいの意味だそうです。
★地上にも実父がいて
★天上にも父親がいるという
視点ですね。
―父親は2人いるのです。
現実と非現実で! ←陰陽
気軽な相談相手といえば
自分のなかのセルフ
(真の自己)くらいしか
ありませんよね。
―対話は簡単ではありませんが
気安さは他人の比ではありません。
PTSDも重症になると
このあたりがあやしくなりますが
聖書解釈も
日本では
バチカンと違い
日々進化しているようです
津波の洗礼を受けた気仙語の聖書を三浦綾子記念文学館で発売もこころのケア
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