韓国では
狂信的なキリスト教信者であった
58歳のタクシー運転手が
キリストの死を模して
十字架にかかって
―パンツだけを身に付け
頭にはイバラの冠
右わき腹に刺し傷
身体にむちで打たれた跡
手足からは釘が突き出ている。
死んでいるのが
発見されたそうです。
復活祭の4月22-24日ころに
亡くなったのではないかと
推定されていて
自殺なのか他殺なのかは
まだ判明していません。
キリストと違うのは
★自身が見えるように置かれた鏡
★周辺に散乱する
金づちやハンドドリル、ナイフ
十字架の作り方や磔刑のやり方を記した紙
両手には
ドリルで穴が開けられており
出血多量で
死んだ可能性があるようです。
自殺にしても
他殺にしても
支持者との共同作業にしても
【解離】してますね。
残念ですが
キリストは
象徴ですから
―実在ですが
大事なのはその生きざまですから。
その心的現実に向き合わないと
―迫害されながらも
神(自己)に愛される生き方を貫き
人を癒す存在に死した。
キリストを模しても
キリストにはなれないですね。
PTSDの時代
この手の
勘違いも多いので
―「私はイエス」と言うのは
統合失調症と思われてましたが
今は未治療の重症PTSD
モンスター型によくみられます。
それを示すために
なされたのでしょう。
―無意識ですがね。
時代のカナリアです。
痛ましい事件が続発しないよう
PTSD予防と教育が
必要です。
月別アーカイブ: 2011年5月
固有の力と想像力で復興するのが日本のこころのケア
昭和天皇が
戦前に
外国要人と交わした会話を
通訳の外交官が詳細に
記録していたことが
分かりました。
関東大震災の約7年後
復興支援に天皇が感謝し
駐日米大使が
「復興は日本固有の力と
驚くべき想像力によるもの」と
応じています。
天皇は
1930(昭和5)年の
ロンドン海軍軍縮条約締結を
「此上もなく悦ばし」と
評価する場面もあるそうです。
昔から
一貫して
★非暴力の精神で
―PTSDも
非暴力で捉えます。
★固有の力があり
―西洋の心理学とは
異質のものです。
★想像力に長けているのです。
―ポニョやアリエッティ
どらえもんにも明らかです。
『古事記』以来の
独特の
心のケアの伝統を
米国も感じ取ったのでしょう。
この頃は
軍服を着てますが
戦後は着ません。
歴史的身体的に
考え続けます。
こんな国は
他にはありません
焼肉チェーン店えびす社長は躁うつ病ではありません
ゴールデンウイーク中に
★憔悴したり
★逆ギレで
攻撃的に
自己防衛したり
★中森明菜みたいに
搾り出すような
小声になったり
―壊れそうに繊細ですね。
身体を折って歌ってたと思ったら
休業してしまいました。
忙しい社長ですが
極度のストレスによって
こうなっているのですから
躁うつ病ではないのです。
このくらいの
★落ち込みと
★攻撃性を呈している
躁うつ病の方々
―うつ病や
人格障害と診断されている人も
診断名を
見直してください。
パニック障害の人も
この社長みたいな
ストレス原因ないですか?
よーく考える材料にしてくださいね
痩せすぎで不振に終わった浅田真央らの究極のストレス耐性とPTSD
言い訳になるので
口にしなかったようですが
―いろいろつらいですね。
大会直後に
「(減量を)早くスタートしすぎた」と
悔しそうに吐露
いつもより
4、5キロダウンしていたので
パワー不足だったようです。
1、2キロ増えるだけで
重いと感じることもある
とても繊細な身体感覚と
向き合いながらの
ハードな練習と
マスコミ対応の上に
―ボクサー並ですね。
美しさを要求されて
―日本人の場合は
正しさも
謙虚さもですから
尋常ではない
ストレスでしょうが
トラウマがなければ
ある種のヒトビトは
何とか耐えられるんでしょうね。
―摂食障害克服のスケーターも
いましたが。
トラウマがあるかないか
そこが大きな違いですよね。
えびす集団食中毒渦とPTSD
富山、福井両県の
焼き肉チェーン
「焼肉酒家えびす」店舗で
食事をした
男児2人が
腸管出血性大腸菌
「O(オー)111」に感染して死亡した
集団食中毒で
23日に
ユッケを食べて
意識不明の重体になっていた
40歳代女性も
死亡したようです。
会見で
強いストレス反応をみせた
社長が心配です。
―過失はあったと思いますが
PTSDになってもしかたがないと
いうことにはならないのです。
よく間違われる点なので。
この会社は
奇跡的な会社ということで
―「うっそぉ!」というノリから
美談や感心にもっていく
ジャンルですね。
バラエティにも出てたようですね。
―YOU TUBEにありました。
PTSDっぽくて
キレキャラの司会者が
「安モンの肉」と(ウケ狙いでワザと)失言し
出演者が
「安く売る努力をしてるだけで
安モンではないです!」と
盛り上がってました。
そう言えば
解離人格の発言は
後になってみれば
妙な一理があるように
思います。
そして
10年ほど前の
O157事件のときにあったような
PTSD反応は
(般化で似たようなことが引き金になって
調子を崩す)
聞こえてきませんね。
―プレイセラピーをしていて
子どものトイレに付き添ったとき
普通の声かけに
妙な反応をしたので
(まるで私が凄く優しくよい人みたいな)
親面接の担当者に聴くと
家庭内風評被害に
あっていたことがわかったりしたのを
懐かしく思い出しました。
ユッケが問題であると
はっきりしているのもあるでしょうし
震災酔いとか
TVの見過ぎによる不調とか
PTSD反応を
なんとなく学習したからでしょうね。
それとも
フクシマの風評被害に集中しているから
それどころじゃないのでしょうか?
―それなら残念。
少しずつですが
PTSDは身についた知識に
なっているように思います
軍に復帰のウィリアム英王子にみる日本の皇室のこころのケア
先月29日に
キャサリン妃との
結婚式を挙げた
ウィリアム英王子(28)は
英空軍基地に戻り
救助ヘリコプターの
パイロットとしての任務を
再開しました。
週末を
未公表の場所で過ごしたのは
日本的なリセットの法則に
似ていますが
―太極に退行して新生します。 ←無とか空
スサノヲは
前世(父親のトラウマ)に
感応道交して
統合失調症のように暴れ
大人なのに
発達障害のように泣いたあと
自己実現してゆきました
伊達に軍服着てるのでは
ないのですね。
―きれいに装飾されては
いますが。
日本の皇室との
大きな違いはここにあります。
非暴力の存在ですからね。
こころのケアにも
この視点が生きています。
美智子さまや雅子さま
愛子さまが
バッシングされても
いい加減に扱われても
非暴力に徹しておられます。
そろそろ
PTSDと
認めてあげてください。
突発的に2歳の娘をベランダから投げ逮捕されたPTSD解離母親
静岡で
23歳の母親が
2歳の娘を
自宅2階のベランダから投げて
ケガをさせる事件がありました。
離婚後
娘や両親ら7人で
暮らしていて
今までには
虐待の兆候はなかったそうです。
―イキナリ
突発的に起こることも
あるようですね。
殺人未遂で逮捕されて
我に返り
★娘を投げたこと
★娘は人間であることに
気づいたのでしょうね。
―所有物と錯覚することは
普通にありますが
限度を超えると危険です。
世界が
物理的世界でしかなくなる
PTSDの
【解離】は
本当に恐ろしいのです。
―外から見ると虐待ですが
内からみると虐待とは
言いにくいところがあります。
敢えて言うなら
別人格による虐待としか
言いようがないですね。
しかし
予防することはできます。
まずは
娘さんのこころのケアが
必要です。
2歳にもなれば
充分わかりますから。
エステー『消臭力』のCMもこころのケア
震災ストレスで?PTSD解離日経記者駅員暴行逮捕
JR東京駅で
19歳の駅員に
足蹴りしたとして
―社会人になったばかりなのに
ショックでしょうね。
結構標的になりやすいんですよ。
(投影が起こるのです)
こころのケアが必要です。
日本経済新聞社証券部記者(32)が
逮捕されていました。
「悪いことをした。
ついかっとなってしまった」と
供述しているようです。
―我に返ると
常識もあるし
反省もできるのです。
いつもは記事
書いてますし
取材もできるので
発達障害とか躁うつ病では
ないのです。
なんでかっとしたかというと
両替を断られたからです。
こんなことくらいで
【解離】してたら
ダメですが
報道関係の人たちは
ストレスが高くなっているのかも
しれません。
―もちろんその前に
幼少期のトラウマが
あって
ストレスに弱くなっているのかも
しれません。
映画監督の
森達也氏が
今日の朝日新聞に書いてました。
★真実のまま伝えねばならないけど
★真実のまま伝えようとすると
人を傷つけるし
怨みも買うし
バッシングを受けるし
閑職においやられるわけです。
―よーくわかります
そこで自我の弱い人は
行き場のない怒りを
★弱者に向けたり ←他害
★自分に向けたり ←自傷
するわけですね。
記者は証券部じゃないかって?
ビンラディン死亡で
いろいろ動いてます。
経済もこころの動きですから!
津波の洗礼を受けた気仙語の聖書を三浦綾子記念文学館で発売もこころのケア
岩手で
津波の被害を受けた
小さな出版社があります。
在庫はほとんど流されましたが
一部水に濡れながらも
残っていました。
北海道の
三浦綾子記念文学館は
―敬虔な信仰で
病苦と向き合った方ですね。
それを
「津波の洗礼を受けながら
残った貴重な本」と捉え
館内で売ることにしたそうです。
この出版社は
なんとケセン(気仙)語訳の
聖書で知られているのです。
昨日のビンラディン殺害から
宗教学習が
ますます必要な世の中になったと
言えると思いますが
―寛容になるには
知らねばなりません。
聖書理解を助けてくれる
よい視点だと思います。
随分前のことですが
NHKのこころの時代で
小塩節さんが
ゴート語に訳された
聖書の話をされていたのを聞いて
そう思いました。
小塩さんは
長崎の出身ですから
ケセン語ではないと思うのですが
「天にまします。我らの父よ」を
「おっとう。天にいるんだよね」と
訳されてたのに
共感しました。
神は父親でもあるのですが
原語ATTAは父ちゃんくらいの意味で
fatherのような上品なニュアンスは
ないそうです。
神はグスですが
これも相談相手くらいの意味だそうです。
★地上にも実父がいて
★天上にも父親がいるという
視点ですね。
―父親は2人いるのです。
現実と非現実で! ←陰陽
気軽な相談相手といえば
自分のなかのセルフ
(真の自己)くらいしか
ありませんよね。
―対話は簡単ではありませんが
気安さは他人の比ではありません。
PTSDも重症になると
このあたりがあやしくなりますが
聖書解釈も
日本では
バチカンと違い
日々進化しているようです