東京電力福島第1原発事故でPTSDになりそうだった

収束作業の
陣頭指揮を執った
吉田昌郎前所長(57)が
「事故で
一番インパクトがあったのは
3号機の水素爆発
(昨年3月14日)だった」と
振り返り
「自分も含めて
死んでもおかしくない状態だった。
(爆発で)
10人ぐらいは死んだかもしれないと
思った」と
述べました。
死ぬかと思う
驚愕は
PTSDの元
ですよね。
すぐには
語れなくて
あとになって
落ち着いて考えると
出てくる考察です。

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