主訴を訊かなくてもPTSDとわかる箱庭療法

心理療法は
教科書的には
初回に
―初対面で
根掘り葉掘り
相手のことを
聴きます。
社会調査は
ケースワーカーがしますが
 ―児童相談所とか
住所から
家族構成から
年収から
成育歴
病歴
ありとあらゆることを
聴き取ります。
私は
DVシェルターに行き始めてから
だんだん
脱洗脳され
 ―容易に
 二次被害になるんです。
そういうのは
おかしいなと思うように
なりました。
見ず知らずの人に
首根っこつかまれてるみたいでしょ?
言いたくないことまで
言わされて
ストレスも受けると
思います。
これが治療の始まりなんて
おかしすぎるのではないかと。
それで
今は
こちらからは
何も聞きません。
 ―学会ではまず注意されるところです。
 「それは素晴らしいが
 危ないでしょう」と。
名前と
子どもだったら
「何年生?」か「いくつ?」
それくらいで
まず箱庭します。
あとは
信頼関係に応じて
向うから
必要な情報がやってきます。
今日来た
小学生もそうでした。
でも
切り株があって
家の中を表現してあって
カンガルーや
 ―親子
ラクダがいたら
 ―砂漠を行きますね。
トラウマの様相は
だいたいわかります。
トラウマがあるのだから
 ―自己治癒力が働く場所
発達障害ではないです。

象徴が使えてないなんて
見立てをする
発達障害専門家もいますがね。
そのうち
どちらが正しかったか
明らかになるでしょう。

主訴を訊かなくてもPTSDとわかる箱庭療法」への7件のフィードバック

  1. まきりんこ

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    初回面接ですが、自分の時はどうせ聞いてくれないだろうと気が引けて話しづらい内容(成育歴など)を聞いてくれた時は、それだけで癒し効果がありました。
    それとは別に来るに至った理由など、自分が悪いかもしれない、本音を話したら悪く思われるなど、徐々にしか言えないこともありました。
    反応をみてもっと聞くかそれ以上聞かないか察知しできたら一番助かるのかなぁと思いました。
    質問ですが、発達障害は先天的なということでしょうか。
    そうではなくても、いろいろな発達段階で自分がそうだった(そうかな)と思ったことが、発達心理学や他学んでいてたくさんありました。
    社会的言語から自己中心言語、そして内言へとという学んだ内容では、人とコミュニケーションを取ることがまず発達していく上のはじまりの部分にあるのかなとか、それが乏しいと自分の内面が(本の内容にある主体のなさ)育たないのかなとか。
    集団心理療法や1対1の会話で、人前で話し、はじめ相手や周囲を気にして話すところから、やがて自分はどうなんだろうといった自己中心的言語になり、そのうち自分の内面が持ててきたような。
    そういう面に対しての意味で発達障害と言ってしまうのは違うことですか?
    環境やトラウマとかで発達が障害されたという意味でです。
    それが以前からよくわからないところです。
    他では発達段階で象徴機能が使えない(心の理論に至らない?)指さしとか共同注意はあるのかないのか、そもそも人との関わりに関心がないからなくて、人との関わりが発達していく上で重要だからそこから進まないのか…など、学べば学ぶほど疑問が湯水のように湧いてきます。
    まとまりのない内容になりました(--〆)

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  2. 翠雨PTSD心理学研究所

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    >まきりんこさん
    マクドナルドのマニュアルみたいに一律に訊くのが暴力だと書いたのです。問わず語りが自然だと思います。
    環境やトラウマとかで発達が障害されたなら後天的だからPTSDでしょう。明確な違いがあります。どうして今そこが理解できないのか逆に疑問です。
    子どもの指さし行動で言われる象徴は概念的シンボルであり、箱庭療法で象徴が使えないのとは次元が違う話です。これは今学ばれている知識では、まだむつかしい話なのだろうと思います。しかし、象徴が使えないということで発達障害増加の片棒を担いできて、発達障害の何割かが間違いであったと認めるなら、象徴が使えないと言っていたその象徴はとらえ方がおかしかったというのは、理解できると思います。

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  3. まきりんこ

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    先天的か後天的かの違いの意味は解ります。
    私が思ったのは、PTSDであっても、そのことで発達が障害されているということは事実と思っただけです。
    発達障害という言葉でも2種類あってごっちゃになってると思えたのです。
    この本はどちらの意味なのかなと思ったのです。明確に区別なんてつけられるものなのかなという疑問です。

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  4. 翠雨PTSD心理学研究所

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    >まきりんこさん
    PTSDで発達が障害されているのは「発達障害」とは呼ばず、PTSD治療すべきです。昔はそうでした。
    区別がつかないのはその人の限界であって、実際は明確な区別があると思います。トラウマによるものかどうかであり、トラウマによるものなら自己治癒力が働き治るからわかります。

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  5. まきりんこ

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    >翠雨PTSD心理学研究所さん
    何度もすみません。
    では、療育とされている障害のある人達の中にも、例えば重度で言葉が話せないとかのレベルでも、PTSDは含まれますか?
    トラウマ(虐待など)が器質的な取り返しのつかない障害を残すということがあるような気がして…

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  6. 翠雨PTSD心理学研究所

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    >まきりんこさん
    重度とか療育の場にいるとか言葉が話せないとかでは判断できないんです。
    PTSDである場合もあれば、先天的器質的疾患による場合もあるでしょう。
    トラウマでアスペルガーのように見え、薬漬けにされ、器質的障害と劣悪な教育環境に置かれた結果、取り返しがつかないようにみえる子が
    (取り返しはつくと思います)多いというのは何回も書いている通りです。

    返信
  7. まきりんこ

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    >翠雨PTSD心理学研究所さん
    発達凸凹と書いてた本がテキストに使われていて読みましたが、後天的なトラウマのPTSDによる発達障害、という意味合いで発達障害という言葉が使われていることも多く見受けられるような気がして、そういう意味合いなら納得がいくのですが、ごっちゃになっててややこしいです。

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