商売の神様
「えびす様」を祭った
神田明神
(東京都千代田区)には
大勢のビジネスマンらが
初詣に訪れたそうです。
おはらいを受けた
企業数は
なんと
約3000社
平成の世も
神頼み
―頑張る意思表明であり
セルフにお願いしてるだけですがね。
(自分のこころの深層)
人間のこころなんて
ちっとも
科学的じゃないのです。
眠れない時も
適切な
心理療法がないなら
神社に拝みに行く
くらいにした方が
いいんじゃないかな。
なんでも病院で
治してもらおうという
その根性から
治すべきでしょう。
いいお客さんになるのは
自由ですが
見てられないので
月別アーカイブ: 2014年1月
喜多嶋舞(41)長男(16)PTSD予防中
DNA鑑定の結果
父親から
「おまえは息子じゃない」と
非情通告されたそうです。
「99.9%
僕はパパの子ども」
キューブラー・ロスの時代だと
―がんは死刑宣告
がんですと告知されたら
「がんではない」と
否認する人が多かったようですが
―99.9%は完全否認に限りなく近い。
それだけ
ショックが大きかったということです。
子どもにとって
両親が誰であるかというのは
自明の大きな支えで
それが揺らぐのは
魂にとっては
死の宣告です。
否応なしに
普通の子なら考えなくてよい
哲学的難問に巻き込まれて
―崖の上のポニョ状態
PTSD予防することになります。
―今は付き添う専門家があまりいない。
「薬飲んでみる?」
「病院行ってみようか?」という
トンデモ専門家は多いですが。
『借りぐらしのアリエッティ』
両親が離婚しただけで
―ホントは
「だけで」なんて言っちゃいけない。
心臓が悪くなるんですから
人のこころをもっと大事にする
世の中であってほしいですね。
両親には
PTSD的常識がなさすぎだと
思います。
明らかな虐待です。
シュワルツェネッガー家の問題と
似ています。
子どもは
ツイッターで
心情をまっすぐ素直に吐露
世界中の人から
傾聴してもらうしか
ありませんでした。
こういう子が
多いということですね。
―虐待PTSDは意外に多い。
うつ病に見える場合もある。
男児遺体をキャリーバックに入れて出頭したPTSD解離母(23)
新宿区の
無職女は
バッグに遺体を入れ
さいたま市内の知人男性宅を訪れ
「昨年暮れに
赤ちゃんを自宅で出産したが
亡くなった。
今後どうしたらいいか分からない」と相談
知人らに
出頭を勧められたそうです。
親の死体と同居していた人たちも
同じようなことを言います。
確かにショックですが
普通の人間関係や
自我の能力があれば
現実的適応的に
行動します。
それまでに
PTSDを発症
自暴自棄的に
場当たり的刹那的に
生きていたのだと思います。
まずは
予防ですね。
広島の89歳母と息子もPTSD解離焼死
72歳女性PTSD解離ストーカー被害相談の後自宅放火され死亡
米子で
2日未明に
火事があり
女性の焼死体がみつかりましたが
知り合いの男につきまとわれ
警察に9回も相談
県警がパトロール強化し
2度ほど
警告もしたようです。
夫が
介護施設に入所しており
20万円入りの手提げかばんが
焼け跡にあったので
金銭目的ではなく
トーマス型の
ストーカーかもしれないですね。
―仲良くしてくれないなら
殺してしまう。
2010年には
熊本で82歳の男による
ストーカー事件が記録されています。
年齢は関係ないです。
『かぐや姫の物語』PTSDを昇華するには「馬のまえに牛」
朝日新聞の天声人語に
夏目漱石の言葉が
書かれています。
「吾々は
とかく馬になりたがるが
牛には
中々なり切れないです」
―漢字の使い方が独特ですが
意味深いです。
芥川龍之介ら
才ある門弟に
あせってはいけない
根気が大事と
励ましたようです。
天を駆けるためには
牛車に乗って
たびたび
こころの自然に
立ち返る必要があります。
―楽しい作業ではないですね。
牛を追いかけ
自分も
追いかけていたものも消えて
初めて
駆ける準備が完了です。
―ただし単なる準備
輪廻転生の図
天を駆ける寸前でも
天にいても
間違うと
いつでも
常識にまみれた苦界に
―PTSD発症
さらにその先の地獄に
―心療内科で薬漬け
転落です。
鬼のような
トラウマが
―輪廻を抱えている
全てを牛耳っています。
『かぐや姫の物語』ラストはPTSD克服のかたち【昇華】
『かぐや姫の物語』PTSD的常識の超え方
好きなように世界をつくる様子は
箱庭療法とよく似ています。
最初は
記憶に浸って
少しは癒され
その時だけ
幸福な気分になれますが
―イメージを媒介として
媼に共感してもらえたりします。
言葉で語るより
五感全体が呼び覚まされ
そこに生きている感じがします。
そうしていても
お呼びじゃない輩ばかり
厚かましく押し寄せ
勝手に
無茶をして
死んでしまったりするので
こころが傷つき
―罪悪感を背負わされる。
これでは根本解決にならないことを
自覚します。
―退行して
記憶を取り戻し
そこに浸るのではなく
気づいてゆくのが
心理療法
絵合わせなどして
遊んでいても
凡夫の失敬な声に傷つき
壊して
その場から
―象徴的な意味での
「場」
走り去ります。
義憤のような
こういう感情は大事ですね。
一度こういうこころの作業をしないと
常にヒステリー
(PTSDの旧名)で
感情爆発の
猪突猛進
自分も人も傷つけ
悪化してゆきます。
場合によっては
犯罪ですね。
『かぐや姫の物語』PTSD治療を導く自己(セルフ)の威力
ユング心理学だと
セルフ
仏教なら
真の自己ですが
圧倒的なパワーがあり
ユング心理学では
どちらかというと
畏怖の対象で
PTSD治療するなと
言う人がいたくらいです。
―特にユング派精神科医
治療せずにどうするんですかね。
『かぐや姫の物語』では
このあたりによく表れていると思います。
自我が
今の常識世界にとどまりたいと
願っても
―よく見たら
翁も捨丸もちょっと自己チューなところがあり
このまま一緒に幸せになれそうにはない。
抵抗できず
引き寄せられ
邪魔しようとする凡夫たちも
身動き取れなくなります。
そのパワーは
個性化の過程で
だんだん強まるわけで
例えば
感情を強くするように
―嫌なものは嫌と
きちっと自覚する。
夢の中でも
導いてくれたりもするわけです。
きちんと絶望すれば
―普通は絶望しないように
防衛しますね。
根本的な間違いです。
見守ってくれたりもしています。
誰のこころのなかにもある
自然治癒力であり
成長の秘密です。