月別アーカイブ: 2014年2月

防犯カバーつけたら自転車ごと強奪するだけのPTSD解離犯罪

大阪の
守口市で
85歳の女性が
郵便局で
85万円下ろし
自転車の前かごに入れて
帰宅しようしたところ
40代くらいの男に
体当たりされ
自転車ごと強奪されました。
目的のためには何でもしますから
こうなってくるのでしょう。
肌身離さずというのがよいとも
言いますが
また手口を変えてくるだけで
 ―専門家と違い
 研究熱心だから
より危険にさらされるのでしょう。
PTSD予防教育しか
ないと思います。
国と同じで
暴力では何も解決しないのです。
PTSD問題を通して
非暴力と正義を学びましょう。

アルツハイマー研究告発の元教授も人格否定されPTSD予防中

杜撰な体制が明るみに出た
国家的プロジェクト
J-ADNIの
主要メンバーの
東大元教授ですが
内部告発すると
人間関係のもつれから
告発に踏み切ったと
厚労省や学界で
うわさされるようになったそうです。
このままでは
隠ぺいされてしまい
国際的信用を失うから
内部告発しているのだと
憤っておられます。

私の所属する学界でも
同じことが起きています。
学会発表しても
内容と関係ない
バッシングや嫌がらせは
たくさん受けました。
「象徴が使えない
発達障害の子が
増えている」なんて愚説や

PTSDを
自宅警備員と呼んで
遊んでいるような
現状は
その発言の是非にとどまらず
 ―大間違いですが
学界全体の信用失墜につながる
大愚行なのです。
何を言われても
告発しつづけようと
覚悟しました。

『明日ママ』より暴力的な日テレバラエティ番組PTSD予防教育に悪すぎ

「絶対に笑ってはいけない
地球防衛軍24時!」が
BPO
(放送倫理・番組向上機構)での
審議対象になりました。
他局ですが
東京メトロポリタンTVと
サンTVが放送した
アニメ
「最近
妹のようすが
ちょっとおかしいんですけど」も
対象になっています。
PTSD予防教育というものが
必要で
映像は役に立つ
重要な教材の1つですが
何が良質な教材になり
何が教育に悪いのか
議論する段階にきています。

「産めない女性を救いたい」小保方晴子さんにもPTSDドラマ『明日ママ』的あだ名アリ

「女王」だそうです。
かわいくて
やさしく
頼りになる
女王ですね。
そう言えば
『教室の女王』は
最初
雪の女王みたいに
教室を震撼させ
凍り付かせましたが
ドラマが展開
教室にいるみなの魂が
成長し
解散になりました。
象徴のもつ
エネルギーの実際を
示したものです。
なにか
越えがたい難しい課題があるとき
あだ名がつくんですよ。

『崖の上のポニョ』もそうです。
父親に拉致監禁され
絶望してましたが
 ―本名ブリュンヒルデ
たまたま出会った
5歳の宗介に
ポニョという
 ―禅の公案
 『如人千尺懸崖上樹』
 絶体絶命の恐ろしい場所で
 哲学すしている人
あだ名をつけられ
虐待環境から逃げ出し
自己実現しました。
リケジョがもっと生きやすくなるには
どうしたらいいかと考えるのは
慈悲のこころですね。
普通は自分のことで精いっぱいでしょう。
ご自身も
研究者生命脅かされるなかで
立派な女性です。

猫を追い払う人に殺意をもったPTSD解離男(73)『明日ママ』白熱論争は普遍的

埼玉に住む
男性(45)は
普段から猫に餌付けをしていて
73歳男性が
ベランダに来た猫を追い払うのを見て
「猫をそんな風に扱うな」と怒り
口論になりました。
すると
男は
柳刃包丁で男性に切りつけました。
「相手を殺すつもりだった」
猫を巡って
殺意を抱くような論争になるのは
「代理戦争」です。
人格障害的な
PTSD解離人格をめぐっても
よく起こることです。
 ―好きな人にはデレデレ
 嫌いな人には攻撃的だから
 主人格がつかめず
 代理戦争をする二人が
 お互いの人格を攻撃し出します。
PTSDは
猫的な人が多いし
実際猫を飼っていたりしますね。
捨てられた猫なるものをめぐって
投影合戦したのでしょう。
 ―餌付けをする方は
 野良猫への思いが深く
 追い払う方は
 それに嫉妬したとか
猫は
『この人たち
重いなぁ~』と
伸びをしているかもしれません。
『明日ママ』論争も
同じだと思います。

監禁から解放された小3女児にPTSD予防強調する校長

札幌で行方不明だった
小学3年生の女の子は
6日ぶりに保護されました。
逮捕された男(26)は
駐車場でいきなり声をかけ
粘着テープで目と口をふさぎ
全身をぐるぐる巻きにするなど
大胆な犯行ですが
逮捕されたら
青菜に塩状態で
「事実と違います」としか言えず
「何が違うのか?」という
簡単な問いにも
答えられないなど
やりとりにかみ合わない点が
あるそうです。
ストレス障害ですから
こんなものでしょう。
『明日ママ』見て
少女の話し相手がいたらなぁと
思ったのかもしれないですね。

「明日ママごっこしたかっただけなのに…」という
ことかもしれません。
PTSDを発症しても
よいスクールカウンセラーや
セラピストに会えなかったのでしょう。
一方で
女児が通う小学校の校長は
 「(女児の)心のケアを第一に考え
一日も早く
通常の学校生活を送られるように
学校として
全力をあげてケアをしたい」
やけに
ケアを強調してます。
スクールカウンセラーに頼むのかな。
 ―心療内科に送るのが仕事と
 本気で思ってる割合が
 驚くほど高いですから
 ちょっと心配
 

恵方巻きで陰陽五行説的PTSD予防

恵方を向いて
 ―今年は東北東やや右らしい。
大人も子どもも
ひとりにつき1本を
包丁を入れずに
黙って食べます。
七福神にあやかり
7種類の具が入った
太巻きが望ましいとか
鬼の金棒に見立て
それを退治する意味があるらしいとか
いろいろ言われています。

比較的新しい風習みたいですが
便乗商法で
ロールケーキとか
新種も出ています。
新規巻き返しとか言いますが
巻く事が大事なのでしょう。
豆を撒くとかけているという
説もあるようです。
手放すのと巻き込むのとで
陰陽ですね。
よい方向を向いて
つべこべ言わず
金棒のような(力強いもの)
五行(世界)のような
ものを
自分のなかに取り入れるという
呪術的意味があるのではないかな。
節目節目に行事があり
こころを整えることは大事だと
思います。
文化的に
PTSD予防教育がある国です。

PTSD治療法内観療法的でもある『明日ママ』ポストは『崖の上のポニョ』的あだ名

日本人が考案した
治療法に
内観療法もあります。
 ―これは浄土真宗の
 修行法を
 素人向けに優しくしたもの
 (易しくというよりは優しい)
行うと
いのちのリレーを
感じることができて
有難くて
涙がボロボロ止まらなくなるそうです。
 ―社会から疎外されているという
 確信犯の
 非行少年や犯罪者によくなされる。
そうなると
PTSDなんかも
吹き飛ぶんです。
 ―ツボにはまればということであって
 うまくいくには
 工夫が必要ですが。
慈恵病院は
こうのとりのゆりかごで
いのちをつないでいます。
捨てたと言えば毒親ですが
見殺しにしないで
産んで
遠方から
抱っこして
運んできたんです。
 ―できるだけのことをしています。
それを善意ある
里親につなぐんです。
里親が適切な里親になるために
 ―パチのお試しシーン参照
いろんな人が
教育したり
税金を納めたりしていて
 ―所得に応じて
見えない連携があります。
その網の上で
活かされているいのちを
実感できたら
「ポスト」は
ただのポストで
象徴としての意味を失います。
 ―苦痛を通して学びがあれば
 もうヒリヒリしないし
 気にならない。
「ポストと言うな」というのは
そんな貴重な経験の機会を奪うことで
親切ごかしです。
この子にはそんなことは
できないと
見くびった態度です。
そこにはラポールは
ありません。
PTSD否認の専門家の言いぐさです。
自己実現する人を救う網

 ―ポニョ母は
 宗介がポニョを大事にしたら
 ポニョは魔法を無くすと
 言いました。
 
 本名はブリュンヒルデ
 宗介がポニョとつけました。
 如人千尺懸崖上樹という
 禅の公案です。

『明日ママ』はPTSD治療法森田療法的禅風

森田正馬が
 ―今年らしいお名前
考案した
神経症の治療法です。
眠れないとか
どもるとか
些細な身体症状を気にしすぎて
拗らせる
心気症とかは
小賢しいから
ダメなわけで
症状をありのままに受け入れるようにしたら
自然治癒力が作動して
嫌でも治るという
考え方です。
上から目線で
そんな説得しても
反感かうだけだから
そう心から思えるような
方法論があるわけです。
 ―入院して
 煩悩に真っ向から向かう。
 狂いそうになっても
 薬による緩和はなし。

『明日ママ』の子どもたちは
痛々しいあだ名を
 ―ポスト・ドンキ・オツボネ
 ダイフク・ロッカー・パチ
ありのままに受容し
これから
変容してゆくのでしょう。
ポストが
新入りドンキに言ってました。
 ―まだドンキを否定している時
「可哀想だと思った?
可哀想だと思う方が
可哀想だよ」

『明日ママ』中止を求める
大人は可哀想な人たちなんです。

小保方晴子さんら「リケジョ」と『明日ママ』虐待PTSDの象徴「ポスト」

報道が過熱しているそうですが
プライバシーの詮索や
旧態依然とした
「女性」であることを
ことさら強調した
紋切り型の報道が
問題視され
「リケジョ」という言葉にも
批判が出ているそうです。
その言葉自体に
「悪意」があるとかないとか
差別しようという意図で出されたのか
応援するために生まれた言葉なのかとか
正しく報道されているかどうかとか
 ―「男性目線」
  「オヤジ目線」
  「女性差別的」

限りなく
『明日ママ』論議に近づいています。
「ポスト」だって
言葉には罪はないわけで

登場人物たちは
貶めて
イジメてやろうと思って
使ってるわけでは
ないですよね。
 ―トラウマエピソードを
 ありのままに表現
 受容して
 そこからスタートするのは
 ヒリヒリすることではありますが。
 
見た人が
自分の「ポスト」観を
多大に投影するから
 ―こころの専門家は
 直視しがたい現実だから
 (対応できていない)
 ネガティブな投影をする。
議論が白熱するのでしょう。