ベトナム帰還兵ランボーが
(トラウマを抱えて帰還したのに
配慮されるどころか
社会から阻害されている)
たまたま街を訪れた
流れ者というだけで
保安官に排除されそうになり
反抗すると
浮浪罪とサバイバルナイフ所持で逮捕され
取調室に入れられて
ベトナム時代に囚われの身になった記憶
拷問じみた嫌がらせをされ
拷問された記憶の
フラッシュバックが起こり
耐えきれずに
解離して
山中へと逃走するところから
物語が始まります。
ハーマンは
「一人だけで
衝動的行為に浸りきって
他の者と連携しようとしなかった人たち」は
予後がよくないと
書いています。
大変な時期に
「怒りに身を任させないこと」
「連携すること」は
容易なことではありませんが
それを保とうとすることは
とても大事なことだと思います。
PTSD発症リスクということで、こちらに書きます。
アメブロさんのリブログ記事
『”ゴミの分別とはなんだったのか。日本人が騙されていた不都合な真実”』
http://ameblo.jp/harineko-mama/entry-12240320320.html#c12908461663
にコメント No. 1. 「そういう問題ではないでしょう。」
が投稿できました。アメブロさん、ありがとうございます。
コメント内容:
分別しても活かしきれないケースが多々あることを「失敗学」で研究して、
何をどのように分別するかを自治体ごとに検討してこそ「技術者」でしょう。
そういう地味な仕事をせず、「分別は全部、無駄だったのではないか?」と煽るのは、他者にPTSD発症リスクを負わせるばかりという意味で「反社会的」と言えます。
今は燃やして減容を進めているプラスチックゴミも、燃やさない減容が焼却よりも大気を汚さないことを忘れてはなりません。そこそこ放射能汚染がある東京では、清掃工場の焼却炉風下では、血液検査で好中球の減少が観察されると三田医師が指摘しています。焼却炉のフィルターは、言われているほどの性能がないということでしょう。
どうも、お邪魔しました。
あ* 2017-01-22 04:27:48
===コメント内容おわり===
一方、以下のコメントを投稿したら、いずれも承認待ちにならず即時に蒸発しました。
コメントタイトル:
創造性、知的作業、記憶の風化を許さない社会(1/2)
コメント内容:
そもそも、創造性は無意識から湧いて出るものなので、意識表層でなされる知的作業とは別の話です。無意識から湧いて出たものに「受肉」=“Gestalt”させると、表現になりますが、その表現が他者に伝わるようにするには、意識レベルの「知的作業」(=“fine tuning”)が必要です。
ことの
(1)核心から外れていて修正不能なケース、
(2)核心を外してはいなくても微妙にずれているだけゆえに修正可能というケース、
(3)核心にどんぴしゃりというケース
…いろいろです。研究は、やってみなければ分からないところがあるというだけのことですね。
神田橋さんのご高説=仮説は、ことの核心から外れていて修正不能なケースでした。しかし、このことをご本人は理解できないようで「老害」を流し続けて人生を終わりそうです。痛ましいことです。
細部について高速でロジカルな処理をする能力があると、世間で流通している認知機能の検査では、好成績をあげられると思います。すなわち、トレーニングを積んだ若い人は、車の運転で子どもの飛び出しに対してブレーキを踏む反射が早いというのと似たような話であり、そういう能力は、加齢とともに低下していきます。
そのことと、無意識に埋め込まれたトラウマが暴れて車の運転で解離逆走をすることがあるなどの問題(←PTSD現象)は、直接には何の関係もないことです。ところが、逆走老人は、認知症扱いにされてしまいます。
「うつ病」とされて治療中に「認知症」が出てきたとされてから転医して、実は、晩発性PTSDだったという話がありました。治って、めでたし、めでたしです。
http://bit.ly/PTSDinLaterLife
(続く)
コメントタイトル:
創造性、知的作業、記憶の風化を許さない社会(2/2)
(続き)
コメント内容:
以上のような話と、
先生が記事にお書きの
「老害をばら撒いている「お偉い」先生方」は、また別の話です。
「お偉い」先生がたは、(本当に偉い先生とは違って)他者の人格無視をなさるので「老害」をばら撒いてしまいます。
小川岩雄教授は、「認知症」様におなりで、定年退職間際は、講義中に同じ話を何度もなさり、溝が壊れたレコードのようになってしまい、学生の私語が増え、あるとき、先生は、学生をどやしつけたそうです。そういうことがあると「老害」と言われてしまいます。しかし、私が話を伺うときは「先生、その話は、もう伺いました。次へ行きましょう」とアサーティブに申し上げますので、実害はありませんでした。先生は、広島原爆入市被ばく者のサバイバーズギルトで晩発性PTSDだったのではないかと後になって思いました。
社会にPTSDが蔓延し続けてしまうと、果てしないモグラ叩き状態になってしまい、社会の内部崩壊が進んでしまいます。そこで、記憶の風化を許さない社会にするように、芸術運動を展開することがポイントになるでしょう。
例えば、
http://bit.ly/USAbused
をモデルにして原爆遺児だった少女像を建立するなど。
既に「老害をばら撒いている「お偉い」先生」は、他者の人格無視をやめることができるように、PTSD治療を受けて認知機能の歪みが治れば、「老害」などと言われず、晩節を汚すことなく平穏死を迎えられることでしょう。
なお、他者の人格無視をやめることができない精神科医や心理職の多数派は(年齢とは無関係に)社会にとって害ですから「老害」ではありません。また、教室の独裁者と化した先生は、社会にとって害です。
創造性を潰さず、知的作業を進めるだけの教育を進め、記憶の風化を許さない社会だけがPTSD現象の嵐のなかで内部崩壊をせずにサバイバーを育てられると言えます。この辺りは、PTSD現象学を進めれば世界で広く共有できるでしょう。個別科学としては社会心理学のテーマになるのではないかと思われます。ツイッターで母熊アイコンをお使いの社会学者女史がPTSDの視座をお持ちになることを期待します。まだ定年退職まで年数がありそうですから。
どうも、お邪魔しました。
===コメント内容おわり===
こうしたことが起きるのは、アメブロさんは、
PTSD発症リスクという概念を理解していないからではないかと推察します。
ダジャレ研究会を開きますと、ランボー=乱暴だと、PTSD発症リスクになるのは自明ですね。
「~は得策でない」という言葉をよく耳にしますが、合理主義を追求しすぎて、「失敗させない」風潮はつまらないです。
スポイルという名の人格無視ですね。
老害に早く気がつかないと、最後の審判が大変そうです。
認知症みたいになるのでしょうかね。
ダジャレ研究会もまた再開いたしましょう♪