保護された
朝霞市の少女(15)は
ベランダが
このような状態なのに
(目の前は千葉大)
逃げたり
助けを呼んだりできなかった理由について
「お前は両親に捨てられた」などと言われて
心理的に圧迫され
「抵抗したら
殺されてしまうかもしれないと思った」と
話しているそうです。
やはり
死の恐怖を利用していました。
ネットストーカーである
スクールカウンセラーidthatidも
自分の知り合いの弁護士が関わった
(本人の主観でしょうが
弁護士さんにとっては
名誉毀損であり業務妨害でしょう)
ソフトバンクの裁判で
私に関する
都合の悪い証拠があがっているかのような
デタラメなウソを書き
(大きなウソはバレにくいとヒットラー)
私に関する社会的評価を操作しながら
私の周辺にいる人たちを
威嚇し続けています。
加害行為のためには
Researchmapも悪用
(ストーカーのためにあるのではありません)
とおいという名前をつかって
ボーダーのはにわを煽っては
裏切り
まるで
演技性人格障害のようですが
被害者を
憂鬱にさせ
SOS団も潰して
PTSD発症リスクを形成
気力を失わせるという
(遠隔操作で
人を廃人にできる)
非道な行動ができるのは
解離により
良心というものが
欠落しているからなのです。
「良心の解離」とは如何なる現象であるのか?
それを端的に体現してくださっているのが香山リカ氏なのですが、
世間様の多数派は「見れども見ず」なのです。私は、物心ついたときから
“visible” and “invisible” について父祖から現象学的なトレーニングを受けておりますので、“in Darkness visible” ということがトリヴィアルなこととして理解できますが、それは一般的には理解されないことのようです。私の父方の祖父が昭和天皇陛下と何を具体的に話したのか、私は知る由もありませんが、“in Darkness visible” ということがトリヴィアルであることがポイントではないかと思います。
どこかで「象徴」的なエピソードを書いていただいたように記憶しています。
あのお話は「おむすびころりん」のよいおじいさんと悪いおじいさんの話に繋がるのではと、今ふと思いました。