岩手県北上市を走っていた
東北新幹線に
男性が飛び込み
乗客400人以上が
5時間半にわたって
車内に閉じ込められました。
一即多 多即一 ですね。
日頃は
人に迷惑をかけないようにと
萎縮する日本人が
最期には
反動でこの方法を選ばせられてしまいます。
お互いさまと理解して
黙っているのも日本人的ですが
そろそろ
PTSD予防教育をいたしましょう。
岩手県北上市を走っていた
東北新幹線に
男性が飛び込み
乗客400人以上が
5時間半にわたって
車内に閉じ込められました。
一即多 多即一 ですね。
日頃は
人に迷惑をかけないようにと
萎縮する日本人が
最期には
反動でこの方法を選ばせられてしまいます。
お互いさまと理解して
黙っているのも日本人的ですが
そろそろ
PTSD予防教育をいたしましょう。
翠雨先生の記事( http://bit.ly/1QVm0Tl )を以前、拝読したとき、フランス人の感覚では、フランス語の “le suicide”=ラテン語の “suīcīdium” は「自分を殺すこと」なので、他人を巻き込むケースには適用しない表現なのだろうと私は了解しました。日本でいう「無理心中」現象も、近代的おフランス感覚ですと、「殺人」犯罪と「自殺」2つの独立した現象の線形的な重ね合わせという認識なのでしょう。しかし、そういう認識ですと、主客未分化、主客融合、主客がどろどろ( http://bit.ly/1Tw0nL1 )、主客のない無我の境地( http://bit.ly/1SVMABy )=太極すなわち渾沌で「どうしていいかわからない」状態から秩序のある “pensée”(思考? 瞑想?)が生成される現象( http://bit.ly/1s4miDj )を捉えることはできませんね。この辺の話は、ドイツ人はじめゲルマン系の人のほうが通じる人が多いかも知れません。個人の線形重ね合わせによって集団を形成しても、集団現象は理解できない非線形問題ということです。その非線形性の根源がおそらく集合的無意識なのだろうと私個人は想像しています。
「日頃は
人に迷惑をかけないようにと
萎縮」してきたタイプの人が無意識に振り回された結果、解離して、
最期には、人の迷惑を顧みないというよりも、人に迷惑をかけることを通じて、
PTSD否認によって現代社会が暴走し続ける現状を止める「人柱」になろうとするのだと思いました。
そういうわけで、そうした「人柱」を、これ以上、立てないようにPTSD予防学習が大事だと思う次第です。
まずは、放射能汚染時代ゆえ、管理被曝業務は、管理売春と同様に命を削るという点でPTSD発症リスクである事実を社会で共有し、これ以上、理系人の人格権と生存権の蹂躙をして済ませる阿漕は、やめるべきです。「アスペ」は理系人の人格権を無視した文系人がでっち上げた妄想でしょう。
「殺人」と「自殺」を別々に捉えてから重なっているとみる見方からすれば、なぜ1つに見るのか不思議なのでしょうね。
もう瞬間的にものの見方が違っていることを理解するよい例として使えそうです。
「人柱」になろうとしているという発想は、予防に新しいヒントを与えてくれているように思いました。
「人柱」というと日本独特な響きがありますが、
“human sacrifice”(人身御供)というと世界中に見られる人類レベルでの因習です。
アナトール・ル=ブラース(著)、後平澪子(訳)『ブルターニュ 死の伝承』( http://bit.ly/24CSYFj )を読んでも、そうでした。
要するに、人類は、どこでも犠牲から学ぶ面もありつつ、PTSDに翻弄されてきたと言えそうです。
ちょっと見てみましたが、興味深いですね。
「犠牲」の話題まではまだたどり着けていないのですが、確かに人類レベルの問題だと思いました。
いろんな人からのお話を採集するのは私の仕事と似ていますが、口をつぐんでいた人たちが熱っぽく語り始めた不思議なお話であり、結局は文化(ケルト)の問題に集約されていくのは普遍的な因習です。
ハーンの『怪談』よりはちょうど今日テーマにした『遠野物語』みたいだと思いました。
再読していて気づきました。
『北上夜曲』です。
僕は生きるぞ
生きるんだ
君の想い出
胸に秘め
思い出すのは
思い出すのは
◯◯河原の月の夜
…というふうに替え歌にすれば、
死別でも離別でも[PTSD予防]になる良い歌です。
https://franoma.info/cohesionとcollusion-法治主義と立憲主義
弓場清孝さんは、苦学して上京され、[一緒]懸命に働いてお子さまも生まれたけど、奥さまが癌になって故郷に帰ることになり…という話を伺っているので、
弓場清孝さんのブログを拝読すると、『北上夜曲』が脳内で自動再生…。
僕は生きるぞ
生きるんだ
君の想い出
胸に秘め
…という部分が[省略]されているのでした。
何故でしょう⁉️
何か[偏見]があるのでしょうね。
私事でアレですが、最初の結婚をした相手は、初恋の人からのプレゼントを隠していたので、謎、隠す?
悲恋に終わっても
僕は生きるぞ
生きるんだ
君の想い出
胸に秘め
…というのがキモで、《君の想い出》も《歴史的身体》を形成します。
民音が “《なかったことにする》ストラテジー” を進めるようになったのは、一体、いつからでしょう?
原発をどんどん建設して、放射性廃棄物の《海洋投棄》つまり何でもかんでも「水に流す」ようになったのとシンクロナイズしていませんか?
それで YouTube を探すと、確かに無いのでした。
[証拠隠滅]がお家芸の[安倍自公]です。そんなことを[伝統]にするのは、芸がなさすぎて困ります。
https://bit.ly/PTSDaffectingExcretion
そして
https://bit.ly/ToiletB
聴いてみました。
軍歌が大流行りの戦時中に生まれた曲で、戦後もたくさんの人がカバーされてますね。
「瞳」から、その「キモ」に至る「回想」を(今の感覚からすると驚くほど)悠長に歌い上げるところが、PTSD哲学的だと私も感じました。
悠長なところは歌舞伎の世界も似ていて(幽玄と言うのでしょうが)、そういう文化的なものが合理化の名のもとにそぎ落とされて、今の時代のこころの貧困(人間もネズミも同じ心理学で充分@得て公🐒心理職の台頭)があるような気がします。
考えてみれば、人間はみな乞食(生活労働者)なのですよね。
そして《歴史的身体》編『ベニスの商人』みたいなこともあり、実際はヤコブの図のようにクリアカットなものでもなく、どこまでも矛盾のなかに生きる人類なのだと、つくづく思います。
そういうことを無視して何でも水に流そうとする芸のなさを露呈させられるのも、河原乞食の呪い(文化をないがしろにしたPTSDの負の連鎖)でしょう。
究極の[排泄障害]で急逝された谷村新司さん…
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12825933292.html
兄の前妻は、青い芝生の
アメリカンhouseが
アメリカン・ドリームで…
見事なスギナの森を[根こそぎ]にするため
ヤバい除草剤を使い…
新築祝いに呼ばれたけど…私は下痢しました。
姪は、それから[アレルギー体質]になって
猫じゃらしは、穂が出たら全部、切ってくれと言われ
言われた通りにしました。猫🐈さまたちは草ぼうぼうのほうが❣️好き❣️だったケド。
アメリカン・ドリームって一体、何でしょうね。
もんたさんとか、急死が相次ぎ驚くばかりです。
本当の死因は(ご家族の忖度と記事に明記)一般には不明ながら、司令塔(大腸)をほとんど失ったとすれば、一体どんな治療を受けたのかと素朴な疑問を持ちます。