午前2時37分ごろ
那覇市泊の住宅街で
「ベンチの上に赤ちゃんが置かれている」との
110番通報があり
駆け付けた警察官が
ベンチの上に横たわっていた
生後まもない男の子を保護しました。
『明日ママがいない』を
放映するなという論争がありましたが
置き去りにされる子どもの現実は
もっと大変です。
(少なくともPTSD否認薬漬けの片棒をかつぐような
専門家は出てきませんでした)
悪用も多いそうですが
赤ちゃんポストは必要です。
不必要だと言える社会にするには
いのちを大事にする
PTSD予防教育が必要でしょう。
SNSでのゴロツキコメントに関しても
認識が広まってきましたね。
後になってわかることがあります。
私も、あちこちで連投していますが…
http://blog.goo.ne.jp/ideclinic-kobe/e/fc9e3f427e33037dc232d642126d4e76
http://blog.goo.ne.jp/ideclinic-kobe/e/af74c1dcc67ba2b06bcdddb4bc076da5
へのコメントや、
http://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/f2c41a47f5fb5e712d51313077030134
へのコメント、
翠雨先生のブログへのコメントですね。
しかし、その原動力は
「『許せない』が動機 」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG27HD8_Y6A620C1CR0000/
だったりはしませんね。何ですか、その
「『許せない』が動機 」って、要するに行為者が
自我肥大を起こしているだけではありませんか?
(1)「『許せない』が動機 」で因縁をつけるのは、
いわゆる「ゴロツキ」コメントであり、
(2)「『許せない』が動機 」で攻撃対象へのバッシングを煽るのであれば、それはリンチ=私刑をするのと同じことであり、
宜しくありません。
社会貢献だと思いますよ♪
自我肥大を起こしたタイプが危険なので、「許せない」と息巻かれた場合は、SNS連続送信同様、気をつけたほうがよいと思います。
実によろしくないタイプです。
私の場合は、コメント欄でやり取りをしていて
「炎上」することは稀です。
思い出すのは、
http://ameblo.jp/repenter/
このブロガーさまとのやり取りそのものには問題がありませんでしたが、
コメントなさる様々な御仁がおわしましたので、
話が追えなくなることがあって放置しました。多分、逐一、話を追えば、何かコメントできたかも知れませんが、そこまでして、何かコメントする気力がないのですね。「承認欲求」があるわけでもないので、参加動機もありません。私は、普通の勤労世帯で、配偶者の具合が悪くて無収入だったため、世帯年収は高くありませんでしたが、必要に応じて産業翻訳などをやっていました。
ご紹介の記事では、
「世帯年収が高いと、炎上への参加率が上がった」
とあり、「承認欲求」の高さゆえに炎上への参加率が高い人は、結果的に世帯年収が高いのかも知れないと思いました。
尾木ママ先生の記事
http://ameblo.jp/oginaoki/entry-12132908964.html#cbox
でコメント No. 1 に
「発達障害の子供には
物とかでご褒美をあげる
トークンエコノミーが
有効な場合があります」
とあり、「発達障害」とは親や教員が思いどおりにしにくいケースに対するラベリングであることが伺えるコメントですね。「子どもは飼い馴らす」ことにした第一次アベ内閣による教育基本法の骨抜きから「特別支援教育」=子どもの内面や人格を無視して制圧し、教育操作や心理操作を駆使する技法であることが推察できますね。
それでは、悪気がなくても、お子さまは、まさしく「我とそれ」の「それ」扱いになっており、PTSD発症リスクが高い人的環境に置かれることになります。
女性が母親になった際も、
自分の内面の自由を満喫すれば問題ありませんが、
そうした内部空間を持たない人の場合には、外面において…つまり他者を自我の思いどおりにしようという傾向が出るのかも知れませんね。母親の「威厳」( http://bit.ly/28Z1tmd )で、ご自分のお子さまを思いどおりにしたいということです。
そういうことですと、悪気がなくても、初めから、お子さまは「我とそれ」の「それ」扱いになっていますね。
他者を自我の思いどおりにしようという傾向がものすごい
idthatidさまのような心理職は、
スクールカウンセラーの「威厳」( http://bit.ly/28Z1tmd )で、
教育現場を制圧なさってきたのかも知れません。
もし、そうだとすると、
翠雨先生を制圧しようと
「ゴロツキ」コメントで乱入
→ サイバーストーカー化
→ 周り中の人を濫訴すると恫喝
…という流れになったことも理解できますね。
炎上させないというのは大事な作法だと思います。
禅でも相手に「不調法」させないということは配慮されており、それを踏襲する日本文化におけるおもてなしにおいても同じことです。
しかし、そこを更に越えようとするアウトロー的不届き者に関しては、地球上どの文化でも容赦はされません。
精神分析でも「思い上がり」は禅風に恫喝するのが親切というものです。
サイバーストーカーの一味『夢見るはにわ』らはそのあたりを勘違いしていますね。
そのあたり、まとめて世に問う予定です✨