2014年9月に
覚せい剤取締法違反罪で
有罪判決を受けた
ASKA(58)さんが
1ヶ月限定の
Hatenaブログを開設されました。
盗聴被害を訴えたことが
覚醒剤の後遺症と判断され
「医療保護入院」させられてしまい
こういうのでもなく
「最初の10日間は
部屋に鍵がかけられ
自由を奪われました。
何もやることがないというのは本当につらい」と
振り返られています。
森田療法ですかね。
「3カ月を過ぎた頃
僕が正常であると確信したある弁護士ら」に救出され
転院先の九州の病院で
「病気ではない」と診断されたとのことで
精神科が得意の誤診と監禁をしたようです。
サイバー攻撃や
それをするストーカーの恐ろしさについて
専門家はあまりに無知ですからね。
表現することや当事者研究が
PTSD心理学研究の命です。
それを素材としないレッテル貼りは何も生み出しません。
何が正しいのかは
後からわかるものです。
「統合失調」状態もPTSDのバリエーションということで、こちらに書きます。
(1)現実のニッチ=生活現場に立ち現れる課題=“real issues”
(2)観念に到来するもの=集合的無意識から湧き出る “creativity” の泉
ということも可能です。この2者が統合できない状態に陥ると、「統合失調」状態と言えるでしょう。
「その人らしさ」を失わせてしまうような介入は、医療とも看護とも呼べないということは、長年、中井久夫先生が仰ってきたことです。そのことがあってこそ、今、
http://ameblo.jp/phantom-nightmare/entry-12292549883.html
神戸大学だけがPTSDという表現を捨てずに踏みとどまることができているのでしょう(←「PTSD現象学」的な知見)。
中井久夫先生のご著書のなかでは、看護学の本があり、とあるアメブロのブロガーさんにコメントしたことがあります。
http://bit.ly/2t0cPgY
実は、私の母は、元は看護婦で「学ではない。労働だ」と断言してしまう肉体労働者でした。スポ根だし。看護学ってのも、ありますがねえ…と言っても、全然、通じませんでしたが、そういう「脳みそまで筋肉」と揶揄される人とも共生する道を模索するしかないのです。「共生の作法」(©井上達夫)によって。
大卒で工学系のご出身らしいブロガーさんが、ご自分について「学がない」から判らないとコメレスなさったので、「学ではない。労働だ」と断言する母を思い出したのでした。「学がある」ペダンティックな状態で終わっては、現実に対処できないだけのことですよね?
今朝は、天安門事件を思い出して、拙ブログ記事
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12292465556.html
に、ペダンティックではダメだということを加筆しました。
リケジョ・キャンペーンもダメです。
何の「統合」を「失調」しているかというと、核心はそこかもしれません。
中井先生は繊細な方ですからね。
今の医療人たちとは、視線からして全然違うと思います。
衒学の衒は「女衒」の衒でしたね。
今は、男性も子どもも売りますが。
そういえば
「衒学の衒は女衒の衒」というのを実践しているのが
神田橋医師ですね。たぶらかされたのは、花風社社長、チュンペイさんの母親、チュンペイさん…
確かに女性ばかりです。精神科医にかぎらず、女性を悪用するのが女衒でしたね。神田橋さんのクライアントではありませんが、人類レベルで悪用された女性の例で(現時点で)いちばんの「出世頭」は、ヒラリー・ゾンビさんだったかも知れません。
何の統合を失調しているかという話ですが、
以前、感染症(青木眞)先生がブログ
http://blog.goo.ne.jp/idconsult
にて、内科医が精神科医になって出した本を取り上げていらしたので、私もそれに目を通し、
そこに、直接、そういうことが書いてあったわけではないのですが、
(1)現実のニッチ=生活現場に立ち現れる課題=“real issues”
(2)観念に到来するもの=集合的無意識から湧き出る “creativity” の泉
の統合が失調したら、大変だろうなあと思ったのでした。(2)は直感(=intuition)とも言い換えられます。
http://kunota506.com
は、「サイトのタイトルをより自由ですっきりしたものに変更」した結果、なぜか、「薬理学などなど」に「など」が1つ増えています。それは、さておき、副題に
“based on evidence, not on authority or intuition”
とあり、その “intuition” の源泉は、集合的無意識ですね。だから、深く探れば探るほど人類レベルの普遍性が出てきます。
某塾長の悪事を教えていただいたときに、こんな風なことを思いました。
「衒」という字には、元型的な意味があるのかもしれません。
翠雨先生
こんにちは
一つ教えていただきたいのですが、当事者研究は日本独自の研究方法なのですか?
そうでもないみたいですよ。
一定条件を満たせば、誰でも学会に入会し発表できますし、在野で研究するのはもっと自由ですからね。
お邪魔します。
学部の卒論が、当事者研究でした。
ゼミ生全員が、当事者研究をして最後にお互い交換して読みました。
心の問題にまつわる自体験の内容を読んで思わず泣いてしまう内容もあり、どれも読み応えがありました。
その揚以外で公開されることはなく内々でしたので伸び伸び書けました。
ですが、他のゼミでもその先生は当事すべて当事者研究をやっていて、それを嗅ぎつけた周囲からは、当事者研究なんかしてるぞ!!と批判めいた見方をされ、論文ではなくエッセイだ!と揶揄する声もちらほら。結局、数年でやめてしまいました。
専門家としての立場が揺らぐからケチをつけるのでしょうか…それともやはりそれはエッセイで論文とは言えないから…ということなのでしょうか…
専門家には変な特権意識がありますからね。
自分たちは、エッセーにもならない学会誌を発行している癖に、困ったものです。
『夜と霧』は論文でもエッセーでもなく、文学に分類されているようですが、当事者による記録であり、PTSD予防と治療に役立つ知見満載です。
フランクルの著書に強制収容所で奴隷化された人が、いかに精神を荒廃させ非人化していくか、その状態が段階的に書かれていました。
あれほどの絶望を言語化できるのは、私が思うには幼少期からの虐待トラウマでないゆえに内的な感覚を豊かに言語表現できる能力が備わっていたことと実際にそれを体験し観察したからではないでしょうか。
DV被害妻の学習性無カ感や心理的支配なども普通ではなかなか理解されにくい面ということですし、更にそこから連想されたことが、少し前にここで「闇の当事者研究」の話題がありましたが、上記の見方をすれば、まだ「闇の当事者研究」をしようという発想が出てくる分、無力ではないように思えました。
心愛ちゃんの母親のような、自分が社会のセーフティネットで救われるという感覚が全く持てない人ほど重症で無力ではないかと思われました。
大切な視点ですね。
既に壊れてしまっており未治療のままであれば、正しい方向に立ち向かうことはより困難であったことでしょう。それまで幸福な生活を送っていた健常者ですら壊れてしまう状況なのですから。
言われてみれば、一部の人たちの闇の当事者研究への貢献は、その無力感が万能感に転換されるかのような魔力として感じられた結果なのかもしれません。
求刑以上という異例ながら、最大限の執行猶予中が保護観察つきという心愛ちゃんのお母さんの判決は、この種の問題の理不尽さを少し理解されたものかなと思いました。
おはようございます😃
昨日、突然いつものメンバーでやってた日本人の当事者研究っぽいミーティングに全く異なった研究をされてる方が乱入してきて皆さま脳内大混乱になってしまって…..
ドラゴン🐲は8年前に精神科を初めて受診した時に自分の心の中を言葉にする事の難しさを経験しましたーそれまでは ”ただ辛い、何故かわからないけど死にたい“という感じで、原因と結果の中間にある自分の心の中のブラックボックスの中を言葉にする事が出来なかったのですーでも、デイケアでの周囲との関わりや、セラピストたちとの関わりで徐々にそれをする事が出来る様になり、メルとのサイコセラピーで密接な関係を持つ事で更に言語化できる事で何かが解消されてる感覚がありましたー今だから言える事ですー表現する言葉が多ければ多いほどブラックボックスを説明し易いのですよねー自分のShameが何なのかも言葉が無ければ説明できないわけだし…トラウマ受容するにも言葉を持っていなかったら考える事も出来ないわけだしー言葉があれば、薬は必要ないというのも体験出来たのですー寧ろ、薬を投与する事で言葉を出させ無くすると思います
なんかまた本筋から話がそれてしまいましたーその心の現象を経験していない治療者の言葉より、経験したことがある患者さんの言葉の方が説得力のパワーは強いのは当然の事だと想像しますーですから 日本の「当事者研究」はとってもパワフルなリソースなのだと思いました
ご紹介のYouTubeは、とてもわかりやすいです。しかも日本語で3分足らず👍
全く同じ経験をしたことがないとしても、想像力で、どのくらい当事者の立場に降りてゆけるかがポイントみたいですね。
なんちゃって🙅共感あるあるシリーズとして、PTSD予防教育に取り入れたいです!(^^)!
ドラゴンさんが、ここに書いておられる内容は、私自身も経過の中で非常に重要に思われたものでした。
まさにブラックボックスで、最初の頃、言葉に出して自覚できていたことは「日曜日が嫌い」ということだけでした。
何が苦しいのか、自分はどうしたいのか、よくわからず対処のしようがありませんでした。
いろんな人との分かち合い中で、自分を見つける作業ができました。
そして、育った環境ではそのような人間関係のやり取りが皆無だったことをやがて知りました。
Rinko さん
おはようございます😃
*****いろんな人との分かち合い中で、自分を見つける作業ができました。
そして、育った環境ではそのような人間関係のやり取りが皆無だったことをやがて知りました。******
ですよね
ドラゴンは対人関係のプラクティスが極端に不足した状態で引越しを重ね、その場その場で模範的な対人関係を築こうと良い人の着ぐるみを着て教科書通りの認知行動を演じる事に一生懸命だったと思うのですーだから、余計に自分の心のブラックボックスの中身を言葉で説明する機会を逸していたのかな….
きっと、Rinkoさんやドラゴンだけではないと思いますー精神科を受診して、たとえカウンセリングの時間を与えられても患者さんは自分のブラックボックス内の事を言語化してセラピストに伝える事は簡単ではないと思いますー既に外側は病んでる状態なので余計に難しいーそういう患者さんを時短を念頭に考えたセラピーに当てはめても何の解決にもならないと想像します
昔、児童養護施設に就職したことがありましたが、2日間で辞めました。それはなぜかと言いますと、施設の子どもたちのコミュニケーション能力に怖じ気づいたからです。
ここで私に貢献できることはなにもないと思えました。
いま考えると自分の劣等感がおもいきり刺激されたのだと思います。
主体的に意見を主張したり豊かな対人交流が行われている団らんでの子どもたちの様子に(太宰治が灯台の夢で一家団欒を見て自分はダメだとその場を去った感じで)自分の生育環境がいかに貧しく悲惨なものだったかその時知らしめられた思いがしたのです(ちょっと恥ずかしい話ですが)。
ドラゴンさんが仰るように、精神科の患者さんとの分かち合いでは、そう慌ててその場を立ち去ろうという衝動が起きることはなく、皆さん自分を見い出す作業をされていて、その深い洞察に癒される思いでした。そういう地道な営みがない限り、また新しい着ぐるみを身に付けてしまうだけですね。CPTSDは根が深いですからね。
Empathy&Sympathyのこのビデオはたまたま長男の新人研修(コンサルティング系)の宿題に出てきた中にあったモノですが、自分の課題のShame&Guiltについて調べていくうちにそこにはempathyが大きく影響している事を同じスピーカーのBeene Brownさんが解説されてるのを聞いて凄く納得してました
PTSD予防に何が必要か?って質問に答えられるのは やっぱり当事者の経験を知らなくては何もアイデア💡は浮かんできませんよねーラポール形成も大切な事ですが、当事者がその経験をその背後にある状態を伝えるためにも多くの言葉が必要なんだと思いますー再度、申し上げますが、薬は待った必要なく、寧ろ、抗精神病薬は言葉を出す事を邪魔する役割をしているのだと思います
穴のなかに降りてゆかずサンドイッチならあげられるよと言うどころか、穴ごと薬漬けにしてしまうようなものですね。
追加
あと少しかも…..
https://ameblo.jp/momo-kako/entry-12486078895.html
確かに(^_-)-☆
あとは、その科学的説明が、どのようなものとお考えなのか書いて下されば!
4文字で表記するなら、○○S○かな?○○○Dかな?