ASKAさん新曲『FUKUOKA』歴史的身体から見直すPTSD性依存症

https://www.youtube.com/watch?v=HAUTw5oPOwc

 

地元「福岡」も

HIROSHIMA

NAGASAKI

FUKUSHIMAと同じで

「FUKUOKA」と表記すると

トラウマチックな象徴になります。

 

「つまさき」から始まるのは興味深いです。

 

「脚下照顧」とは

 

 

自分の足元

つまりは

自分が生まれる前の問題から

(父母未生以前の面目)

問題をおさらいすることで

 

心理療法でも

宗教の修行でも

それが基本になります。

 

「今は昔」と歌われていますが

これは

 

かぐや姫でも

レッドタートルでも出て来る

哲学的命題です。

 

 

過去を忘れて前向きにではなく

「今=昔」という

頭の硬そうな人からは

馬鹿されそうなところから考えるのは

 

集合的無意識的に考えるということです。

「誰でもない自分」

「生きるように生きてきた」

「おはよう」「こんにちは」とあいさつくりかえす

日常は

「いつも未解決」です。

 

人類はいつも発展途上ですが

考える材料を与えてくれる

過去の記憶である

歴史的身体に「感謝」という

締めくくりのようです。

 

なかなか宗教哲学的ですね。

 

構造的にはよい感じに仕上がっていると思います。

 

売れるかどうかじゃなくて

治療的にという話ですが。

 

ASKAさん新曲『FUKUOKA』歴史的身体から見直すPTSD性依存症」への4件のフィードバック

  1. franoma

    歴史的身体は「機械論的合理主義」には従わないということで、こちらに書きます。

    拙ブログにてアメブロのアクセス解析を見ると、
    「無関心」を英語で言うと?…と私に質問したい人がいるらしいのですが、私が「選択的無関心」もPTSD症状だと他所さまのブログ( http://ameblo.jp/sannriku/ )記事にコメントしたからではないかと推察します。

    アメブロのアクセス解析を見ると、いちばん閲覧が多かった拙ブログ記事
    『「〇〇障害」とされても
    人格を無視されなければ歴史的心身は進化と終焉
    =生老病死を辿り、平穏死が可能』
    http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12235146798.html
    これでした。ここで、わかりにくいので註釈をつけますと、
    「〇〇障害」とは、「ゼロゼロ障害」です。

    翠雨先生が治された心因性の難治例「小児喘息」=「ゼロゼロ障害」も当人の身体を “physical” にのみ観察した場合、こじらせる原因が不明であり、すると、内海は…じゃなかった…「内科医は『難治例だ』と思う」わけです。“spiritual” な観察ができない=宗教哲学が欠けている西洋医ですね。精神科医で“spiritual” な観察ができない=宗教哲学が欠けている西洋医の典型は、kyupin 医師です。斎藤学医師は、そんなことはありませんが、家族関係によるトラウマしか眼中になく「トラウマ複合体」が人類史レベルのPTSDを大きく含んでいることが理解できていないようで、「アダチル教」と揶揄されてしまいます。もちろん、「アダチル教」ですから2001年911で親父が最終的に破綻したのは何故かも理解できないし、放射能PTSDであって、放射能フォビアではないことも理解できないでしょうが、kyupin医師よりはマシです。この件は、
    翠雨先生のブログ記事にコメント
    http://urx3.nu/AYde
    で書きました。そこでは「機械的合理主義」と書いてしまっていましたが、「機械論的合理主義」のことです。謹んで訂正します。
     要するに、機械論的合理主義がダメなのですが、くだんの「おちんちん注射」内科医さん( http://ameblo.jp/morizononaika/entry-12237394660.html )も、そこが理解できません。一応、コメント No. 1「五蘊盛苦」に機械論的合理主義の問題を指摘しましたが、「ちょっと 私には難しいですね」という御返事でした。

    話は戻って「〇〇障害」とは、「ゼロゼロ障害」で、
    “00” なるルームナンバーは、ドイツでは「トイレ」のことです。
    日本をトイレにしてはダメです。
    http://bit.ly/ToiletB
    これは、人類史レベルのPTSD現象です。

    「歴史的身体は機械論的合理主義には従わない」というのは、
    PTSD現象学の基本テーゼでしょう。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      本当!ですね。
      由来について、いろいろな説がありますが、みな興味深いです。
      「風通し」をよくすること、「出すべきものは外すこと」は何においても大事なことです。
      やり方も大事ですけどね。

      返信
      1. franoma

        「出すべきものは外すこと」は人類史レベルでポイントです。
        その「やり方」について、「野糞」だと主張なさっている舌癌の御仁がおわします。
        http://www.a-kimama.com/culture/2016/02/39580/
        何ですと!そもそも、金肥の品質までクオリティコントロール(=QC)をしないから、舌癌になるようなヤバイ生活習慣で、今のアンタの歴史的身体があるんだろ? 違うのか?…と思いました。悪いから言わなかったけど、本が出ていたので、拝読してあげましたが、機械論的合理主義レベルのクソ本でした。ほぼ九分九厘の本が機械論的合理主義レベルのクソ本です。そんな本を書くようなヤツは、大学を出た意味なし!って言うと、愚息は大賛成ですな。どうも、すみません。

        返信

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