自殺者7年連続減にはトリックがあるそうです。
そもそも
警察庁は自殺の定義を決めておらず
(発達障害の定義がいい加減で
がんの定義がないのと一緒ですね)
明らかに「自殺」っぽくても
遺書が見つからないと
「変死体」と処理され
一度処理されれば
その後
自殺と判明しても
「自殺者」として計上されないそうです。
DVやいじめで
眠れなくなったりして
うつ病と誤診されたりして
睡眠薬を呑んでいるうちに
列車に飛び込んだりした場合も
適切な医療を受けていたわけだから
自殺など考えられないので
(都市伝説です?)
変死扱いなのですね。
社会の認識が少し進んだように思いました。
かつては、
「自殺」か「他殺」かだけが問題とされ、
「他殺」は刑事事件であり、
尊属殺人の罪は軽く、その逆は大罪扱いでした。
世界的に見ても「サッコ&バンゼッティ」事件などがあり
身分によって裁かれました。
一方、「自殺」は「自分で死んだのだから本人の責任」でした。
それが今では「自分で死んだ」から誰の所為でもない、本人の責任ということで終わりにせず、
そういう状況にならないようにするには、どうするのが良いかが反省されてきたからこそ、
「変死」=当人の陰陽混乱状態のなか、事故死なのだか自殺なのだか不分明なところがあるPTSD死を分けようということになったのでしょう。
もっと考察を進めれば、「他殺」は、PTSDによって自我境界が曖昧になってしまって初めて可能になる解離犯罪ということになるでしょう。
ゆっくりでも進化している部分があるのはよいことですね。
最近は、時代が逆行しているようで「退化」が目立つように見えるので。
そして、やはりそれも陰陽哲学で説明がつくわけですね。
とりあえず目指すは、精神病院の「(死亡)退院」も「変死」という域に達する日がくることです。
補足です。
「もっと考察を進めれば…」に書いた「他殺」の例は、
三鷹トーマス事件で、相手を滅多刺しにして殺害してしまった青年です。
殺害が予告だけで既遂にはなっていませんが、「お前ら殺してやる」という私の元配偶者も同じタイプですね。
トーマス事件なんかは、一体「誰が」「誰を」殺害しようとしていたのか複雑すぎて頭がこんがらがります。
時空は簡単に超えるし、「神さま」と現実の友達も同居してましたしね。
そのあたりをみんなで真面目に考えるべきだと思います。
多重人格でもなく何ら精神機能の障害がない普通の人でも、時間順序は、勘違いが起こりますね。特に、2001年911のような人類全員にPTSD発症リスクを負わせるショックドクトリンで企画・実行された衝撃と、それと一緒に計画された心理戦争が展開されれば、普段、何ら精神障害がない普通の人でも、時間順序は、勘違いが起こります。
トーマスさんの場合は、ご幼少の頃は、いい時代もあったのでしょう。それで、主人格は人当たりもいい好青年であり、殺害された元交際相手の女性も、そのご両親も、初めは危険を感じられなかったのでしょう。トーマスさんご本人にも、攻撃的な交代人格が女性を殺そうとして刃物を持ってクローゼットに潜んでいるとき、交代人格を止められない主人格か保護人格が「神さま、助けて」とメールを打ったのでしょう。
すなわち、多重人格というのは、個々の人格が同一の歴史的身体を共有しながら、人格ひとつを取り出してみれば、その人格は人格機能を有しているのであり、人格機能が障害しているのではないのです。
ましてや、橋下徹さんに対して「人格障害」と言い出すとは、「人格機能」とは何か、「解離」とは何か、誤解していなければ言えないことでしょう。
DVシェルターで似たような環境のお子さんに会いました。
お国柄、信仰心が篤い被害女性の場合、そういう家庭環境で育ったお子さんが日本人の小さな子どもをなだめる様子には独特の温かさ柔らかさがありました。
殺害された女性と家族が感じたであろう雰囲気はわかります。
そして、リベンジポルノ脅迫をしたのは、間違いなくお母さんへの復讐でしょう。
トーマスの神さま(無意識)しか知らない世界の理屈ですね。
神さまに聴いてほしかった物語を話せる場所があればよかったのだと思います。
野田正彰はその器でないというわけですね。
連投、失礼します。
「サッコとヴァンゼッティ」という表記のほうが一般的でした。
謹んで訂正します。なお、
http://yansue.exblog.jp/16989267/
こんなブログ記事もありました。
「記憶の風化」を許さないのが芸術運動ですね。
ありがとうございます。
この絵は、静かながら伝える力がありますね。
象徴的な絵だと思います。
電気椅子で亡くなる人は現在の日本に増えているわけですからね。
こころが暗澹とします。