M. エリアーデ(著)石井忠厚(訳)
『エリアーデ日記(下)旅と思索と人』(1986年、未來社)p. 105
1961年の1月10日の日記に、以下のくだりがあります。
「何ものも私が生きたという事実を
変えることは出来ないからだ。
私はあった、こんなにも束の間
であったとしても。
For nothing can alter the fact
that I have lived. I have been,
if for even so short a time.
これこそまさしく私なら、
顕現としての人間存在の不壊性と
呼ぶであろう所のもの…」
「効能を読まずに
安易に薬を飲むと
大変なことになることもある」
というのは仰るとおりです。
それに加えて、S先生がアクチベーション・シンドロームの正体についてブログなどにお書きだった段階でも、あのような認識のある専門家は、私の知り得る言語を全部、駆使してネット検索をしても他では見ることができませんでした。なので、どういうふうにするかというと、行動化が起きそうになったら薬物的に制圧してしまうということです。それがkyupin医師らのアプローチですね。一方、薬物的な制圧ではマズいと考える精神科医たちが http://bit.ly/SaseboJiken を起こしてしまったわけです。そうして「アスペ」の一部が「サイコパス」になることにしました(© きょうクリ院長先生)。また、花風社の社長さんを脅してしまった男性は、「アスぺ」ラベリングで軽い抑うつ状態だったところに、内山登紀夫医師からパキシル少量を処方されてから、あのような行動化をやらかし、 http://bit.ly/tokubetsu4en に書いた「アスぺ」ミッキーくん と「ADHD」ドナちゃんの母上から嘲笑されてきたのでした。
すなわち、効能を読んでも、S先生がお書きのようなアクチベーションの正体について認識がなければ、大変なことになることもあるわけです。この状況で、これからも医師の監督下で働く公認心理師に何ができるのか、甚だ疑問ですね。社会の害悪になる心理学ですかね?
この記事にお書きのPTSD解離自殺は、常磐線の「いわき」より先には相対的に放射能汚染が高い地域が広がっていることが影響していると思います。何しろ、安倍政権は、放射線感受性の個人差が大きいことを無視して、折角すでに避難できている人に対しても「避難の権利」を蹂躙して、今月末までに住宅支援などを打ち切り、帰還せざるを得ないようにしていますから。
臨床心理士たちを公認心理師にさせながら、その質をさらに劣化させ、心理学はどうしようもなくダメだと社会に認識させようとしているように見えます。
1つの学問というか伝統的な手法を潰すことは可能なのですね。
印象操作という表面的な話ではありますが、とても壮大な実験中で、もう答は明らかでしょう。
DSMの改訂のなかで、精神分析を否定した流れが公認心理師にも見られます。
向こうは戦略的に行動しているのに、ターゲット側が頭お留守で「壊滅状態」ですね。
気づいて行動を起こした人たちをジレンマに陥らせるのもあくどすぎます。
理不尽なPTSD発症リスクですが、公認心理師は、倫理観や人間性をお上に捧げていますから、憲兵のような立場しかとれないですね。
公認心理師は第二の「踏み絵」だと思います。
公認心理師は、アクチベーションの正体について理解できていない精神科医たちの監督下で働くことになるわけで、仰るとおり第二の踏み絵になってしまいますね。
そうならないためには、青山学芸心理(株式会社)さん
http://urx.blue/Ce4G
でもダメで、あり得るアプローチとしては、
翠雨先生や
中尾相談室さんのように、
ケーススタディをブログに公表していき、実力があることを見せて、相談者を受け付けることでしょうか。学会もそういう方向に若い人たちを励ましていかないとダメで、
紙くずみたいな資格商売をやめたほうが良いでしょう。
翠雨先生のこちらのブログでも
http://urx.blue/Ce4O
以下のコメントでやり取りしていただきましたね。
資格商売が先に立って、来談者の人格無視をやっているからダメなんですよね。
他者の人格無視を進めるために症例を握り潰してしまう政治家、精神科医、学会の問題に関連して、
メリーさんのブログにコメント No. 1. 「顕現としての人間存在の不壊性」
を投稿できました。アメブロさん、ありがとうございます。
http://ameblo.jp/8677a/entry-12255537832.html#c12919039591
コメント内容:
記事にお書きの
「命懸けで駆け抜けた、私達の大切な人生の月日を抹殺されたように思う。
私達は存在している」
=「顕現としての人間存在の不壊性」、
これを無視して、ケーススタディを握り潰す行為、
それこそ「人格無視」そのものです。そういう人たちは、いなかったことにしよう、だから荒れた世相で被害を受けてPTSDを発症した人もいなかったことにしよう、
(1)隠蔽、
(2)被害者の差別(←生まれつきが悪い脳病などとして差別)、
(3)被差別者の社会的な抹殺。
これを続ける限り、人類は「殺しなさい、あなたも殺される…」と主張する野蛮なアングロサクソンたちの罠から抜け出せません。
すなわち、症例検討しか人類には出口がありません。
M. エリアーデ(著)石井忠厚(訳)
『エリアーデ日記(下)旅と思索と人』(1986年、未來社)p. 105
1961年の1月10日の日記に、以下のくだりがあります。
「何ものも私が生きたという事実を
変えることは出来ないからだ。
私はあった、こんなにも束の間
であったとしても。
For nothing can alter the fact
that I have lived. I have been,
if for even so short a time.
これこそまさしく私なら、
顕現としての人間存在の不壊性と
呼ぶであろう所のもの…」
なお、この部分は、
大江健三郎(著)『あいまいな日本の私』
(1995年、岩波新書)pp. 161-162
に引用されています。
あ* 2017-03-12 12:10:31
===コメント内容おわり===
青山学芸心理は株式会社ではなくなっているみたいです。
そんなことはどうでもよいのですが、サイトの更新が途絶えていて実態がわかりません。
登録した時点で、「日本最初のカウンセリング会社だった」だけですね。
安談(日本文化に適合したアプローチ)なら、翠雨PTSD予防&治療研究所でしょ(笑)
メリーさんの症例掲載拒否の理由は何だったのでしょうね。
とても関心があります。
学会はどこも露骨に恣意的になってきています。
今まで政治的にうまくやってきたつもりでしょうが、ネットの前には惨敗ですね。
そういう実態を認め、自ら学会の名誉を傷つけるようなことは慎むべきでしょう。
資格だけでなく、論文も紙くずですよ。
中途半端な査読をして紙の媒体にするのも時代遅れです。
ネット情報ほど読まれておらず、積ん読だらけの学会ビジネスだと思いますよ。
摂食障害なんかはネットを読めば、大流行中で、アメブロだけでも当事者事例満載ですが、学会誌にはあまりなくて、「認知行動療法」「わがまま」くらいとは、本当にバカバカしい構図です。
権威どころかアテにもされていない現状です。