『海辺のリア』の
初日舞台挨拶が
東京・テアトル新宿にて開催されました。
仲代達矢さん(84)が
かつてスター俳優だった
認知症「疑い」の老人を演じます。
高級老人ホームから
抜け出し
海辺をさまよい歩く部分は
「徘徊」と呼ばれるものになるでしょうが
よく話すご老人のようで
(セリフを覚えたのは奇跡的と評価されている)
表現力が豊かであり
妻とは別の女性が産んだ娘と
突然の再会を果たします。
徘徊は
人生を哲学的に統合する目的でなされているようですから
行動を制限しては
(右下隅にも書いてあるように)
リア王のように「絶望」しながら
死を迎えることになります。
また
死期が迫っていて
時間がないからと言って
アミタール分析なんかしなくても
(精神分析の促進法)
適切な時代に退行して
後悔のないようにやり直す力が
人間にはあるということを示しているのが
素晴らしいですね。
認知症患者が集まらなくて頓挫したJ-ADNIの話ではないですが
認知症って
本当は
そんなに多くはなくて
専門家がよってたかって
認知症扱いしたがっているだけだという現実を
表現者たちは
みな知っているのです。
徘徊は、解離性遁走と同様、
“autojustification”( http://bit.ly/2kvHgYN )を実現すべく
“struggle for existence”( http://bit.ly/ikiruMogaku )=「もがく」プロセスというわけですね。
「徘徊」とされてしまわない「お散歩」ができるように、
俳句の会などに入って、歩き回って俳句を詠み、
絵心がある人は絵も描いて、
手紙や色紙として残せば良いかと思いました。
公民館などの文化運動でやっていますよね。
物語なので、わかりやすく劇的な仕上げになっていますが、時々、こういうこともあるかと思います。
しかし、確かに、普通は、イメージのなかで行われるのが安全ですね。
そうしていると、この物語の場合、娘さんのほうが会いに来るとかという、奇跡を引き寄せるようなことがあります。