山口県の刑務所
「社会復帰促進センター」の
ネット上で
注目を集めています。
指導する人は
更生作業として描かせただけと言っていますが
絵心と集中力が
驚愕とともに
高く評価されているようです。
犯罪の多くは
解離行動から起こります。
解離性同一性障害は
PTSDです。
PTSDは
トラウマがあり
発達障害等
先天的な病ではないので
その象徴性が表現されるため
それを見た人は
ちょっとした
「絵心」のようなものを感じます。
そして
最初は
絵なんかと思っていても
閉じ込められたトラウマが
表現の場を与えられるので
夢中になり
集中しはじめます。
そして
表現しつくすと
創作意欲は消えるのです。
いつも箱庭を見ているので
それがわかります。
アメブロのほうに、以下のコメントを投稿したところ、承認待ちにならず蒸発するので、こちらに書きます。
「表現しつくすと
創作意欲は消える」こともありますし、
草間彌生さんのようにプロの芸術家になる場合もあるでしょう。
その際には、商用になるような表現になるのです。
http://bit.ly/2vCmH4U
に、以前、コメントしました。
kyupin医師のご友人テリ造さん
http://www7a.biglobe.ne.jp/~greenclover/
は、商用になるような表現になっています。
ネット検索をすると、
https://duckduckgo.com/?q=%E3%83%86%E3%83%AA%E9%80%A0&t=ffsb&atb=v60-5__&ia=web
「商用」化の道もありましたね。
作品としての魅力は激減しますが、安定するでしょう。
「商用」ということで、
翠雨先生のブログ記事にもコメントしたハズなので、検索
http://bit.ly/2hpuxpI
したのですが、こちらのコメント欄は、何故かヒットしません。それで、記憶を辿って「ああ、そうだ、アメブロさんにコメントしても承認待ちにならず蒸発するのだった」と思い出し、こちらに来ました。
「商用」の検索では、2つだけヒットして、そのうち1つに、
翠雨先生がお書きの
「ミルトン・エリクソンの娘さんも最近、商用に利用され始めました。河合隼雄の息子と同じですね。こういうのは遺伝するものではないのが、学者には理解できないようです」
がヒットします。私のコメント
http://bit.ly/273OxBT
に対してコメレスをいただいたものです。
高等教育に関連して、コメント
http://ptsd.red/2017/02/26/%E3%81%8A%E9%9B%9B%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E4%B8%BB%E4%BD%93%E6%80%A7%E3%82%92%E9%A4%8A%E3%81%86ptsd%E4%BA%88%E9%98%B2%E6%95%99%E8%82%B2%E3%81%A7%E8%84%B1%E3%80%8C/#comment-13645
に出てくる塩屋舞さんという御仁は、ツイッターでお見かけしただけで存じ上げないかたです。「アーティストとして生きるには居心地の悪い国なのかもしれない」とツイートなさっていた人で、美大の学生さんのようです。高等教育が無償化されていないため、あれこれ言われてしまうだけで、「日本の特殊性」ではありません。美大を含めて高等教育が無償化されている国では、
活動している地域社会において、
個展を開く実績で社会的に芸術家と認められるのであって、
美大を出たから芸術家と認められるわけではありません。美大に行ったか、在学中か、全部、独学か、そんなことは一切、関係なく
(1)個展に足を運ぶファンが増えること、
(2)どこかの美術館が所蔵すべく作品を買ったり、テーマを決めた「〇〇展」を期間限定で開催するために拝借したりすること
…という社会現象が並行(または、どちらかが先行しても最終的には並行)して、職業的な芸術家になります。あと、絵を描いて院展に入賞して画廊さんに認めてもらって個展を開く道が開けたりすることもあります。
芸術家ではなく心理職でも、学会奨励賞を受賞して大学に就職して『職業としての学問』をやる社会的地位を得ることがあります。そうなると、途中で
「いかなる問題が生じようとも人道的に対処しよう」という構えを外さないのが学問だという点を投げ捨ててしまっても、社会的地位は変わりません。大学で受講生に本を買わせれば本も売れるし、弟子たちと論文を引用し合って、生涯、ペダンティックに幸せな(?)「学者」人生を歩めるでしょう。
「いかなる問題が生じようとも人道的に対処しよう」という構えは外してしまっているので、関わり合いになると被害を受けますから逃げるしかありませんが。idthatidさまも小保方さんも「学位」保持者ですが、
「いかなる問題が生じようとも人道的に対処しよう」という構えは外さず学問を続けているかどうか、そこを見て、社会的処遇を決めると良いでしょう。
塩屋舞さんが「日本の特殊性」に話を持っていくのは勘違いでしょう。
日本の戸籍制度は特殊ではありますが、欧州においても日本においても、
両人が婚姻関係になる件について
異議がある人がおらず、社会的に「あれは夫婦だ」と認められるから
野合ではなく(事実婚でも)婚姻関係にあると認められるのです。
したがって、戸籍制度を廃止しないとダメだというのは勘違いですし、
その際、いかなる両人であれば異議を唱える人が出ないかは、
社会に依存しています。もっと、精確に書けば、
社会を形成している人々の集合的無意識に依存しています。
芸術家の場合も、視覚芸術か触覚芸術か音楽を含め聴覚芸術か関係なく芸術リテラシー、演劇や文学、オペラなど言語リテラシーも関連してくる内容か…様々ですが、
社会を形成している人々の集合的無意識に依存して、どのくらい広く社会で受け入れられる普遍性を持ち得るかが決まってくるだけで、
「アーティストとして生きるには居心地の悪い国」
など存在しません。
はすみとしこ( https://www.google.co.jp/search?q=%E3%81%AF%E3%81%99%E3%81%BF%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%93 )さんは、
「商用」の「風刺漫画家」になられたようで、このままでは
飽きられるのも時間の問題でしょうが、PTSD克服=昇華があり得ないわけではありませんね、未治療PTSDですから。
定義は容易ではなさそうですね。
いろいろと言うのは自由でしょうが、私も「アーティストとして生きるには居心地の悪い国なのかもしれない」とのツイートだけは、いただけません。
古代ローマなら、アーティストも居心地がよいかもしれませんが、認められるのは「商用」コースで、あるのは「退廃」のみ、ひいては国家の堕落です。
そして、この種の話で次に問題になるのが、「自己満足」ではなく「認められているか」ということですね。
どなたに認められるかということですが、学会奨励賞というお墨付きのいい加減さとか、視聴率とかスポンサーに支配された今のTVの堕落ぶりとかをみれば、なんとも言えなくなります。
そういうのを超えて、トラウマと昇華の物語の机上にあるのが、芸術かなぁというのが、私個人の所見ですかね。