1992年に
千葉県市川市で一家4人を殺害した
関光彦死刑囚(44)が
事件当時19歳
「更生の可能性がなくなった」等で氏名公開とのこと
69歳の死刑囚とともに
今朝
死刑を執行されました。
犯行時に未成年だった死刑囚の執行は
97年8月の
永山則夫・元死刑囚以来です。
死刑囚になるにも
原因があるわけですが
谷垣禎一元法相は
記録を読み
「こんな幸福な子ども時代を過ごしてなぜ?」というような
死刑囚は一人もいなかったと証言しています。
永山則夫は
貧困等からの
PTSD発症リスク
解離行動だったので
獄中で
哲学等を学習しながら
多くの手記を書き
自分のように不幸な行動に走る子どもが出ないようにするには
どうしたらよいか考えるまでに達しましたが
DVや虐待、それに伴う「いじめ」という
PTSD発症リスクがあったとしても
どこまでも無反省に犯罪を繰り返し
追い詰められたといっても
DV等の影響で
暴力で弱者を制圧することで自分を保っていたら
(依存性)
ヤクザに追われるようになった。
このような事件を起こしてしまうと
4人惨殺
監禁され事件を目撃した遺族を
必要もないのに強姦して
心理的支配しようとした。
反省は困難だったようです。
PTSDは予防第一なんですよ。
世界平和を祈る「天皇」を象徴とした
こころの哲学があります。