相模原市
緑区の
県立障害者施設
「津久井やまゆり園」で
入所者ら45人が殺傷された事件は
「今
やまゆり園で起きた事件の犯人は私です。
世界平和のためにやりました」と自首
発生から2年になりますが
植松聖被告(28)からは
犠牲者や遺族への明確な謝罪の言葉はなく
手紙のやりとりや面会に応じていた記者が
公表した「手記」によれば
「心ある『障害者』ではなく
『意思疎通が取れない者』を安楽死させるべきだ」
「どれだけの金と人手
物資が奪われるかを考え
泥水をすすり飲み死んでいく子どもを思えば
アフリカの子どもには優しい?
心失者の面倒を見ている場合ではない」などと
自らを正当化しているそうです。
逮捕後
笑みを浮かべたことについては
「上着で顔を隠すつもりでいた」が
多くの報道陣に車を取り囲まれ
フラッシュが瞬く騒然とした雰囲気に
「見たことのない世界への好奇心から顔を上げてしまった」
「我ながらぞっとするような表情を世にさらすことになった」とのことで
ヒステリー性格が顕著だったようです。
ヒステリー=超外向=PTSDの過覚醒
空気を読まない子が増えているとされているが
実際は空気を妙に読みすぎ破綻
結果的に
時代錯誤も甚だしい
空気が読めていない行動を起こす。
事件を起こし逮捕されたあとは
発達障害ではなく
PTSDなので
夢見が活性化され
「拘置所では
毎日のように夢を見る。
日常生活がつまらないため
眠っている時は
自由が欲しいと考えているのかもしれない」
事件を
真相から再考しようとする動きが
無意識的に起こっています。
しかし
向精神薬を服用なら
期待できないかも。
おはようございます
「空気を読む/読まない」というのを理解する事が非常に難しいドラゴンです
葬式で大笑いする人は空気を読まない人だとは理解できますが、今の日本の発達障害理論で言う「空気読めない」人というのとはちょっと違うみたいで…..
空気読む人ばかりが集合したら何も言わない静かな集団になってしまうと思うーおもしろくな〜いー私の周囲にいる人が日本へ行ったら殆ど全ての人間が空気読めない発達障害者になってしまう気がします
SSRIを服用していると悲しみがわからなくなりヘラヘラ笑うので、世間体から葬式に参列させられないということがあるそうですが、薬を飲んでいなくても、それに準じることが起きるようです。
ストレスに苛まれてこころに余裕がなく、人のきもちを感じる余裕がない場合と、そもそも人の立場に立って考えることを教えてもらわなかった場合が考えられます。
大阪教育大付属小学校を襲撃した宅間守は、後者でした。嫌なことがあったときに、「嫌だよね」と共感してもらったり、謝ってもらったりすることがない虐待環境で育ったので、事件について世間から謝罪を期待されても、謝罪の意味がなかなか理解できなかったというのは、本当にあってはならない哀しい話です。
わかっているかどうか難しい場合もあって、葬式ではしゃいでいる子どもの場合も、年齢的にわからない場合と、みなが悲しんでいるのを(無意識的に)励まそうとバランスをとっている場合があるみたいです。
お書きの部分は、「共通感覚」みたいなところでしょう。
共通感覚は正しいとは限らず変化してゆくものですから、外国人や先見の明のある人は、場違いと認識される場合がありますね。
しかし、その場合もその人たちは、違和感を感じていると思います。それは、空気は読めているけど従えないだけです。
日本の死刑執行に関する感覚は、今後ゆっくり変化してゆくのだと思われます。読まなくていい空気もありますね。
興味深いことに、どの空気読めなさもPTSD関連だということです。
読まなくていい部分は「個性化」「自己実現」に関するものです。
「空気が読めない」のは CPTSD環境で正しい問題解決方法を習得出来なかった事に由来するという事ですね
確かに常にサバイバルモードで自分の身の安全を守る事ばかりに必死なCPTSD患者は 正しいスキルを習得する機会は極僅かだったに違いないとは思います
機能不全家族で養育されれば、失敗したら非難されるのみで、その失敗がどうしてなのかを説明されて次回失敗しないように術を教わる事は皆無ですからね
「空気読めない」発達障害特性がトラウマ特性のどれに匹敵するか 後で考えてみますーウイニペグおじさんのトラウマtraitsの中には「空気読めない」が無かったので….
そういうことです?
犯罪を犯しても、自分が責められているという意識でいっぱいで、反省どころじゃないみたいです。
それで警察ですら、(実際にはないそうですが)「カツ丼食うか?」となるわけです。ドラマは人情を表現しますから。
精神分析では【アジャセコンプレックス】でそういう説明がありますが、お経由来なので、ウィニペグおじさんの夢にだに見ない世界なのです。