「キャサリンの事例」PTSD治療は自己表現までが大変

 

気難しくて

関心を

持っても持たなくても拗ねる。

憎まれ口をたたき

 

あちこち痛くて

老人並に病気のデパート

 

表現してもらうまでが大変ですが

 

感情表現すれば

負のエネルギーは消失し

固着と退行

借りてきた猫のようになります。

 

キャサリンちゃんのような人も

コンサータで酔っ払うと

子どももキャサリンちゃんになる。

少なくないかな…。

 

 

セラピストの方は

よくご存知だから

コンパクトに纏められています。

 

私のお人形は小さくて動かないけど

 

 

人形浄瑠璃とか

パペットも

興味深いです。

 

「キャサリンの事例」PTSD治療は自己表現までが大変」への31件のフィードバック

  1. トラウマサバイバー

    こんばんは^_^
    昨日作業所で些細なことで同僚を弾劾し、「訴えは認めるが休憩中にみんなの前で注意されたことは遺憾である」と言われました。帰宅してからも怒りが収まらず、相手のことを「死ね」とまで思い、「狂ってるなぁ。何でこんなに怒ってるのだろう?」と思いました。

    そのうち娘の居た養護施設に縁のあるジョー山中の「人間の証明」の主題歌を口ずさんでいたら、娘を預けた最初のクリスマス会が罪悪感と悲しみでいっぱいだったことを思い出しました。泣いたら頭痛が少し収まったので、わざとユーチューブでジョー山中を見て泣いていました。「母さん、僕のあの麦わら帽子、覚えていますか?」というところで、「人間の証明」の登場人物とジョー山中自身と私の三者の悲しい生い立ちが重なりました。

    寝る時間になっても、「私がしたことはPTSDの行動化だ。私は狂っている」という考えと、このキャサリンのように身体中が痛みました。 あんまり苦しいので、「手元にあるジプレキサ効くかなぁ? もう死ぬしかないのかなぁ」と考えながら、翠雨先生の記事を行ったり来たりしました。

    キャサリンは私にそっくりです。構われ過ぎると嫌になり、構われないと悲しくなります。

    でも、断薬した私は粘りました。「ほんのちょびっとしか眠れなくても、明日になってみなければどんな気分かは分からない」と。

    果たして今朝になり、「相手と仲直りする為に、信頼できる作業所の責任者に立ち会ってもらおう」と思いました。
    虐待親は、子どもが友達と仲直りする手伝いなんか出来ませんからね。自分が虐めているのですから 笑笑
    ということで、初めてお願いして人に立ち会ってもらい、仲直りすることができました✨

    とてもいい気持ちです。退行しました。

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      こんばんは^_^

      大変な思いをされたようですが、それも含めて作業所のような場所があって、よかったですね✨
      大人になると、謝ったり、仲直りしたりすることは簡単ではなくなるし、こういう場所があっても、それを活かすことができるかどうかはその人にかかっていると思います。

      久々にキャサリンちゃんを見てみました!(^^)!

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      1. あ*=franoma

        傍から失礼します。

        作業所において、その休み時間にトラウマサバイバーさまが《表現の自由》を享受できるのは幸せなことですし、相手が「その内容を認める」率直さを持ち、応える《表現の自由》を享受なさったことも素晴らしいと思います。「ただし、皆の前で言う必要はあったのか」と問うことで、実際的な《安全確保》もしているのです。それに対する返事を私がするのであれば、「吊るし上げにする底意はありません。間違いは誰もがなし得るものゆえ、些細なうちにヒヤリハット事例として共有して、作業の進め方を考える契機になれば良いのではないでしょうか?」ということになると思います。

        トラウマサバイバーさまが「怒り」をぶつける好機をゲットなさって、ここぞとばかりに、その機会をエンジョイなさったのであれば、それは「解離する特権」を享受したことになるので、相手のためでも誰のためでもなくトラウマサバイバーさま本人のCPTSDからの回復のために、反省&人間関係の修復ができたことは、良かったと思う次第です。

        《アスペ》ラベリング攻撃を実行している人たちの範囲の広さに気づいた時には私は腰が抜けて椅子から転落し、起き上がるのが困難になったので、私はお手伝いに行っていた倒壊大学の先生に「病欠」の電話を入れました。あまりのことに驚いて腰が抜けることってあるとは聞いていたけれど、実体験は(これまで60年近い人生で)その1回きりでした。「あまりのことに驚いて腰が抜ける」現象は、「怒りを溜め込んで腰痛になる」現象と関係があると言われています。
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        1. 翠雨 投稿作成者

          お話から、何の意図もない宗教や心理療法で起きる意識下の「独白」みたいな現象だったのではと感じられました。
          作業所のみなさんんも、最初はびっくりしたけど、『そういうことあるよね~』と言うことで、お互いさまを超えてみんなのために、サイコドラマ(心理劇)のような有意義な空間であったのではないかと推測したのでした。

          失立・失歩・失声・失聴…今は休んでおいてくださいと無意識からドクターストップのような補償作用が起きて止めてくれるのもありがたいことですね。

          返信
        2. トラウマサバイバー

          ご参加下さいましてありがとうございます^ – ^

          私は対母親の経験からか対人恐怖が強く、そのくせ兄の薫陶を受けたので小学校の先生の覚えはめでたく授業中もよく発言する子でした。しかし友達関係は弱く、中学の班決めで「好きな子同士で」と言われてあぶれてしまった経験があります(涙) つまり、陰に呼んで一対一で話すのは「誤魔化される、はぐらかされる」ことが何となく怖くて、どちらかというとみんなの前でバッと言ってしまうのが得意という・・・苦笑 逃がさないためにつるし上げているのかもしれません 爆

          あとはあ✳︎様に解説していただいた通りだと思います。

          相手はカリフォルニアに30年いたので返しがやはり日本人とは違いますね。謝りっぱなしにはしたくないみたいです。(無意識のうちに吊るしあげたのは私ですが)
          責任者に対する私の信頼が厚かったのがポイントだったと思います。
          それと私は三人兄弟の末っ子なので上からヤラレっぱなしで、「下を虐める」ということをやってきていませんでした。相手は年下で後輩ということで、私の逆鱗に触れる為にやってきたのでしょう。自分でも「上の人には絶対服従なのに、下が出来た途端ここまでやるか」と思いました。 作業所の利用者同士は上下関係などありませんが、なんといってもここは日本ですから多少はあります。

          「みんなの前で言うべきではないと思います」と言われた時には、「えっ?」と思いました。「みんなって??? あとは腑抜けた雑魚ばっかりだけど???それらに聞かれてなんか困ることあるの???」と頭の中はクエスチョンマークで一杯でした。(そういう感じ方がPTSDそのものかもしれません)
          家に帰って、「自分が軽んじられた怒りではなくて、悲しみだったんだ」ということが分かり、相手も泣いていたので、「おんなじだね」と思いました。
          発症してから自分の事ばかりを考え続けたので上手く謝る自信がなくて、責任者に頼るこ
          とにしました。

          以前女性の自立支援施設に少し居た時、自分達の居住スペースが総本部になるということでなんの前連絡もなく他から多勢が掃除と片づけに来たんです。あまりにも急に押しかけてきたのでついていけなくて「軍隊みたい」とボソッと言ったら、それを指揮していた私より古株だけど娘年齢の女性が、「あんなこと言われて死にたい。みんなのために頑張っているのに」と言い出して大問題になり、結局私はその施設を出ることになりました。その時自分が言ったことで周りの反応が怖くなりました。今は元夫に大変世話になって支えられているので、外で何かあっても引きこもることが出来て安心です。必要な援助を受けられることは生きていく上で大切ですね。

          返信
          1. ドラゴン🐲

            おじゃまします

            トラウマサバイバーさんへ質問です
            “相手はカリフォルニアに30年いたので返しがやはり日本人とは違いますね。”とありますが、トラウマサバイバーさんが思っている「日本人の返し」と「カリフォルニアに30年いた人の返し」の違いを具体的に教えていただけますか?

          2. トラウマサバイバー

            ドラゴンさん、こんにちは^ – ^

            私は56才で彼女は37才で、ジェネレーションギャップ勿論あると思いますが。
            土着の日本人は「和を以て尊し」みたいなところを基本にして育てられます。
            目上の人に注意されたら、取り敢えず「すみません」と謝ります。

            でも「アメリカでは謝ったら責任と取らなければならないので、簡単には謝らない」と聞いたことがあります。いろんな人種の人たちと混じり合って生活しているので、自己主張が大事だと思います。ディベートも盛んに教育に取り入れられているようです。少なくとも私が育った時代の日本では、ディベート教育はなされていませんでした。
            そしてどちらがいい悪いというわけでは決してありませんが、「目上、目下」という感覚はアメリカにはなく(上司と部下はあると思いますが)、立場の違いを越えてフランクに会話をするそうですね。日本で育った日本人は、知らない人にあったら、まず敬語で話します。文化の違いだと思います。

            日本で育った日本人は自分の意見を言うということをそれほど奨励されませんが、彼女はとても自然に悪びれることなく、自分の意見を言いました。 それはとても素晴らしいことだと思います。

            日本で育った私は、「私は周囲の人に対してこんな風に気を使っていますが、貴女は今私に言うべきことを言いませんでしたね」と自分の感覚で言いました。私にとってはそれはとても大切なことだったからです。

            また私達の作業所は弁当屋で、彼女はアメリカで両親の経営するレストランで従業員を使っていたので、「その感覚が抜けないのかな?」と思いました。私にしてみたら、「私は貴女に雇われているわけではないのよ。仲間として気配りなさい」というのは重要なポイントです。

            「日本人とアメリカ人の返しはこう違う」と明確に定義することはできませんが、「あ、違う。こんなの初めて」と感じたので、そう書かせて頂きました^ – ^

        3. トラウマサバイバー

          あ✳︎様

          あ✳︎様の物語について詳しく存じ上げず、「腰が抜ける」について何のお返事も出来ずにいることを心苦しく思います。

          自分でも他のコメント欄からあ✳︎様の物語を把握しようとしましたが、要領を得ませんでした。もしお時間があれば、こちらに書いていただけないでしょうか?
          厚かましいお願いですが、どうぞよろしくお願いします。

          返信
  2. ドラゴン🐲

    トラウマサバイバーさんへ

    お返事ありがとうございます😊
    自分の事に照らし合せながら考えてみました

    ”目上の人に注意されたら、取り敢えず「すみません」と謝ります。“

    「とりあえず謝る」というのは難しい事かもしれませんー恐らく、自分の非が理解出来ていないのではないでしょうか?ー自分の何がいけなかったのかが理解出来なければ謝る事は出来ないと思います

    日本では「とりあえず謝る」事でその場を無かった事のしてしまう事がよくあるのではないかと想像しますーホントは誤る理由は無いのに自分が「ごめんなさい」を言っておけば何も無かった事になってみんなの平和をキープできる感じなのかな?

    詳細な事のなり行きは把握していませんが、日本の先輩後輩制度を経験した事の無い国籍だけ日本人だとしたら、そこに適応する事はかなり難しい事だと想像します
    ーここは日本だから無条件に歳上を尊敬しなさいと言われても彼女にとってはあまりピンと来ないのでは無いでしょうか?ー英語圏でも初対面は丁寧な表現で会話を始めるし、職務上のポジションに居る者に対しても対等なポジションにいる人に対してもリスペクトを示すのが普通ですーただし、単純に歳上だから神さま対応する様な態度は取らず、また、歳上の方たちはそうされる事を嫌がる事が多いという経験があります

    以前、デイケアのディスカッショングループでは75歳の凄いお洒落な女性がいらっしゃいましたが、彼女は最初から「自分の事を1stネームで呼んで!」と自ら他の方々に溶け込もうとされていらっしゃいましたよー確か、1番若いのは21歳だったと記憶しています

    きっとドラゴン🐲も日本へ行ったらKYと判断されて発達障害診断がつくのでしょうね……文化の差を心の問題として考える事ってとても難儀な事であると感じる今日この頃です

    返信
    1. トラウマサバイバー

      ドラゴンさんへ

      私は今自分の未来が楽しみでしょうがないです^ – ^

      返信
      1. トラウマサバイバー

        トラウマを受けた者は、人を信じる力とか安全感あるいは視力聴力とか計算力とか話す力とかいろいろな力を奪われます。そしてそれぞれに残された力を使って、精一杯生きようとします。

        私が考える日本的処世術は、私に残された生き延びる力です。
        ドラゴンさんはドラゴンさんが今持っている生き延びる力を精一杯使えばいいと思います。

        そしてお互いにより楽に自由に生きられるようになったら、いいですね^_^

        書き言葉なので、どれくらい伝わるのか分かりませんが。

        返信
        1. あ*=franoma

          トラウマサバイバーさまのコメント
          http://bit.ly/2nhJe55
          「トラウマを受けた者は、人を信じる力とか安全感あるいは視力聴力とか計算力とか話す力とかいろいろな力を奪われます」「それぞれに残された力を使って、精一杯生きようとします」という点は賛成できません。トラウマがあろうとなかろうと、生きとし生けるものは「そのとき持てる力を使って、精一杯生きようとします」ので、それを邪魔したり悪用したりしようとするカルト組織こそが批判されねばならない国際情勢/国内情勢なのです。

          ペレルマンはロシアの数学者だったのにチェルノブイリ原発事故の後、《アスペ》ラベリング攻撃のターゲットにされてしまいました。ヴァイオリニストのイツァーク・パールマンは、《アスペ》ラベリング攻撃のターゲットにされてはいません。
          パールマンからメッセージ
          https://youtu.be/67M664W-eB4
          くだんの西洋白人女性ご夫妻は、学会さんとコネクションがあるからでしょう、臆面もなく「隠れ虐待」とセットで心理操作をやりたい放題でした。
          “2大カルト組織” 面目躍如ですね。
          プーチン大統領は、西側諸国で原理研=統一協会の洗脳手法を取り入れた政治勢力があることも、『リオ五輪の新体操強化本部長「山崎浩子」が統一教会を脱会するまで』ネット記事も把握しておいででしょう。

          https://bit.ly/SaseboJiken
          の女子高生も “ātman animated by soul” を徹底的に無視され「専門家」のオモチャにされた結果、同級生の首を切り落としました。この女子高生は「人を信じる力」があった所為で汐見さんに代表されるような東大系の教育学/発達心理学者の息がかかった「専門家」に騙されて、「安全感」を維持しつつ「視力」「聴力」「計算力」「話す力」などスポーツや学力で好成績を残しながら「わけがわからなくなってしまった」=《観察主体》を手放させられたのです。

          小保方さんもリケジョキャンペーン の被害者でしかなく「捏造の科学者」ではありません。

          earthly 地上の何処かで…スリーマイル島、チェルノブイリ、福島など…原発事故があると、誰かに “《アスペ》ラベリング攻撃” を行なう《社会現象》が発生します。これは、人類史レベル/人類社会レベルで起きている核問題PTSD現象です。 “one of phenomenal facts in this world(←現世 earthly)” と言えます。 すなわち《現象学上の観察事実》です。小保方さんは実験用のネズミが自前でなかったために足を取られてしまいましたが、「捏造の科学者」ではありません。《アスペ》を捏造してしまったのは伊藤絵美さん=仏教をアップデートすると豪語なさる病的な自我肥大が観察される公認心理師はじめ女狐心理職でした。

          “リケジョキャンペーン”
          – Поиск в Google http://bit.ly/2nikqKh

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    2. あ*=franoma

      傍から失礼します。

      ドラゴンさまコメント
      https://bit.ly/2OsATXH
      ①”目上の人に注意されたら、取り敢えず「すみません」と謝ります。“
      「とりあえず謝る」というのは難しい事かもしれませんー恐らく、自分の非が理解出来ていないのではないでしょうか?ー自分の何がいけなかったのかが理解出来なければ謝る事は出来ないと思います
      末田耕一医師が「とりあえず謝る」ことで自己究明をせずに済ませようとする来談者に対して、それではダメだ…とダメ出しするのも、同じことですよね。自己究明をせずに済ませようとする来談者のパターンは、他にもあり、「統合失調症」ということにされている患者さんの父親が減薬だけしたかった模様で、《統合失調症》診断の受容をやめて家族全員で《PTSDに対処》せねば、どうにもならないのに、それが伝わらなかった結果、何時間も怒鳴り合い…母親は終始、沈黙…というエピソードをブログで拝読しました。

      ②日本では「とりあえず謝る」事でその場を無かった事のしてしまう事がよくあるのではないかと想像しますーホントは誤る理由は無いのに自分が「ごめんなさい」を言っておけば何も無かった事になってみんなの平和をキープできる感じなのかな?
      これが世に言う「《事なかれ》主義」というものです。「みんなの平和」というのが実は表面的なもので、本当は核問題PTSD否認=社会病理に浸かり切っているので、本当に困ります。

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      返信
  3. ドラゴン🐲

    おはようございます😃

    “とりあえず「ごめんなさい」”とする術は ”とりあえず薬”という治療法と似ている感じですね

    話し合いをせずに現場を平和にキープしているフリをさせているだけの手段だと思います

    ドラゴン🐲にそれは出来ません
    「とりあえずごめんなさい」をする事は親のtoxicityを甘受する事と同じ事になると考えるからですーだからといって、S先生の「毒親という言葉を使うな!」という指示に従ってるのではありませんー寧ろ、親のtoxicity を明確に自覚するために毒親という言葉は使う方が自分のリカバリにはプラスに働くと考えてます

    話が逸れました
    トラウマ患者が生き残る術を自分なりに考えてみましたートラウマ体験をした後の脳はすでにサバイバルモードなのだと思いますーですから、体験後にトラウマに躍らされて「今ここ」に居ることが出来ないのだと….「今ここ」に自分を感じるにはサバイバルモードを終了する事が必要なのだと思いますーその為には「とりあえずごめんなさい」をするとあった事実を無かった事にしている事になるので「今ここ」にグラウンディングする事は難しいのではないでしょうか?

    ドラゴンの生きる為処世術は自分を誤魔化さない事かもしれませんー即ち、着ぐるみを着ない事ですね

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      とりあえず○○って面白いですね。
      とりあえず心療内科は困りものですが。

      返信
    2. トラウマサバイバー

      「とりあえずごめんなさい」の私の使い方です。
      諸外国ではこういう使い方はしないかもしれません。

      さっき信号待ちで大勢の人が居る場所を私が自転車を引いて通りました。
      道をあけてもらうために、「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら通りました。
      その時ベビーカーを押した女性が私の方を見ながらどこうにもどけないので、「ごめんなさい」と言いました。 その時、私はその人は別に悪くないので、その人に向かって「いえ、ごめんなさい」と言いました 笑

      つまりどちらも悪くない、だけどお互いに気づかいあってる状態です。私はベビーカーの女性に私に気を使って欲しくないので、「こちらこそ」という意味で使いました。

      「どんな時でも」という意味ではありませんよ。原発がどうのとか、そんな時にいう訳ないじゃないですか。広義に広げすぎです。

      どちらも別に悪いわけじゃないから、気分を害しているならと、お互いに気づかうために使います。

      返信
      1. 翠雨 投稿作成者

        クレーマーにでも、「申し訳ございませんが」のあと、言い訳をしながら断るのが一般的かもしれませんね。(ありもしない)角を取るのにみんなどれだけ苦労しているか…。
        「すみません」が口癖の方は丁寧で、日本では「どうも、どうも」で結構やってゆけます(笑)

        返信
        1. トラウマサバイバー

          クレーマー対応の時はまさにそうですね・・・

          私事ですが、中学時代に先生に言われると何でも「すいません」というので男子生徒から「すいません病患者」と名付けられたことがあります 苦笑
          本当に殆どのことが自分に責任があると感じていました。家庭環境等からそのように感じざるをえませんでした。

          それに自己肯定感がそれほどない状態で自分の意志を通そうとする時には便利ですよ、「すみませんが、・・・させてもらいます」という言い方は。

          今日も、「どいて、どいて」という勇気はありませんでしたので「ごめんなさい」と言いました。

          角はありもしないんでしょうか?
          私はまだ自分の意見を言おうとする時、すぐさま反論が聴こえて来そうな気がするので、それをかいくぐるために婉曲表現を使ったりします。

          返信
          1. 翠雨 投稿作成者

            DSM6(2030頃?)にでも出てきそうな病名です(笑)

            便利だなと思えるならいいですね。言われてみれば、さらに強硬な使い方もあり、いろいろですね。

            外野がうるさいとはよく言いますが、内野がうるさいのも困ったものです…。黙らせるトレーニングを楽しんでもいいかもですね。

      2. あ*=franoma

        « 道をあけてもらうために、「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら » というのは、欧州でも普通です。
        “Pardon!” と声を掛け、
        相手が「あ、通りたいんだな…」と通してくださればOKという使い方です。
        「気を遣わせて、ごめんなさい」ですよね。
        聞き落としたとき、「もう一度、お願いします」という意味での “Pardon?” も
        「お手を煩わせてごめんなさい」ということで。

        一方、ヒヤリハット事例になり得ることを注意された場合、「とりあえず《ごめんなさい》」はダメで、
        ①解離性不注意として内容を理解すること
        ②ポカミスが出ないクロスチェックをかけるなどワークフローの再考を提案すること
        …などがPTSDへの対処でしょう。

        日本だから?…ということは、ないように思います。

        返信
        1. トラウマサバイバー

          ドラゴンさんに「『日本人の返し』と『カリフォルニアに30年いた人の返し』の違いを具体的に教えていただけますか?」と聞かれた際、私にとっての社会というのは和気あいあいと仕事をしている作業所の中だけだったので、「馴染みの指導員に注意された時に、私はどう答えるか」を基準に答えたら、「とりあえず謝って、その後で自分の意見を述べる」というものだったのでそう答えました。

          「なぜ謝るのか?」と自問した時に、自信のなさであったり、相手の気分も自分の責任と考えるクセがあるので、「気分を害したのなら、悪かったです」という意味で謝っているな、ということが分かりました。つまり、「相手を思いやるきもちを表している」ということで、道をあけてもらった時のことを例にあげました。

          ヒヤリハット事例を持ち出されたのはあ✳︎さんなので、私に責任はありません。

          返信
          1. ドラゴン🐲

            トラウマサバイバーさんへ

            色々手を変えて説明を試みていただいた事を心から感謝申し上げます

            感情労働の仕方が日本とアメリカは全く異なる事を学ばさせていただきました

            「相手の気分も自分の責任」と考える癖は日本的なのかな?

            アメリカ人の先生は「他人がどう感じているかまでは責任負えないー他人の多幸感や自尊心等まで責任を取る必要はない」とお話ししていますー彼女だけの主張ではなさそうな感じです
            https://www.cityline.tv/video/detecting-and-managing-emotional-labour/

            英国の方がアメリカよりももう少しケアリングしてる感じがするのはドラゴン🐲だけ?

  4. ドラゴン🐲

    「とりあえず〇〇」という流儀は 幾らかの負の感情をそこに残したままになってしまっていると想像しますーそしてその負の感情の残骸が次の再発を引き起こしてしまう原因にもなっているのではないでしょうかー依存症にも発展してしまう恐れもあるのではないかと考えてます

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      トラウマの応急処置も同じですね。
      そうするしかないのですが、そのあと、そのままになると依存症として定着したりします。
      おまけに自分はこういうトラウマがあるからその依存は仕方がないのだと烙印を押してしまう例はわりと多いように感じます。

      返信
  5. トラウマサバイバー

    ドラゴンさんへ

    「他人の感情まで責任を負えない。負わなくて良い」ということは、発症して26年の間に心理教育等で何度も聞かされていました。そして、ドラゴンさんの質問に答えた「日本人の返し」、それは取りも直さず「私の返し」であり、両親から精神的肉体的暴力を25歳まで受け続けた人間の返しであったわけです。

    なので、「相手の気分も自分の責任」と感じるのは、日本人全体というよりも私個人の傾向と言えると思います。

    映画「人間の証明」の話に戻りますが、映画の中でGIベビーであるジョニーは20代で再会した日本人の母親に邪魔にされナイフで胸を刺され殺されます。幼少期から当たり前のように暴力で脅されていた私も、発症から50代になる今まで精神機能・社会的能力を剥奪され、母なるものに社会的に殺されたままだったのだと感じました。その悲しみを感じ切ったとき、私に「存在する」ということが訪れたような気がします。

    それまでは「反応する」人生でした。「どうしたら存在できるの?」と探し求めました。 人と居たら「何か話さなくちゃ」と感じ、「人に認められたい」とか「欲しいものは?」と聞かれ「地位と名誉」と答えたこともありました。焦燥感でいっぱいでしたが、今は随分と落ち着き、存在することに喜びを感じます。

    私はトラウマは人によって千差万別と考えるので、国別で考えることにはあまり意味を感じません。

    しかしドラゴンさんがそこにこだわるのは、イギリス在住の日本人でいらっしゃることが大きく関わっているのかもしれませんね。

    思いつくまま、書きました。

    返信
    1. ドラゴン🐲

      トラウマサバイバーさま

      お返事ありがとうございます
      そして、ご指摘されている国別/文化別の問題ではないという事に同意している日曜日の朝です
      更に“「相手の気分も自分の責任」と感じるのは、日本人全体というよりも私個人の傾向と言えると思います”と仰っていらっしゃいますが、トラウマサバイバーさんの個人の傾向でもないのではないかと考えていますートラウマそのもののキャラが私たちを操作してそういう思考に導いているのではないかと思いますートラウマを持った人の特性?持たなくてもよい罪悪感を勝手に請負ってしまうみたいな……

      “今まで精神機能・社会的能力を剥奪され、母なるものに社会的に殺されたままだったのだと感じました。その悲しみを感じ切ったとき、私に「存在する」ということが訪れたような気がします。”ー共感する部分ですードラゴン🐲は今やっと離人感カプセルの存在を認識してかなり汚れたカプセルの外側を強力な洗剤で水洗いしている感じです(ゴシゴシ)ーそしてその愛車ならぬ愛カプセルをどうやって処分しようかと考えています

      “それまでは「反応する」人生でした。「どうしたら存在できるの?」と探し求めました。 人と居たら「何か話さなくちゃ」と感じ、「人に認められたい」とか「欲しいものは?」と聞かれ「地位と名誉」と答えたこともありました。焦燥感でいっぱいでしたが、今は随分と落ち着き、存在することに喜びを感じます。”ー
      ドラゴン🐲は14歳以来ずっと自分が変になってしまった事で本物の自分はもう自分の処には戻って来ないと思っていたのですー抜け殻状態の人間の着ぐるみ着て一生を過ごすのだと覚悟しながら生活して来た感覚がありますが、今は着ぐるみ脱いだら少しだけ本物の自分が存在している事を感じる事が出来ているかも….100%ではなく40%くらいは感じてるかな…..あいにく、ドラゴンはその感覚に喜びとかの感情はまだありませんけど…..

      でも、ここでこのコメントを書いている事で自分の中に湧き出て来ているエネルギーの動きを感じているのは確かですー気づきを与えてくださったトラウマサバイバーさんに感謝♡

      返信
  6. トラウマサバイバー

    皆さまのお考えを伺って、自分が普通だと思っていたり或いは処世術として使っていた「とりあえずごめんなさい」が責任の取りすぎであったり隠れ蓑のような役割をしていたことが分かりました。
    自分にとっての生存戦略が自分を窮屈にさせていたり成長を止めることになるのですね。内側が育っていくことで手放していけるものは手放していきたいです。

    ありがとうございました。

    返信
  7. ドラゴン🐲

    おはようございます

    内側が育つ事がホンモノの「発達」なのでしょうね
    外側はどんな着ぐるみにも着替えられますからね
    着ぐるみを完璧な状態にしておく事の負荷が如何にサバイバル脳状態にするかという事に気がついた今日この頃です

    ドラゴン🐲は「とりあえずごめんなさい」は その場のみを切り抜ける為には便利な魔法の言葉のようですが、その後起きる事に対しての責任までは請け負っていないイメージを持ちますーですから「ごめんなさい」を言う時は自分がホント悪い事を誰かにしてしまった時に発する言葉であるという認識ですー自分の非が何であるかも認識出来ずに「ごめんなさい」を言う事は自己評価も低める事に繋がるのではないかとも思いますー最初から「自分はあなたよりワンランク下ですから」とアピールしているイメージもありますーこんな風に感じるのは宇宙人👽だからなのでしょうかね….まだ、オンライン会議のHSP診断受けたひきこもりちゃんのトラウマに踊らされてるかもしれないドラゴン🐲です

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    1. トラウマサバイバー

      もしかしたら、私の「とりあえずごめんなさい」=ドラゴンさんの着ぐるみなのではないかと思いました。

      >最初から「自分はあなたよりワンランク下ですから」とアピールしているイメージもあります

      してます、してます 笑
      「取るに足りないものとして扱ってもいいから、私をいじめないでね」と 笑

      実家で暮らしている時に、家族から「偉そうに」と言われることが本当に傷つきました。そして失敗すると、「偉そうにしてたのにこのザマね」みたいに言われ、「失敗しないこと」がもっとも大切なことのように思えました。
      社会においてもとにかく「偉そうに」と言われたくないと思っていました。私からしたら、周囲の人が皆んな「偉そうに」と今にも言いそうで 笑 その影に怯えていました。

      日本的に序列を作り守ることが、無用の争いを避け、自分を守ってくれると信じていました。対等であることを主張しようものなら、父母の鉄拳の代わりに人々に叱責され、足を引っ張られるのだと。

      「世の中は厳しい、甘くない」と言いますが、虐待家族の掟はもっと厳しい、と感じます。だからその場しのぎの「ごめんなさい」が必要だったのだと思います。

      私も「とりあえずごめんなさい」の着ぐるみを脱げそうな予感がします。

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      1. トラウマサバイバー

        それから私も最初の異変を感じたのは、14歳の時なんです。
        それまではめっちゃ元気で、でも14歳の時に視力が落ち、「何をしたいのか分からない」と思いました。とりあえず(また、とりあえずですね)世間的な価値を求め頑張りましたが上手くいかず、「この母親の側にいては駄目だ」と結婚して離れ、出産・育児で発症しました。

        14歳は子どもと大人の変わり目だから、やはり何かあるのでしょうね。

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  8. ドラゴン🐲

    トラウマサバイバーさん

    おはようございます😃
    なんか似てますね
    今思えば私は14歳の時にサバイバルモード(サバイバル脳)になっちゃったのだと思うのですーそしたら、世間的価値すらも理解出来ない状態で、ひたすら根性!で頑張ったけど無理な事を認識しましたーそこからは人間の着ぐるみ着てた感じですーあの14歳の時に自分の中だけに起きた現象が昨日の事の様にハッキリした感覚が身体に残っていますよ

    「とりあえずごめんなさい」戦略の方が 着ぐるみ着るよりも賢い方法なのだと思いましたー言葉で発する方が息をし易いですよねー密閉度の高い着ぐるみを着た際には着ぐるみの中で呼吸出来ずに四苦八苦しちゃうリスクもあるかもしれないですー今は自分で着ぐるみを着ているという事を認識出来ているから苦しくなれば脱ぐ事も出来る様になったのはちょっとだけ良くなってるのだと自負しているドラゴン🐲です

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