https://www.youtube.com/watch?v=h2j9RHGqWBg
「あずきまんまが食べたい」と言い
「あずきまんまを食べた」と歌ったばかりに
父親が人柱にされてしまったショックで
話さなくなった女の子のお話です。
https://www.youtube.com/watch?v=h2j9RHGqWBg
「あずきまんまが食べたい」と言い
「あずきまんまを食べた」と歌ったばかりに
父親が人柱にされてしまったショックで
話さなくなった女の子のお話です。
クラゲは
水母と書くんですね。
無意識のお母さん
海月とも変換されるけど
ポニョのお母さんは
確かにそんなイメージです。
お母さんの守りがあると
お父さんがちょっとヘンでも
水の研究をしているが
(無意識の研究)
教育と称して
子どもを型にはめようとするので
嫌われている。
宗介の母親には
ヘンなものを撒かないようにと叱られていた。
大冒険もできるわけですね。
ライナスの毛布より
ちょっと進化した段階かな?
映画『モリのいる場所』は
30年間
一歩も家の外へ出ることなく
97歳で亡くなった
伝説の画家
世間では評価されているけれど
エテ公🐒らにはわからないようで
専門家のような御仁の言葉
「この絵は何歳の子どもが描いた絵ですか?」で
(心理職エテ公🐒ならアスペルガー?)
物語は始まります。
熊谷守一(くまがいもりかず 通称モリ)さんの
お話です。
都心にありながら
うっそうとした森のようである
象徴としての皇居もそうですね。
ちなみに
PTSDの心境を
ジブリは
荒れた庭で表現したそうです。
庭=こころということです。
庭を観察し
虫が中心で
俊足のアリ🐜の集団を何日も眺めて
どの足から歩き出すかつかんだりします。
観察する様子は
箱庭を見るかぐや姫のようです。
取材に来た人はビデオカメラを持っていますが
目をおかしくしながらも
肉眼でまねようとして
モリの視座をわかろうとします。
昼寝をして
焚火をし
絵を描くのは夜になってからです。
物語の終わりに
池が出てきますが
箱庭でも水が出てくるのは感動的です。
それは
30年間掘り続けた
大きな洞窟のなかにあります。
マンション建設でこの庭が危機に瀕しているのに気づいた
若い芸術家たちは
庭から世界に発信する
日本が誇る芸術を壊すなというような
立て看板を並べています。
『コクリコ坂から』みたいです。
自分の子が天才かどうか
判断してもらおうとするお父さんには
(アスぺママにわりといますね)
「ヘタだ」「ヘタで(下手の方が)いい」と言い放ち
面白がって放した魚を責任上保護するためにできた池だから
埋めることになった責任をとって
お父さんは
マンション建設で地上げに来た人
この家に関しては
立て看板が名誉棄損になると言いたいらしい。
その子に池の魚の絵を描かせるといいと提案し
口約束で
土(トラック15杯分)と交換という契約終了
ハンコのかわりに 一本締め です。
よーお・パン!の一太極二陰陽
モリはなぜここまで
奇跡のような超俗性を維持したのかと思いながら見ていると
最後の方に
子どもたちは早く亡くなってしまったのに
自分たちはこんなに長生きで…という
奥さんのつぶやきが出てきます。
カリタス学園事件等で
ひきこもりが話題になっていますが
インターネットを利用した形跡がないようですが
(昭和の終わりころの)モリも
新幹線を知らない浮世離れぶり
この作品には
その回復のヒントがあるように思われます。
わけのわからない人もたくさんやってくるので
(最後にはこんな感じの人も説教に💦)
家の中は賑やかですが
内田裕也さんと向き合った樹木希林さんのような
家族の度量が
この生活を支えているとも言えそうです。
自動運転が特徴の
新交通システム
「シーサイドライン」の
新杉田駅
(横浜市磯子区)で
1日夜
列車が
約25メートル逆走して
車止めに衝突し
乗客らが重軽傷を負いました。
「列車が動き出した数秒後に
ものすごい衝撃で止まった」
「子どもの泣き声が聞こえ
パニック状態だった」とのことですが
事故後5分間は
車外に出られず
放置されました。
運転手や車掌がいたら
人間的な反応があったことでしょう。
運転手がいても
解離してしまえば
事故は起きますが
最初から運転手がいないという
潜在的な不安もあるなかで
事故が起きると
『ああやっぱり…』と不安の確認がなされてしまい
先の事故の記憶などまじりあい
大変な恐怖感に発展する恐れがあります。
新幹線で起きたら…と怖くなりますが
再開発が進む名古屋駅周辺では
不動産業者による「地上げ」が進んでいて
不安や恐怖を感じている住民もいるそうです。
国家戦略はこういうことですから
国民は国に期待せず
自主的にPTSD予防しましょうという時代のようです。