本日は
三波春夫さんの
お誕生日だそうですが
間違って伝わっているとのことです。
もともとは
「雑念を払い
心をまっさらにして芸を見せる」ために
観客を
絶対者=神と見立てて
発した言葉だったのに
クレーマーが
悪用するようになり
(恐ろしい神さまだ…)
学校には
モンスターペアレントが跋扈
給食の時間に
「お金を払っているんだから
頂きますは言わなくていい」とまで
言い出す親もいるとは
面倒ですね。
傾聴なんて言葉も
このタイプにかかれば
「傾聴しろよ(言う通りにしろよ)」と
誤用されます。
傾聴の意味も歪んじゃった?
そうなんですよ(-。-)y-゜゜゜
主体的に問題に向き合う意味ではなく、自分の抱えきれない感情(毒)を吐き出す意味での傾聴になってしまっている場合、どのように対応していったらその人にとって有益な関わりになるのでしょうか…それでも傾聴していくことがまずは大事なのかなと思いつつ、度を超している場合について(自問も含め)色々思いめぐらせていました。
心理療法の場面では、こういうことは稀ですが、あれば聴きます。
防衛に時間とお金を使うのは抗不安薬を服用するのと何も変わらないと自分でもわかっているけれども、それを解除した先にある治りたいという希望を思い出すまでに、必要な時間らしいです。