「髪がなくても
女性は生き生きと輝ける――。
かつて
髪に強いコンプレックスがあった…」との書き出しで
自分の髪を30年間抜き続けた女性の生き方が
紹介されています。
「抜毛症」というのは
PTSDの症状の1つですが
それが小学生の時に発症したものです。
離婚に至る前の両親の不仲から始まっていること
父親が育毛剤を差し入れ
母親はこんなふうにしてしまってと謝って
ウィッグ代を出し続けたことで
原因も特定されています。
当時なら
学校から紹介されて
教育研究所で
おかあさんが話を聴いてもらい
子どもは別の先生から遊戯療法や箱庭療法を受け
心理療法されているとも思わず
なんとなく遊びに行った
不思議な場所(教育研究所)のことも
そのうち忘れてしまって…という
治り方が一般的だったのではないでしょうか。
ウィッグをつかったりして凌ぎ
3年前にブログで公表
髪を剃り上げ
それが活きるようなものを着るようにすることで
病気を治そうとしない道が選べたのは
時代の変化もあると思います。
「抜毛症と向き合わず
幸せを
他人に依存する」という意味での
依存症の治療にはなっていますし
円形脱毛症や抗がん剤の副作用などが原因で
髪を失う女性の気持ちを理解し支える仕事の質は
普通の美容師以上でしょう。
自分に向かう攻撃性が
反転して外に向かうこともなく
よい矛の収め方であるとも言えます。
便秘から
拒食気味になり
オニオンリングの研究に向かうケースと
似てるかな。
PTSDには
いろんな症状と
いろんな治り方があるということでした。
こんにちは。
質問させて下さい。
単純に捉えすぎかもしれませんが、症状(原因)に向き合わず、精神分析的な解明による根本的な部分での回復ではなく、今幸せになることを考えた方がいい場合もある、そういう回復だってあり?と言うことですか?
自分の中で自問自答をくり返してることがあり、向き合うということには副作用も伴うという点に気づき(以前は行動として表現されていたものが、自分の感情としてとらえることができたということかもしれませんが)、餓鬼のような感情に時折やられ往生するようになりました。
どこまでいくかは、すごく難しい問題だと感じています。追求すればするほどれからなさが膨らんでいくようです。
知り得た事実を書いているだけですよ。
タイトルの「見える」がミソで、それ以上書くと皮肉になってしまいます。
私の考えは、いつも通りで何らぶれていません。
お返事ありがとうございます。
「見える」というのがミソということで、安心しました。
Rinkoさん&翠雨先生
おはようございます
日本の「ハゲ」は負のイメージがとっても強いですよねーオッさんは姑息にハゲを隠す事に必死なイメージがあります
でも、所変わればですが、欧州の自分の近辺では「ハゲ」= セクシーというイメージがありますよ
ワザとスキンヘッドにしてしまう人も沢山います
高校生がスキンヘッドに憧れてるのも事実です
いくつかの校則にはスキンヘッド禁止事項があるくらいですから
でも、抜毛症は深刻な問題ですよね
統合失調症の幻聴で「髪の毛を3本抜け」という事から始まった人が結構いらっしゃる事を最近知りました
なんだか興味深いです(* ̄▽ ̄)フフフッ♪
おばキュー👻が、幻聴の象徴に👀
中学生とか球児に丸坊主を強要した時代がありますが、さかのぼれば、お坊さんの前に武士のちょんまげです。
西洋人は頭にピストルつけてる奇抜なヘアスタイル!と感じたそうですよ。
日本人がアフリカの路地の散髪屋さんに感じるくらいのインパクトでしょうか💦
兜が蒸れないように、カミソリがない時代は一本一本抜いて、武士としてのアイデンティティ、主君への忠誠を誓っていたそうです(◎_◎;)
誰か、論文としてまとめてくれないかな🌈