大津市にある
マンションの駐車場で
午前7時半すぎ
このマンションに住む
30代後半の女性と
1歳ほどの女の子が
頭から血を流して倒れているのが見つかり
2人はその後
死亡
女性の夫とみられる男性が
事情を聴かれています。
警察は
女性が
子どもを抱いて飛び降りたと見ていますし
女性が
自宅マンションから飛び降りる場合は
ほぼ100%
向精神薬を呑んでの解離自殺というのが通説ですが
遺書がないので
自殺とみなされないかもしれません。
自殺件数が少なく見えた方がよいのでしょう。
学校すら(こう書くのも空しい時代ですが)
いじめやいじめ自殺を隠ぺいする時代ですから。
スマホであっても
明記されていればよいのですが
内容によっては
映像を残しても
なかなか理解したがらないかもしれないですね。
医療機関が
この体たらくで
(医療機関とか専門家と呼んでよいのだろうか…)
時代が
臨床心理士から公認心理師に変わって
ますますこの傾向は加速されます。
エテ公
軍団に
強調されるのは「連携」なのです。
心理学的見地から意見するのではなく
病院のピラミッドの檻に
邪魔しないでおとなしく飼われ
時々
猿回しの営業に出してもらって
世間にこういう職種と認知されるように
なりたいのですね。
何もせんもん(何もしない)家に堕するための
良心を滅する修行ですか?
おはようございます
先生が書いてくださったこの記事で、今の自分が持つ葛藤の原因が解った感じがします
”強調されるのは「連携」なのです。
心理学的見地から意見するのではなく
病院のピラミッドの檻に邪魔しないでおとなしく飼われ、時々、猿回しの営業に出してもらって……“
とある当事者研究会で今ドラゴン
が感じてる葛藤の原因です
トラウマという同じレンズで集合した4人なのですが、3ヶ月目にして危機に直面しています
以外の方々は皆さま、「トラウマを語る場所が出来て良かった!」と満足されているご様子で……そこに身を置いてるドラゴン
はちょぴっと不満で…..正直言って出来事だけを語る事でトラウマディールが出来るのかしら?とモヤモヤしてます
連携の部分が崩れ始めましたーその原因にはそれぞれのレンズの厚さが異なっている事、主催者のトラウマ概念がトラウマの出来事に集中し過ぎて知覚は全く無視されている事ー即ち、トラウマの表面だけを観察しようという目的なのですー単純にそれぞれのトラウマイベントをリストアップするだけーそのイベントがトラウマ化した心のメカニズムを辿る経緯は全く語ることなく物語の語り手が自己病名をつけて終了という形ですードラゴン
そうなんです(´;ω;`)ウッ…
ここのところ「公認心理師」について調査していて、一番衝撃を受けたのが、特色の1つとして掲げられた「連携」の真の意味でした。
世間の人が、「連携するって大切だよね~」というような意味ではないようです。
医療のおかしさにようやく気づいた人々が、トラウマイベントをリストアップして一丁上がり!と思いたくなるのは、途中経過として仕方がないことだと思って眺めていました。
しかし、ある種の知的な学習だけで「傾向と対策」の赤本のように、適当なトラウマを適示しておけば充分!みたいな狡さに堕する人たちが、発達障害流行論便乗の信者と何ら変わらない上から目線加害者に変貌してゆくのを見るのは、ちょっと残念でした。象徴性を失い形骸化した宗教のようなものですからね。その先にあるトラウマディールの必要性に気づく前の防衛なのはわかりますが、国の施策として、このような追手が迫っている現状ですから、実は思いのほか危険なのではと思います。
ありがとうございます
よかった
の高さがモヤモヤの原因では無かった事が確認出来た事で自信を取り戻せた気分です
自分のエイリアン度
主催者は正に「精神医療に近づくな!その後は誰かに聞いてください」という主張で、トラウマ会設立は趣味の様なモノと言いながら4人のグループが立ち上がりましたー初回において特定の人のトラウマイベントをおもいつくがままに語っていただき、それに関して他の方々がどう思うかという対話形式のやり方でしたーその際に私が「愛着パターンの不一致」「棄てられる恐怖」「ダブルバイド的環境」etcについて話し始めたら主催者さんはそういう心理学的要素には触れない様な対話をしましょうね!というご指摘があり、ドラゴン
は黙らされましたー酷くショックを受けた記憶がありますー何故、トラウマを話す場所で心のメカニズムに触れてはいけないのか?ートラウマ会の意味が無いんじゃない????ーサラにもこの事をお話しましたが、彼女は「あくまでも日本人との対人関係を経験する為の場所として参加継続していなさい」との事でずっとドラゴン
は主催者の指示に従い今までやって来たのですーでも、先週の木曜日に酷く人の言葉に繊細に反応する人が私の言葉の語気が強く感じるようで「ドラゴン
さんがこの会に居ると私は心を閉ざさず負えないから会の解散を希望します」と言い出しましたーヒョエー!当初からドラゴン
(分厚い着ぐるみ着て社交するタイプ)は真逆のタイプのTさん(長期のイジメで人と関わらないタイプ)なので当たらず触らずにしてきましたー話しかける時も超慎重に対応して来て、あちらから何か相談受けた際にはマジに真剣に応えてきたつもりだったのですーそれが、突如、「ドラゴン
さんの語気が強いから心を閉ざしいるんですードラゴン
さんが怖いんですードラゴン
さんの個性が怖いんです」と言われ困っていますー喋りはそう簡単には変えられないし……個性までも否定されて……真剣になるとマシンガントークになってしまうし…..
これからどうすれば良いのか…..
謙遜して趣味のようなものということにしてありますが、多くのメンバーにとって事実上核心的な場所(あるいは、いつかそうなるべき場所)であるはずなんですけどね。
さまは、サラ先生との場面があるので、世間ではそういう段階であるらしいと分かった段階で、無理はされないのが得策かなと思いました。
心理学的な話ぬきで、客観的な行動についてのみとなると、加害者が悪いという話に終始してしまい、出口がありません。
ドラゴン
ひきこもりタイプの人がいない場所や、マシンガントークでも大丈夫な場所があると、いいですね。
傍から失礼します。
「ひきこもりタイプ」とは、「外出は注意深く行なう」状態にあるケースでしょうか。とある外出のメリットが(当人にとって)リスクよりも小さい場合は、その外出は「まだ起きていない不幸を回避する」ためにやめます。一つ一つ判断していくしか実際的な《安全確保》は追求できないものですから。
一方「マシンガントークでも大丈夫」な人は滅多にいないのではないでしょうか。私も若い頃は、マシンガントークをやったこともありますが、師匠から「高齢者に対する思いやり」を持つように注意されて、やめました。それから少しずつ話すスピードを落としていく訓練を一人で毎日、録音しながら続けて何年か要しました。そんな努力をしたけれど、すると「トロいように見えるからやめなさい」という助言もあります。あはは…「トロい」と思ってくださって結構…と思いますが、それは悪いから言いません。
日本は未だ「加害者が悪い」ことを確認することさえ覚束ないPTSD否認=社会病理に浸かり切っていますので、実父や継父、義父が女児と性交しても「愛情表現ならOK」ということで加害行為が認定されないほど狂っています。この状態から、PTSD否認=社会病理に浸かり切った日本社会メンバー各人が脱していくには、各家庭でPTSD否認をやめていくしか出口はない…と個人的には考えています。
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確かに、文字通りの「ひきこもりタイプ」「マシンガントーク」で通されるならば、ちょっと難しいですね!(^^)!
あ*さん
日本語だとトロくさい喋りなので普通の日本人にはマシンガンの様には聞こえない事を以前に確認した事がありましたー
貴重な経験を教えてくださりありがとうございます
ハッキリ言ってショックでしたよ
「喋り方が怖い」と言われたのは初めてでした
日本のディスカッションの場は妙に静かなのです
マシンガントークと言ってもドラゴン
でも、何かその場で起きた時の反応としてドラゴン
が口にする感情表現の言葉が怖いらしいのですー例えば ドラゴン
が反対意見に対して「PC投げてやろうかと思った」という冗談としての言葉に怯えるらしいのですー他の方々はその表現をあくまでも私の感情表現の1つとして受け取り、実際に私がPC投げるわけではない事を知ってますーでもその彼女は私がそれをマジにやるかもしれないという思いがあるらしいのですーだから私に恐怖を抱くらしいのです
しかも、その彼女は自分の発言に反対される事=自分が拒絶された…と感じるようで、その瞬間に見事にトラウマ反応が起こりますーただ、単に彼女は自分の辛かった話に同情して欲しいだけの様ですーそして、自分を庇護的に扱え!というアピール……まじにトラウマ考える気があるのかどうかがわからないです
議論するのが怖いという人がグループセラピーに加わっているのも不思議ですーグループに所属する事でリゾート気分を得ることが目的であるかのようで….
マシンガントーク、日本語では大学院時代に学会発表をするようになった博士課程後期課程にいた時にやめたのでした。ところが西洋白人さんはマシンガントークでないと聴かない人がいるので、そういう人に対しては英語やドイツ語など外国語でも一気にまくし立てていました。分かったのか分からなかったのか?…不明ですが、“Hm! Interesting!” とか一言だけ言って去って行きましたので、多分、関わり合いになりたくなかったのでしょうね。その人、当時、NASAのシニアサイエンティストだったのですが、EXOSATのノイズだらけのデータをいい加減な解析で韓国人女子学生に論文を書かせた問題なオヤジで、そういうデータの扱いに対して我々は非常に批判的だったから。
「自分の発言に反対される事=自分が拒絶された…と感じる」人は、世間には大勢おいでになります。そういう人がどのように感じるか?…は、当人の自由でしょう。
これは、①付和雷同、②普通の仲間意識がある仲良し、③チームワークが組める間柄…と3つ並べてみると、理解していただけるかも知れません。
「反対することが相手を拒絶することに直結する場合には、あからさまには反対しないでおく」こともあるし、
「反対することが相手を拒絶することに直結しない場合には、付和雷同である必要はないので、チームワークを組むには互いにアサーティブに話し合うと良いでしょうし、普通の仲良しなら互いの違いを認識して楽しいかも知れませんね。
拒絶ということでは「ドラゴン
さんがこの会に居ると私は心を閉ざすしかない」から「会の解散を希望します」という発言こそが拒絶になっていますので、何だかなぁと思います。私事でアレですけど、件の完全犯罪者ご夫妻に対しては、特定の誰かに集団で心理操作を加えることに私は初めから反対しました。映画監督をターゲットにするということでしたから「私は、(心理)操作をされることも操作することも大嫌いなので、やりません」とキッパリ断りました。そんなことをやっていると早晩、自殺者が出るので。ところが、キッパリお断りした後、連中の心理操作ターゲットは、我々に移されたらしく、最終的にはスタンフォード監獄実験みたいなことを露骨に展開されて、2001年911で大きく崩れたオヤジは連中の手中に収まって今に至るわけで…本怖ですよ。
先日、斎藤環さんが「いじるのと、いじめは違う」か何かツイートなさっていましたが、あゝいう何ちゃって精神科医に言わせれば、スタンフォード監獄実験は「いじる」だけで無問題な行為に分類されそうです。あゝいう「専門家」を我々が生涯&子々孫々拒絶するのは当然のことですよ。この点で信用できるのは、現在、末田耕一医師と中井久夫先生だけです。
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「西洋白人さんはマシンガントークでないと聴かない人がいる」ーええ、学生時代、ディベートのクラスではみんな結構戦闘モードで話す癖があったのでそのノリでそのコミュに入って行ったのが良くなかったのかもしれませんねー解散要求されている人はとにかく人に同意するだけのご意見を提示されるのですー私は同意する時は発言しない事が多いですが、反対意見を持つ時はガンガン発言するというタイプですから余計に彼女にとっては怖い存在だったのかもしれません
“拒絶ということでは「ドラゴン
さんがこの会に居ると私は心を閉ざすしかない」から「会の解散を希望します」という発言こそが拒絶になっていますので、何だかなぁと思います。”ーそうなんですー彼女のその発言で私は酷く拒絶された感覚を抱き、翌日、カウンセリングでこの事をお話し、いつもの時間内では終わらずに別のセラピストとエクストラ2時間セッションをやっていただき漸く自分の気持ちが整理出来てきた感じがあります
オープンダイアローグのトラウマディールはあくまでも出来事の表面だけを観察してる様子ですよねーその下にあるものに 注目しない限りトラウマディールは成立しないという事を理解されてる人はあまりいらっしゃらないご様子ですねーナンチャッテトラウマ会がいつホンモノになるかはまだまだ先のようです
補足です。
にょろ郎 (@neocat666) твитнул(а):
@Beriozka1917
自称普通の日本人という同調圧力
https://twitter.com/neocat666/status/1160869900186898432?s=17
というツイートをお見かけしました。
もし「普通の日本人を自称することで他者に同調圧力をかける」ことが可能なのであれば、「普通の人」を自称することによって他者に同調圧力をかけることも可能ですよね。実際、①晋精会&公認心理師法システムの構築/運用に集結しつつある「専門家」、②DSM日本版の編纂を任された「専門家」、③ADHD詐欺に《利益相反行為》丸出しで勤しむ「専門家」は、全員が《人道上の罪》を侵していますが、無自覚です。そんな無自覚さは、《良心の解離》状態でなければ不可能なハズですね。なのに何故、左様な「専門家」の “autojustification” (©︎シモンドン)として現象し得るのか?… 結局は、集合的無意識のなせる技であると言えます。
“autojustification” kmomoji1010
– Поиск в Google
https://bit.ly/2Z4lTR7
「普通の人」を自称することによって他者に同調圧力をかける行為は、あの kyupin氏も(自覚することなく)なさっていました。ところが、氏は、
①《ゼプリオン昇天注射》事件の際に出された記事から薬理について何か大きな勘違いをした「専門家」であると判明した。
②《診断》と称して《投影》を行うことがある。
③広島原爆被ばく二世&児童虐待被害者でありながら、原爆PTSDを含め戦争被ばくPTSD、《核の平和利用》詐欺も絡んだ核問題PTSD、児童性的虐待を含め児童虐待PTSD…いずれについてもPTSD否認を続けている。
④《PTSDの世紀》になって間もなく20年、PTSD否認のまま「精神科医」でござい…と言われても「それじゃあ治らないのと同じだ」という結果にしかならない。
『患者さんは主治医以上には良くならない』
| kyupinの日記 気が向けば更新
https://ameblo.jp/kyupin/entry-10277443861.html
⑤《PTSD否認》状態から脱しないかぎり、ライフワークとする「内因性の正体」を書き切ることは不可能。
氏は、晋精会メンバー精神科病院の雇われ院長と噂されているようですが、確認する術はありません。しかし、もしそうだとしたら、①〜⑤の問題を露呈しつつ雇われ院長として飯が食えるのは《アベ友サポート》勢力に守られているから…ということです。もっとも、氏は、以下のような記事も書いておいでなので、内因性(&脳病)仮説ベースの精神病院は、消えてゆくことを認識しておいでです。だからこそ、また “アベらカルト” に戦争をやってもらい、内因性(&脳病)仮説ベースの精神病院の「敗者復活戦」を無自覚に望んでいるのかも知れませんね。
『死にゆく精神病院』
| kyupinの日記 気が向けば更新
https://ameblo.jp/kyupin/entry-10040503085.html
“アベらカルト”
– Поиск в Google
https://bit.ly/2EnuFm4
“《アベ友サポート》勢力”
– Поиск в Google
https://bit.ly/2WfQH12
こういう、ある種のマシンガントークが、病巣かなと思います。
表向きは全然マシンガントークに見えないのですが、綿を装填したリボルバーを持つ群衆が、入れ代わり立ち代わり集団で押し寄せてくるのです。
にょろ郎さんというお名前から、そんなことを連想しました。
悪いのはわかっているけど仕方がないと思考放棄させられてしまうのが、基本(普通)になって、道徳も法律も捻じ曲げられている状態です。
臨床心理学も教科書は教科書、現場は現場と使い分けるのが普通になっています。教授や理事の上に国解議員のセンセイがいますからね。教授会や理事会、学会の要綱から「自治」という文字が消えたのでしょう。
「悪いのはわかっているけど仕方がないと思考放棄させられてしまうのが、基本(普通)になって、道徳も法律も捻じ曲げられている状態」になるのを
「大人になれよ」
と言い換えるとか。
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実際は、そんな感じですね。
発達に障害を起こして現実に適応できないでいるのは、どちらかということです。
ドラゴン
やっぱり大人にはなれない
(こういう意味においては)なれないし、なりたくもなく、なってはダメってことでしょうね。
翠雨先生のコメントのこの部分
“ここのところ「公認心理師」について調査していて、一番衝撃を受けたのが、特色の1つとして掲げられた「連携」の真の意味でした。
世間の人が、「連携するって大切だよね~」というような意味ではないようです。”
とありますが、公認心理師の「連携」とはどんな感じなのでしょう?
横浜の開業セラピストが、昨年、公認心理師受験のための現任者講習会に参加した印象を書いているのが、参考になるかと思います。
「他職種連携、地域連携が公認心理師の最大の業務のようです。これまでリエゾン心理士って呼ばれていたのにおおよそ当てはまります。公認心理師という資格名ではなくて、リエゾン心理士って資格名にしておけば誤解がなかったのかもしれませんが。公認心理師は、臨床心理士から心理療法を抜いて、リエゾンや他職種連携、地域連携に特化させた資格と見て良いでしょう。それプラス多少の心理支援ができる程度と言えます。チーム医療やチーム学校(この用語って流行っているんですか?)の一員としての役割が重視されています」
心理療法などは期待されていない(むしろするなということ)ので、場の空気を読んで同調する能力?が重要です。
なので、研修会の内容がいい加減で、聴いていられなくても黙って受講する忍耐力が要求されたようです。
「事例検討では、ダメ出しすればキリがないので、敢えてバカになり、そこは突っ込まないほうが無難です。チームの一員として没個性になり、アセスメントして、連携して、リファーして、ということしていれば、厚労省の期待する公認心理師役割は果たせそうです。これで正答率8〜9割はいきますね」
こんな感じです。
参加していませんが、さもありなん…と感じました。
organicism からholismへのパラダイム転換が時代精神の要請なので、時代に逆行していますね。
なるほど…。
その視座からしても、妙だと言えますね。
わかりやすいです!(^^)!
翠雨先生&あ*さん
おはようございます
も横入り)の中で何が自分の目的と私を怖がる女性の目的が大幅に食い違っているかに気づかされました
昨日一日中考えていました
先週のカウンセリングでは英国人(最初の1時間はサラだったけど、その後の数時間は初対面のカウンセラーだった)だったせいもあり、日本の状況は全く加味せずにドラゴンと話していた状況ですー彼女はただドラゴンが日本において対人関係を築くことの困難さに注目していたので何となく納得した気分になっていたのですーでも、お2人のやり取り(たまにドラゴン
“心理療法などは期待されていない(むしろするなということ)ので、場の空気を読んで同調する能力?が重要です。”
これですね
トラウマを考える会なのにトラウマ的出来事に同情するだけの流れ作業の繰り返しに何も意味がない事を感じていましたが、いつかそれが変化する事を期待していたのですーでも、それは膨大な時間がかかるという事は明白の様ですねードラゴン
は場の空気を読む事無しに同調する能力が無いという事を再認識させられた経験ですー薬を服用中はボーッとしてるので衝動性が抑えられるのか、議論中も戦闘モードになる事は皆無でしたー「薬を服用させ事=同調させにはモッテコイな武器」なのですね
引き続き、お2人と対話を継続していただける事を願います
是非是非!
ご参加大歓迎でございます
で、ますます幻滅させるようなことしか言えないのですが…。まずは、現状把握ということで。
「トラウマを考える会」と標ぼうされると、まず「考える?ムズカシそ…」と敬遠されて、あとは、目的を完璧に無視して「教えてあげる!」とばかりにマウンティング講義しだすか、勝手に拡大解釈して、わかってもらうとか癒してもらうということを期待して参加するとか、そういう人がかなり混じってきそうですね。
対象者にもれなく薬がついてくるのも仕方がない現状ですが、これが結構、曲者みたいですね。個人対個人で出会うのは簡単ではないような…。
加えて、先の、公認心理師みたいに場の空気を読んでかなり無理して合わせるクセがついている(良識と考えている)ということをよくよく知ったうえで、どう説明しどう舵を切るかということですね。
突然失礼いたします。
ドラゴンさんと翠雨先生にお尋ねさせて下さい。
ドラゴンさんのイメージする理想的なトラウマ会の内容とは具体的にどのような感じですか?体験談的内容を語れる場、そして分からあえることにも大きな意味があると思います。ですが、そればかりでは不毛だと思え、状態が悪くなる一方ではという危惧があり、より良い形とはどのようなものだろう‥と自問し頭をひねりました。
翠雨先生の言いたいことは、本質から反れて依存的な満足を得るとか、薬でまともに話が入らないとか、ただそこでも今までの対人パターンを反復してしまい回復作業に至らない問題とかということの意味でしょうか‥。
また、連携に対しての自身の思いは全くの真逆で、精神障害者の家族会とかは聞きますが、虐待などマルトリートメント由来のCPTSDでは家族会は聞いたことがなく皆無と思えるので、誰も助けてくれる人がいないとなって最後の現実的な助け(働けないお金がない療養するにも家がないなど)となるのは、福祉しかないと思うので、これまでの連携にはなぜその中に心理職がいないのか(自分の経験上ですが)…とずっと思って来ました。生活面を整えるだけでなくじっくり話を聞くことも必要とその中に心理職が混じって働くこと(高い費用がかからずそれを身近に受けることができる)が理想だとずっと思ってきました。
「私の言いたいこと」は、そんな感じです。
後半の、連携の箇所で、福祉の場に心理職がいないという現状についてですが、少なくとも2つの理由があると思います。
1つは、お書きのような対応ができる専門職が消えた(文献に明らかなように昔は心理療法は普通に行われていた)ということです。公認心理師のようなものなら、血税を投入するのは無駄というものでしょう。国も国民もそう考えています。
もう1つは、支援される側が、そういう方法を選ばなくなったということです。
楽そうに見える方法が提示されたので、そちらになびいているという現状です。
アメリカの芸能人を見れば明らかでしょう。依存症の場合、治療を受けますか?刑務所に入りますか?という選択が与えられても、治療は選びません。経済的な問題でないのは明らかなのです。
今では、日本人でも現状のせいにする人は減りました。心理職には期待しなくなったのです。
Rinkoさん
ご無沙汰してます♡
ちょぴっと挫折感を抱いてる今のドラゴン
にとっては難しい質問です
理想的なトラウマ会……トラウマディールする場所
純粋に「トラウマ」の特性を把握していて、自分のトラウマ受容がある程度出来ている状態で自分の体験談をシェアしながらその体験の中で暴れてたトラウマちゃんの正体を客観的に言葉にできる環境の場所かな……
ちょぴっとまだショック状態なのでガス抜きさせてください
今回の事でビックリしたのはSNSで繋がっている事でしたーこちらのセラピーグループではセラピー以外の場所で繋がる事は硬く禁止されてる(インフォームドコンセントにもキチンと書いてあった記憶あり)そして教祖さまに一生懸命に同調しようという雰囲気丸出しー教祖さまからの何か命令が下るとそれに協力しなくてはいけない空気が漂い自分もやらなくちゃいけないみたいな義務感を負わされる事ー教祖さまの会のモットーは設立した後から聞かされて自分のトラウマに対する考え方に対極する考え方であった事に戸惑いを感じましたーでも、直ぐには抜けられない……寄付も出せと言ってくる…..頭クラクラしてます
この期に及んで寄付?(◎_◎;)
ちょっと聞かせてください。
詳細はもう少しドラゴン
の神経系がカームダウンしてから書きますーかなり疲れてます
X
わかりました。
それがいいと思います。
翠雨先生、ドラゴンさん、ご丁寧なお返事どうもありがとうございます。
時間をかけてじっくり自分の内面と向き合うという営みより、支援する側される側も手っ取り早く合理的にスマートに、そんな時代ということなのかなあ確かに‥と思えました。ちょっと分かる面もあったり(^-^;
ふとある話を思い出しました。一昔前は、ある程度の自我がちゃんと育っていたので、発病に至るとそれなりのしっかりとした統合失調症とか発病できていた時代だったけど、養育環境や関係性の希薄さにより軽症化してゆき、しっかりと発病するに至るまでの自我の成長がなく境界例から時代は発達障害へと…なんか一流あるんじゃないかという気がしました。
Rinkoさん&翠雨先生
おはようございます
「時間をかけてじっくり自分の内面と向き合うという営みより、支援する側される側も手っ取り早く合理的にスマートに、そんな時代」
そういう時代のやり方で心の問題が解決するのか?というのがドラゴン
の最近の疑問です
話す場所が無いと嘆く人の為に話す場所を提供し、トラウマに関して全くのど素人がファシリテーターをするーそのトラウマディールはトラウマイベントをリストアップしてその人に寄り添ったフリを提示するだけー心を語る事無く出来事だけを語るやり方ー比較的時間をかけて色々想起された事を記述していく事だけが果たして正しいやり方なのか?トラウマに踊らされる感覚を持たない健常者だったらそれで済むかもしれないー「あゝ お話しさせて頂いた事でスッキリしました」という感覚はあるかもしれないけど、何度もトラウマちゃんに振り回され経験を持つ患者さんに果たしてそれが有効なのか?と思ってますー余りにもトラウマちゃんを甘くみてる気がしてならないドラゴンです
ドラドンさん
確かに今だから様々な会に冷静かつ時折洞察を得たりもで参加できていたりしますが、自分に一体何がどう起きているのかさえ全くわからない最初の状態の時は、感情のアップダウンが激しかったし、会でもやたら怒っていたり、泣いたり情緒不安定で、変性意識状態?で帰りどこ歩いてるかわからなくなったこともありました(当時、最初のとこで薬をしっかり盛られてたことも大きい)。トラウマの話をした時やその上、みんな一緒、誰にでも多少はあることなど言われた際は、自分がなんだかよくわからない状態に陥ってしまったり、そういう関連の内容に触れる(本を読むなど)だけでも意識朦朧や昜怒的になったり、解離症状がひどかったのだと思うのですが、やはりドラゴンさんのおっしゃる通り、喉元過ぎればで忘れかけていたかもしれませんが、それはそれは一筋縄ではいかないものということを思い出しました。そういう時は、やはりラポール(トラウマに対して深く理解されてるという信頼)と、ある程度巻き込まれずに距離をおいた冷静かつ温かい助言をしてくれる存在なしには難しかっただろうなと振り返って思えた次第です。そして、表層的な語りになっていたら、そこから何が気づけるか、自分の思いは…などの助言もすすむべき道しるべになってくれて非常に助けられました。そうでした、少し忘れてしまってました。
急に思ったことですが、心にむき合わない時代、むき合えない時代、心を大切にしない時代、心に向き合うってどうすること?といったのが自身の体験していたことだったかもしれません。
内面を通した関係(親密な関係とか)って目には見えなくて、なので表面的に真似るしかなくて、病いからの回復においても、そういう内面の関わりが普通に体験できてきた人からもっとちゃんと向き合うこととか言われても、最初は意味がわからずエピソードのみを話す始末でした。
アディクションの人とか(処方薬依存の人もある意味そうかと)、私の感覚では外向的な人が多くて、内面性が希薄でひどい人は呆れるほど他罪的で、内省力がなく、また不快な感情とか即座にどうにかしないといられず、抱える器を持ってない人が多いように思えます(自身も今、ある意味器づくりをしているような…)。
心に向き合う、その心はどこにあるのだ、それはどういうことだ、わかる人には当たり前の意味としてわかることでも、わからない人にはわからない、ピアノを弾ける人が無意識にやってることを、弾いたことのない人が意識的に弾こうとしても難しいように…。
国も社会も家族もそういう傾向になってるとするなら…
私は翠雨先生のブログの中にふんだんに作われている画像のイメージ(十牛図とか)やアニメなどのストーリー、その他を通して、それに自分を重ねて想像し感じることで、そして、わかろうとして考えたりして心の作業ができたように思えます。
心を大切にするような関係や環境に縁遠かったものとして、得体の知れない心を内側から体験させてくれたというか…それは単に話をするだけではできなかったというか、むしろネットの良さというのか…ああ、心理ってこんなふうに心を媒介する技があるんだ、こういう助けがあると心の営みの方法をもっと知れるようになり、人は変われるんじゃないかって思ったんです。
ただエピソード話に終始する人っていうのもそういう機会が得られてない人(嫌な人はほっておいて)で悪気はないんだよって思う面もあります。
あ、ごめんなさい。
ドラドンさんになってしまってました
Rinkoさん&翠雨先生
おはようございます
Rinkoさん-お返事ありがとうございます
Rinkoさんがリカバリに向けて色んな状況を通って現在に至るという事を教えていただき感謝です♡ーお時間がある時にリカバリプロセスで生じた出来事を更に教えていただける事を期待しちゃいます
今回の出来事はあらゆる事が絡まって問題として生じていると思いますが、トラウマベースで考えれば、集合した研究会の各個人のトラウマ受容度が余りにも違い過ぎると感じていますートラウマが原因かもしれない?って思い始めた人、トラウマ特性をある程度客観的理論で習得したつもりになってしまったが為に全てをトラウマ特性で解釈してしまう人、薬物を超長期に渡り服用しても治らないからトラウマに理由を見出そうと思い始めた人、トラウマをただの出来事として解釈し自分の対話研究技法を試そうという目的の人ーこういう人たちが集合すれば自然と各個人のトラウマは暴れ出しますよね?(また、トラウマに固執してるドラゴン
です 笑笑)
そんな4人の関係の中では あらゆる依存関係が生じるのだとも感じましたー生来虐めという環境で育ち対人関係経験の少ない患者は心的外傷経験した当事者の中で当初は受け入れられ感を強く感じそのグループがラストリゾート的に感じてしまったーそこにしがみつくためにも全てそのグループのメンバーたちに同調していれば自分は拒絶される事無く孤独感を感じる事はないー自分が他者に同調しているのだから他者も自分に同調してくれる筈だと錯覚を起こすー自分が拒絶されるはずは無いと確信してしまうーだから、主治医にも言えなかった過去のトラウマ的経験を告白出来ると思い勇気を出して言ってみたけど、誰にも相手にされなかったーという事実を目の当たりにして依存する事が怖くなり安全な場所としてのトラウマ会ではなくなった(すみません、この部分は翠雨先生の請け売りです)ーそれを話し相手に徹しなかった相手に感情むき出しで八つ当たりする
こんな感じなのかな〜って想像してます
もう FFF反応は起きて無いから冷静に考えられる様な気になってるけど、まだ感情的要素が混ざってる?
ご報告ありがとうございます
あのような大変な状況を、冷静に観察され時間内に言語化できたことは凄いことだと思いますよ(^_-)-☆
そういう場の流行を全く知らずにきました。
さまのこの度のご経験は、参入するいろんな分野の人たちにとって貴重な情報だと思いますよ。知っておいた方がいい内容じゃないかな…。
このギョーカイの地図(広がりとか気温差とか人口密度とか)も、ひそかに書き換わりつつあるってことですよね。
ドラゴン
ドラゴンさん、こんばんは!
トラウマ(CPTSDの)会というのは、思いのほか難しいのかなと思えている次第です。いくつかそれに似たところが立ち上がっていたものの(トラウマ・サバイバーやAC、ACODAなど様々)、あまり繁栄していない雰囲気で知らぬ間に消えていたりで、単なるCPTSDという集まりだけでは、ドラゴンさんが今回書いてらっしゃるように、参加の目的がかみ合わず、人それぞれ全く違うということが起きてくるのも当然なのかなと思えました。
私が参加していた会は、目的がしっかりしていて、進行やルールなど構造も強固で、理念(伝統)のようなものもあり、目的以外に会が暴走していかないように治療的枠組みを第一に考え(名声を求めるようになったり、支配がはじまったり、人々が集まってくると普通の社会で起きてきそうな事象が起きてくる)、それを未然に防ぐシステムがありました。そこから先は、メンバー同士が依存関係になるのもならないのも、そこで聞いた話を活かすのも悪く活かすのも本人次第という感じでした。
ですが、それに至る本質をトラウマ(CPTSD)に求めていた私には、理想形ではない思いがあり、それでも時々は自分の生き写しのような人に出会えて、深く内省するような話や過去や幼少期のトラウマに触れた自己分析的な語りを聴く機会に恵まれることもありました。ですが、ここが完璧な居場所と思える場所はいまだ見つからず、その繰り返しを十何年続けていくうちに、そこには理想的な場所を求めなくなり、良くも悪くも期待せずたまに気が向いたら参加する程度になりました。
最初は、自分にピッタリ合う場所を求めて、ACやACODAに参加しましたが、生々しい話ばかりで不安や焦燥感が強まり、会の中ではフレンドリーにしようと努力するものの、それに反する何か心の底でうごめいていて、結局次は行けませんでした。話が自己陶酔的というか、病的な面の関わりになっているような胡散臭さが正直ありました。
その話を、当時の通院先のミーティングで話したら、ベテランのケースワーカーさんが、会には”目標””が必要と、経験をもとに話してくれました。森田療法で神経症の人のための「生活の発見会」という自助会がありますが、それも生活面での気づきなど、ちゃんと”目標”があり、通院先のそのミーティングでもやはりちゃんと”目標”がありました。そのケースワーカーさんはグループ作りでは豊富な知識と経験があるようで、”目標”はグループ存続の要素として外せない要素というのは確かなことと思えます。
ちなみにそこで開かれていたミーティングは、参加者の向き合う姿勢や洞察がすごくて、そして、(私も反省するところですが)、生々しいトラウマの話とか病気のエピソード話はしなくて、「症状が…」という控えめな表現で、話しすぎると(本人も聞いている人も)具合が悪くなるような内容はベールに包んでうまく話していて、それよりもその時の気持ち、今の気づき、日常での自分の問題点など、いやらしさのない建設的な内容で、やはり影で支える役割の力量が重要だなと感じました。
1つ今回思ったことは、あまりにも状態の悪いまだ初期段階の人の場合は、会に参加する以前に専門的な治療者の助けを得たほうがいいのではないかと思えたことです。色々冒険できたのも、常に支えてくれる存在があったからです。
思いついたことをたくさん書かせて頂きました(‘◇’)ゞありがとうございます。
Rinkoさん
おはようございます
「あまりにも状態の悪いまだ初期段階の人の場合は、会に参加する以前に専門的な治療者の助けを得たほうがいいのではないかと思えた」
全く同感です
全くトラウマディールをやっていない人がいきなりEMDRやCBT、SSTなどのトレーニングをしても無意味な様に ただ皆とトラウマ的体験を披露しあうことは自分が傷つくだけなのですよね
トラウマディールをやってるうちに自然とトラウマの特性が解ってくるから目の前に起きた問題をどうやって解決すれば良いかが考えられる様になるのに、トラウマちゃんをそのまま野放し状態でどんなトレーニングをしても治ったフリするだけの完治の道を辿ってオクラホマダンス踊るだけでしょう♬
今回の初日本語トラウマ会参加は凄く多くの気づきを頂けた様な気がしますーまだ、結着はついてませんけど、昨日最終的な意見書を書き終えましたー酷く感情的に「全てドラゴン
が悪い」とだけ主張される方に対しては 対話法の犠牲者になってしまった事をお悔やみしながらトラウマ受容過程で生じる葛藤による私への八つ当たりをしないで頂きたいとだけ申しあげるつもりですー彼女に意味通じるかな?とも思いますけど….
先生に2015年(?)に出会って以来、ずっと見守ってくださっている感覚を持っていられたからですーそれと共にここで日本語の対話をとっても受容的に練習させて下さった事が話をしようという自信にも繋がっていますーこれは自分の身体が裏返しになっちゃうくらい心の底から感謝感謝です♡ーリアルなセラピーだけではここまでは来れなかったと思います
どうでしょうね
は対話技法よりもトラウマちゃんを考えた方が有効的だと思うのは翠雨先生の影響かな……笑笑
あの対話技法を日本に導入しようとしたお方も最近はどことなく意気消沈しておいでで、日本では無理みたいな事を言ってますねードラゴン
ランチにお出かけしてきます
お役に立てたなら何よりです(〃▽〃)ポッ
あの対話法はEMDRと同じで、理論的には素晴らしいのですが、トラウマを知らないで導入すると、無意味どころか、PTSD発症リスク(専門職としての存在否定)くらいの返り討ちに遭うのかなと確認できました。あの分野からの教育分析&スーパーバイズ依頼が増えそう!(^^)!
翠雨先生
おはようございます
思ったよりも穏やかに解散会議が出来たと感じました
ファシリテーター&当事者2名は トラウマを全く無視している事を再確認した最期の会議でした
ファシリテーターのトラウマ概念と私のトラウマ概念が大きく異なる事が明確になったので簡単に話し合いは進んで行きましたー個人的感情を剥き出しにしていたひきこもりちゃんの事に関してのフィードバックはご本人の主治医による客観的見解を考慮して会議中には触れずにファシリテーターにメールで私が感じた事を報告するという事になり先ほど完了!
これで恐らくきっぱりと抜けられるという感覚で気分が軽くなりました
これからは無闇やたらにトラウマ関連に首突っ込む事はヤメにしますートラウマ受容度合いの差でどれだけ騒動が起きるかを散々、先生のこのブログで教えて頂いているにも関わらず、「日本語のトラウマ会」という表面の名前に連れられて入会してしまった事、3日くらい懺悔します
この騒動に関して色々な助言や経験談を教えてくださった翠雨先生、Rinkoさん、あ*さんに感謝感謝です
解散おめでとうございます
参加者にとっても背後にいる人たちにとっても、学びの多いトラウマ会になりましたね。
トラウマを無視してトラウマの凄さが怖いほど実感できる(◎_◎;)という不思議さです。
やってみなければ、言葉で説明してもわかりにくいことなので、実験自体は悪くなかったように思われます。
終わりよければすべてよしという感じです(^_-)-☆
これから今の余韻が残ったままサラの宿題書きます
この騒動は色んな要素てんこ盛りです
先生の集合的無意識の図をちょぴっと眺めながらランチに行ってきまーす
x
!(^^)!
おはようございます
凄い勢いで宿題完了してしまいました
その中で凄く気になったのがHSP(hypersensitive person)ですーこれは生まれつきのものなのか、それともアタッチメント不成立から来る感性なのか?それとも…….??????(すみませんーメルとウイニペグおじさんの影響でアタッチメントに固執し過ぎかもしれない)
HSPの8要素https://youtu.be/zP1Ac8fXBjEって誰にでも持ち合わせてる事だと思うけど、何故、特定の人にその診断がされるのかが不可解で…..この診断もマークシート方式なのかな?って疑いたくなります
診断名をつけられるタイプというのは、説明を鵜呑みにしてなり切ってしまう人たちが多いのではないでしょうか。
あるいは、そういう医者を目指してわざわざ出かけるとか。
Rinkoさんのこのコメントで感じた事
”アディクションの人とか(処方薬依存の人もある意味そうかと)、私の感覚では外向的な人が多くて、内面性が希薄でひどい人は呆れるほど他罪的で、内省力がなく、また不快な感情とか即座にどうにかしないといられず、抱える器を持ってない人が多い“
内面性が希薄で呆れるほど他罪的で内省力がないのはHSPという診断名がcatalyst (触媒?)になっているのかな?って思いながら宿題書いてました
自分とHSP診断を受けた人と何が違うのか?ってずっと思っていたのですー感性を医療で診断されて自分はHSPだから特権があるかのような攻撃の仕方にドラゴン
は何も言えなくなりましたーそして「ドラゴン
の感性が怖いんです、個性が怖いんです」と言われて何て答えて良いのかがわからなくなりFreeze状態に陥ってしまったという状況でした
それは違いますねー!
とは言え、100%ということはなく、本当にそれで困っている部分と疾病利得的勘違いの部分といろんな面があるのかなーと。
そういえば昔、発達障害と診断されてる人に自分の特性を考えた説明をしないからネットで無駄な買い物をしたと責められ驚いたことがありました。ある意味そういうとこが障害なのかな….と。
話が飛びますが、HSPという観点でマーシャリネハン本人が、境界性人格障害と診断され精神科に2年間入院させられ、人間扱いされなかった経験を元に(その後の人生は不幸になるとサマリーに書かれいたらしく)病院を脱走してその後一念発起で開発したDBTでは、HSPはもともとの過敏な性質+不承認の生育環境が重なることとありました。
やっぱりそういうとこなのかぁて感じました。安心できる環境でないと外にアンテナを過敏に働かせてないといけなくなり、安心して居られる場所っていま少ないような気がしてます。
おはようございます
Rinkoさん&翠雨先生
たくさん言葉のシャワーありがとうございます
植樹を近日中に行うつもりですーお庭がパイナップルプランテーションになる日はそう遠くないと思います
今朝はやっと今回の騒動をイベントとして受け入れられてる感じかもしれませんー昨日まではまだ多少自分の神経が興奮状態だった事は事実ですーきっと、この騒動を記念して新たなパイナップル
昨日、自分のリカバリにはとっても大切な2つのポイントなのではないか?と思う事をとあるお方に教えていただきましたー全く、今の自分には無いものです
まだ、何となくなくしか把握していないのですが「投影の引き戻し」、そして「曖昧な状況に身を置く事に対する耐性」ー この2点をゲット出来たら自分のリカバリには相当な武器になるのではないかと感じ始めたら、オンラインサロンで起きた大騒動によるトラウマティックイベントなんかどーでもよくなってきました 笑笑
凄い回復力(◎_◎;)



は、ドラゴン
みたい( ̄∇ ̄;)
なんでも栄養にしながら、どんどんパワフルになってゆかれますね。
そう言えば、パイナップル