東京都豊島区池袋の
ホテル客室で
袋に入った女性(36)の遺体が見つかった事件で
逮捕された大学生(22)は
演劇の脚本「死後の世界」を書くほど
死について考えていて
その昔「うつ病」と診断されたPTSDだけでなく
PTSDの人は
普通の人より死が身近にあります。
この記憶が
つい最近のように
死神のように付き纏いますから。
ネット上に「自殺志願者募る」と投稿し
被害女性と「事件当日に初めて会った」際
犯行道具を持参していました。
まるでネットビジネスです。
動機は
世間を震撼させた
この事件と同じだったわけですね。
現在のところ合法的な類似サイトがあるので
(ADHDという架空の病をでっちあげ
子どもを薬漬けにした医療の悪徳
そこに誘導した心理職の悪徳)
時代の変化に対し
司法は後手後手なので
いつかは犯罪となるでしょう。
勘違いが起きたのではないでしょうか。
>PTSDの人は
>普通の人より死が身近にあります。
自分の非常識さを露呈してしまう書き込みかもしれませんが。
いつの頃からか、「登山で亡くなるのは好きなことをしていて亡くなるのだから良い死に方」、「魚釣りに行って、滑って頭を打って亡くなるのも好きなことをしていて亡くなるのだし、苦しむのが短いから良い死に方」と考えていました。
最近、意を決して一般の方が集まるヨガ教室に行きました。身体を動かしている間は別にいいのですが、後のお茶の時間になると話が合わずに困りました。
山の落石で人が亡くなった話題の時に、「かわいそうね〜」と言った方がいて「ね〜」と共感する声。
私の頭の中では「死に方としては、いい死に方だ」と浮かびましたが、そんなことを言っては「この人は何を言っているのだろう?」と思われるかもしれないので、黙ったままでした。
自分の感覚でいうと、「かわいそうね〜」と言うのはなんだか嘘くさい。 「本当に思っているの?」と思ってしまいます。又は「自分は何故かわいそうと思えないのか?」と考えてしまって、いちいち考えるのが億劫になり、ヨガ教室からは足が遠のきました。
めんどくさい書き込みですみません。
失礼しました。
よい非常識ではないでしょうか。
ヨガをしながら、そういう会話になるグループの哲学が問われています。
体操してるだけでこころとからだがヨガ(結合)されていないのです。
そういう場所なのだということで、無理せずご自分を責めずお気楽にどうぞ♪
お邪魔します
トラウマサバイバーさんのお考えにとても似たところがあり、自分だけではないのだという安心感を感じました
幼少期からずっと自分が変であると感じていたのは自分が素直に感じた事を発言する事に周囲が反論して来る事が多かった事がその原因の1つでもあったのです
例えば、近所にいた家庭内不和だった奥さまがバルコニーで自殺したというお話を聞いた時に ドラゴン🐲が「よかったんじゃない」とポロっと口走ってしまい、親姉妹から酷く非難されましたードラゴン🐲が意味した事はその奥さまがもう苦痛に悩まされる事なく楽になれたから「良かった」と表現したのですーでも、親姉妹はそれを不謹慎な表現とドラゴン🐲を責め立てた事は忘れられません
トラウマが深く身体に刻まれた患者さんは思考プロセスがそうでない人と何か異なった特性があるのかもしれませんね
似てる似てる(^^♪
聞くだけで、苦しみに焦点が当たり、内から寄り添って考えるスイッチが入るわけですね。
トラウマが引き寄せるような不思議なメカニズムです。
稀有な共感力の凄さをまず認められれば、自己肯定感に支えられながら、さらに考え続けることができたのに…と思いました。
確かに思考の順番が違う子は誤解されがちで大変そうです。
こんばんは。
翠雨先生のおっしゃる通り、PTSDの人は普通の人より死が身近なのかなと思います。
ドラゴンさんが「よかったんじゃない」と仰った時にはすでに相当お辛いことがおありだったのかと思いました。
よくよく考えるに、私の場合は父の死生観を受け継いだのかもしれません。
父は5才の時に、母親を脚気で、幼い兄弟を三人乳児脚気や栄養失調で亡くしました。その後で継子いじめにあった話はよく聴きましたが、家族を亡くした悲しみについては殆ど聴いたことはありません。
ただ墓参りの時にいつも「死んでも命のあるように、てってよ〜」と言っていました(まだ存命ですが)
そんなこんなで、父は「遊びに行って死ぬのは本望だ」と言っていたような気がします。
実際にはそこまで単純なことではないとは思うのですけど。
そうですね
「よかったんじゃない」と言って非難された時は自殺未遂してから3年くらい経った頃だったと記憶していますー「よかった」という共感の思いよりも、実際は苦痛から逃れる事が出来たその人が羨ましく感じていたのだと思いますー当時はトラウアマとか心理とかは全く無縁の思考生活をしていましたーただひたすら息して普通の人のフリをする事が苦痛でたまらなかった時期だったと記憶しています