1月8日の
第一回公判で
「暴れ」て休廷となり
右手小指をかみちぎろうとしていたと
報道されましたが
あきらめていなかったらしく
翌朝に決行されたそうです。
第2関節は難しいとわかり
第一関節に変更し
拘置所の
看守や
監視カメラに気づかれないように
できるだけ静かに決行。
自殺を試みる人もそうなのでしょう。
一貫して
「自分がやったことは正しい」と考えているようですが
自分も死刑囚となれば
生存に値しない人間となる覚悟
憑りつかれたように「正義感」に酔うだけだった状態から
(最初から)被害者家族には謝りたいと思っていたとか
被害者についても安楽死にならなかったことを申し訳なく思うと
少し変化してきていて
一面的に
強烈な光(意識)があたる性質
謝罪のしかたに関心が向いていたそうです。
「言葉だけの謝罪では納得できないと思った」
「今できる一番の謝罪の仕方と思った」
対話しない場合
考える材料は
頭のなかにしかありません。
指を切ると言えば
これですね。
しっかり覚悟して約束しましょうねという
教育的配慮が遊びになっているのは
ユニークですが
穏やかではない文面だと思えば
遊郭から
現代人が芸能人のマネをするようなもの
ランドセルかと揶揄される
お太鼓結びも芸者から
暴力団まで
昭和までは日本刀が主流だった。
小指がないと握る力が半減する。
疑似家族の関係において
情を疑わせる行為に対して
他に
抗議とか真剣度を示す場合もある。
目に見えるかたちで
情を示してもらうという思想のなごりです。
現在は
こういう要求は
暴対法で禁じられていて
示談金での解決の方が好まれるようで
被告もお金を送ろうと思ったのですが
拒否される可能性が高いと考え直し
こういう結論になったようです。
遺族が望むのは
こころからの反省で
それには
なぜこのような事件を起こすようになったのか
振り返る必要があるわけですが
生い立ち等については聞くな!オーラが
激しいそうです。
お金にも
生き金と死に金があるように
より受け入れがたい災難を避けるために
トラウマケアのために
真実を受け入れる恐怖
捧げるのは死に指と言って
自分の顔に免じてという
仲裁のためなら生き指
やくざな世界でさえも
どういう理由でも奨励されません。
忌み嫌われるそうです。
次は
どのようなかたちで謝罪しようとするでしょうか。
おはようございます
「生い立ちについては聞くな!」オーラが出ているのは何故なのでしょう?
自分でも解らないトラウマにご対面するのが怖いのか
トラウマの正体が掴めないから余計に辛いというのもありますねー正体が掴めないもどかしさも酷い苦痛ですよね
それともトラウマちゃんを墓場まで持っていく決心をしているのか?
このお方、人格全員会議が行われていないみたいですね
人格の1人が抜けがけして外のヒトと結託しようと一生懸命みたいー凄い葛藤と闘ってるのでしょうねー薬無しではやってけない葛藤だと想像します
脳内も独裁政治なんですね。
悪夢を見ないように処方してもらってるのかな。
傍から失礼します。
そもそも、何故、大麻に手を出したのか?…ということですよね。ハッピードラッグ路線ではPTSD問題に対処できないということは、私どもには自明な気がするものの、(世間さまではそうではないから)東京大学医学部精神科の教授がまさに “《アスペ》にオキシトシン” でした。我が家では息子と二人で「バカじゃないのか?どうしてそうなる?」と話したけれど、結局、さっぱり判りませんでした。
“《アスペ》にオキシトシン”
– Поиск в Google
https://bit.ly/2NpNmdm
オヤジも欧州でヤられちゃって、誰かにアンフェタミンを持たされたし…
件の西洋白人女性が暗躍したことは、まず間違いありませんね、〇〇学会とのコネクションは確認されているわけですし。やはり “女性の悪用CIA方式” でしょうか? 真性CIAエージェントなら、年端のいかない子どもの顔面に故意にタバコの煙を吹きかけたりはしないでしょうからねえ。
“女性の悪用CIA方式”
– Поиск в Google
https://bit.ly/35NQuX6
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そうですね。
何もパキシルから始まったことではなく、薬物は昔からハッピードラッグ路線なのです。
開き直って使用するような人たちは、重篤な未治療PTSDなのに、思想家のように自己主張するようになります。
薬効により自身に世相の問題を浮かび上がらせるモルモットに志願しているとも気づかずに…。
ボランティア治験です。
この人の場合は、障害者(心失)は安楽死させるべきと主張させられ、措置入院(心失認定)させられた直後に(恐怖から解離して?)このような事件を起こしたそうです。
ヒトラーについてよく知らず(障害者大量殺りくも行った)、ただ集合的無意識的なあいまいな記憶に自我が呑み込まれてしまったようです。このようなイメージも心理療法の中で取り扱われればよかったのですが、行動化(アクティングアウト)してしまえば犯罪です。クスリをつかった精神科医療の危なさも証明させられている時代のカナリアなのです。
CBT批判の宿題やりながら、先生とここでお話しさせて頂いて再確認した事ですが、ヒトって感情x思考が一致していないとやはり治療すら開始出来ないのだと実感していますー未だにドラゴン🐲は感情と思考がチグハグな時があり、ホントの自分感性はどれなのかが解らない時があるのですー音感みたいにポータブルな数値で絶対値を示してくれる装置があると良いな〜♫そしたら、自分の感じてる音は正しくてママの音が間違ってるって証明出来るwー自分が悲しいのか楽しいのかがわからないから機械に指をかざせば「悲しいモード100%」とか提示してくれる様な…..そしたら、それに従って思考開始&行動開始出来るのに….って思う大雨の朝です
症状について、言葉で情報を交換するだけでは、超えられない壁があるようです。
傾聴や共感の大切さと難しさが改めて浮き彫りにされます。
ありがとうございます😊
CBTを受けている時に私は強引に感情と思考を一致させなければいけないと思わされていましたーそうで無い限りあなたは治らないというプレッシャーをセラピストの言葉から感じていたのですー特にグループセラピーでCBTを受けてる時は皆んなが出来ている感情と思考を一致させて言語化している事が何故自分には出来ないのか?という事に葛藤を感じた事を記憶していますーそうすると人の感情x思考の繋がり方をパクっている自分の存在を感じた事があります
やっぱり意識の部分だけの治療ではドラゴン🐲は治らないのだと再確認してます
ありがとうございます😊
セラピーのなかで時間をかけて探ってゆくべき課題ですから、片づけて入ろうとするのは無理がありますね。
CBTの方法論に加え、グループの負の要因も重なったのだと思います。
断薬や断酒の会でもよくある話のような気がしました。