あまりに凶悪なので
子どもたちもポスター描いて
PTSD予防(こころのケア)
社会的に大きな関心を集めた
常磐自動車道でのあおり運転でしたが
7月27日の初公判で
水戸地裁
頭を丸めて登場した容疑者は
小さく見え
痩せたからか
威圧オーラが消えたからか
あまりに声が小さいので
裁判官に
もっと大きな声で!と促されながら
起訴内容を全面的に認め
深い反省の意を表明しました。
まるで別人ですが
精神科に入院したことがあり
精神鑑定では
「パーソナリティー障害」の一種との診断
退院後
何年にもわたって受けていた
服薬と定期的なカウンセリングを
クスリがないと
あの仕上がりにはならないのかも
自分からやめてしまったあとに
「カウンセリングに行かなくなってしまい
自分を振り返ることも
誰かに相談することもなくなってしまって
考えが独りよがりになっていった。
自分のなかではそれは大きな失敗だったと思います」
事件を起こしたことが判明し
裁判官からは
「物の見方、考え方を直すということに
あなたが積極的に関わっていかなければならない」と強い調子で
説諭され
「相手が急に割り込んできて
嫌がらせをされているのかと思った。
それでこちらも同じようなことをして
仕返しをすることで
相手にその危険を教えたいと思った」のだったが
認知の歪み💀あるある
「冷静になれば
自分が勝手にそう思い込んでいただけで
相手に悪意はなかったと思います。
明らかにやりすぎでした。
恐怖を与えたことや
一歩間違えれば大事故になっていたことを思うと
とても申し訳なく思います」
今後はきちんとカウンセリングを受けるという
決意を表明しました。
田代まさしさんも
依存症の人たちの支援をし
講演もする立場だったが
ダルクをやめて
この方法では
夢にも見るのに(それを否認し)
「一日やめる(我慢する)」ことしかできず
理不尽ないじめがないだけで
刑務所とそう変わらないことを学び
(刑務所なら無料・ダルクは生活保護費献上)
別人格がこんな風に歌っていたら
解放的に表現すれば治るものでもないです。
一緒に歌うのは
共感でも傾聴でもないです。
5度目の逮捕となったのでした。
『アジアの純真』替え歌
心理療法の終結の仕方は重要なのです。
「心理療法の終結の仕方は重要」
薬飲みながら心理療法を受けてもそれはホントの自分が治療を受けていないと思うのです。
お薬で「模範的な患者のフリ」して「認知行動療法を習得」すると、その仕上がりは「外側だけ強引に綺麗に修正されて内側は歪んだまま」の嘘つきが出来上がるのです。そこで断薬すると、どーっと過去の記憶が蘇って来るので百花繚乱な舞い踊り♫ そこから第二の治療が始まる感じかな….お薬で大人しくさせられてソーシャルスキルとしてのCBTも無駄とは言わないけど、仕上げを急ぎ過ぎてチープな仕上がり♫(健康保険で一丁上がり!)。そうなるとこういう犯人さんが出来上がるのかもしれません。キチンとしたCPTSD治療のスタートは先ずは薬を抜いて自分の存在を自分で確認出来る様になってからですね。
トラウマの世代間伝達するのを目の当たりにした先週でしたー後ほど、ご報告させてください
途方に暮れて、薬を飲む人生を選ぶ人たちがいるのは仕方がないかな…と思ったこともあったのですよ。
それはそれだけでも、とてもつらい人生だと思うのですが、それでは済まなくて、やっぱり辛すぎるから、(それを補償するために)治ってないのに治ったと思い込んでしまう等の勘違いも起こすし、それでは公認心理師主催の嘘つきクラブの外では生きづらくなってしまい、本当に厄介な問題を抱えることになるみたいです。最近は、(完治させたと豪語しながら)都合のいい時だけ「○○病だから理解してネ!」という戦略も破綻してますしね。
せめて、薬だけにして、認知行動療法はやめておいたらどうかと思いますが、どうしてもクライエントを破滅させたいのでしょうか。
続報も楽しみです♪
断薬後に自分が見え隠れして来ると習得したCBTが患者を苦しめるんです。
10年くらい前は統失にはCBTは有効ではないと言い切ってて、聴声への対処は消えるまでお薬だったのに、最近はCBTで聴声対処するのが流行ってるみたいですね。
勝手に進化するCBTみたいです。ー只今、お勉強中です。
そうなんですね( ..)φメモメモ
やっぱりオウム式(クスリと恐怖で洗脳)の条件づけは禍根を残しますね。
そして、それを施していた方も、ますますおかしくなる(もともとおかしいからそんなことをしようと思う)、妄想発展型のCBTかな。
黎明期の行動療法家は、ただ頭が固いだけ(無意識の存在をよく知らない)だったと思いますが、精神分析かぶれの成れの果て(標準大学教育の心理学講座を受けた後)でたどり着いた場合は、大きな【否認】(自分が到達していないだけで、本当は何が正しいか知っている)があるから、そうなるのかな。
精神分析かぶれの成れの果てで、CBTをアレンジしてしまったのが、恐らく今やってる幻聴にも有効なCBTの理屈なのだと想像してますーそこには「否認」が存在しているのですねーそこ考えながらお勉強していきますー私って、何故か自分には有効では無いと感じるモノに興味をそそられる妙な癖があるみたいで….アンタゴニストな遺伝子🧬のせいかな?
ご自分には有効じゃないと感じるものに向かうとは、奇特ですね。
そういう人がいて、救われることも世の中にはあるような気がします。