沖縄在住の障害者の発言が
障害を負い生活が不自由になることは
誰にも起こりうることで
PTSD予防案件ですから
公共の福祉に関する大問題の1つです。
注目されています。
骨が折れやすい障害をもって生まれてきたけれども
その運命を受け留めながら
努力して
妖精のように軽やかに動ける。 ←【過補償】@アドラー心理学
車椅子で生活できるようになり
さらには
車椅子のまま乗れる自家用車でどこでも自由に行ける。
コラムニストとして活躍し
重要な言語化においても【過補償】レベル
PTSD問題について
当事者の立場から発信するという立場は
素晴らしいと思います。
「わきまえる障害者になりたくない」と豪語され
健常者を教育するために
わざと無理を通す。
違和感を感じても
横車椅子と呼ばれる。
それを言葉にすることが憚られていました。
健常者も障害者も感情が動かされながら
【タブー】と感じて口をつぐむ。
今月になって
指示通りに動かなかったJRの姿勢を批判したことから
結局は思い通りになったが
当たり前のように対応しなかった。
ご自分のことを「姫」と呼ぶ方なので
無理の通し方がどのようなものであったのかがわかり
車椅子で乗れる自家用車を所持しながら
車椅子対応ができない駅に出かけて
間違った法律解釈を振りかざしながら ←速攻論破されている…
駅員らに危険行為をさせ
(就労規則に反する)
それが当然という態度
障害の程度について虚偽の申告をしたり
重介護を受けるため
子ども料金でディズニーランドに入園したりする様子を
自慢気にSNSに投稿していたことも発覚しました。
慌てて8割削除
お手紙来るかも…💦
さらにこうなると…
罰金刑はない…💦
こういった日常を一緒に過ごしている
ヘルパーにも偉そう💦
5歳と3歳の子どもの教育環境は劣悪です。
負の連鎖リスク
オ●ム真理教(●レフ)の子どもなみの虐待環境
アドラー心理学は
【劣等感】の克服の仕方が
普通に考えられているものではなく
誰にでもあると考えます。
例えば赤ちゃんは劣等感のかたまりで
日々無心に努力しているけれども
(首が座れば上体おこし、寝返り…
プログラムはどこに入っているの?)
知恵がついてくると
努力することをやめてごまかしたりする部分も増えます。
性格をつくると言います。
教育相談の現場でつかえそうな理論が満載なのですが
日本ではヘンな輸入のされかたをしていて
例えばこんな本にかぶれてしまったのでしょうか。
教育は大事です。
障害もトラウマとなりやすいので
アドラーも病気のデパートのような子どもだった。
こころも繊細で哲学的難問に取り組んでいた。
しかしPTSD患者とならず
圧力団体も結成せず
真に当事者支援に生きた
当事者研究のお手本
こころのケアが大事です。
PTSD予防のことですね。
日本のあちこちでこういう人が増えているのだと思います。
外から日本に入って行く概念。
その多くの概念が日本の歪みに適応されてしまっているという事ですね。
ですから、いつのまのか日本に居る日本人とは異なる認識になってしまう…….
この体験を一年くらい前にした事があります。同じ日本語で話しているのに話が通じていないと思ったのはそのせいだったのですね。
当事者の立場から表現しようとするともの凄い批判的になってしまう事がありがちです。その批判の背景にある感性も凄く大切なのですけどね…..ドラゴン🐲も言葉を選択しながら気をつけて書いてます。
「当事者が批判的にモノを言う」というのもトラウマ反応ですね。納得😺
そういうことですよね。
私も会話ができないタイプの人たちの思考について、ようやく少し理解し始めたところです。
「あ、トラウマ反応だ」と思えば、冷静に対応できます。
大ヒンシュクのお話ではありますが、それ故に、横車椅子さんの事例の功績も大と言えそうです。