「神嘗祭賢所の儀」
26日に小室圭さんとご結婚
ににこやかな表情で手を振られ
沿道から祝辞が聞こえたとのニュースに安堵
皇后さまは
ご公務をされるようになっている。
体調を考慮して
見送られました。
適応障害とも診断された。
美智子さまもバッシングには即適応できなかった。
診断名はバラバラでも
同じ問題であることは明らかです。
国外に出るだけで治るとは発言されていない。
不要なストレスを避けることはPTSD予防の第一原則
フラッシュバックも起きるというものですが
真子さまが悪いとかそういう話ではないですよね。
国民の正当な批判が
真子さまを複雑性PTSDにしたというのか💢
との批判は筋違い
PTSDのメカニズムを復習する好機です。
具合が悪くなる理由の1つに診断名を人から指摘される事があります。これは自助会では暗黙の了解で絶対に人の診断名を口にはしないのです。忘れもしません、プロのカウンセラーを自助会のファシリテーターにお招きしたら、彼が1人の人に向かって「あなたはボーダーラインだから….こう言う風に考える傾向がある」と発言。もう、そこから大荒れになった経験が…..
何か朝からラットボックサーにイチャモンつけられてます。自分がやりたいお勉強も見えてきたのでそろそろあの場を去ろうと思っています。
一億総精神科医のように診断する時代ですからね。
他人を病気扱いしたい放題です。
精神科医の診断が正しいということでもなく、専門家が旗を振ってますから世も末ですね。
イチャモン手法も知られてます。
見極めたあとは、しっかり記録して、適切な場所に移動しましょう。
そこからが本番です♪
ありがとうございます♪
私の態度が悪いと言うイチャモンをつけられてます。
北米診断基準を取り上げて小論文書くと点数が上がった事を話ししたり、CBTは英国の教科書にはメンタルヘルスには有効ではないって書いてあります。と言う発言がよろしくなかった様子です。心理学がどんな学問なのかを〇〇〇〇〇の心理学を読んで勉強してくださいと言う要求。私は今、無意識のお勉強していますから無理です。ハッキリ言ってBAでお勉強した心理学って何も意味なかったのに……だからその後トラウマトロジーのお勉強に変更したんだけど……トラウマトロジーは心理学の分野ではないみたいですね。以前、翠雨先生もおっしゃていた様にPTSD心理学がどうしてないんでしょう?PTSDを知ればヒトの関係性も凄く良くわかるのに……
こちらの学校も課題が多いし、仕事も継続したままだしもうあそこは辞めても良いですね。
朝からラット作業員と話していて酷く疲れてしまいました。もうランチタイムです。
これから学校の宿題やりますね。
別に日本語でやる必要もないし、これから5年間は無意識ばっかりだから没頭したんです。見極め時かもしれませんね。
前提がご都合主義なんですよね。
付属の学習システムも、都合の悪いことを学ばせないことを主眼に無駄に忙しくなるように設定されています。
マナー講座とかパワハラ研修会(意味がわかっているのか…)まで動員してきちんとやってますアピール💦
まずは好きなように研究や仕事をして、余剰で納得の上でボランティアということでいいと思います。
あざとさをとことん見せつけられたなら見極め時ですよね。
わかりました。
あの場所が私に着ぐるみを着せてしまうのです。
ドラゴンは着ぐるみを着たくはないのに着ぐるみを着なくてはならない状態だったのです。
翠雨先生、心から感謝申し上げます。
普遍性のある着ぐるみ理論は元型なのかも♪
わりとよくあることみたい…
企画そのものも実験なのですよね。
最初から結果は決まっていて、その結果に行くように誘導してる人が必ずいる。
着ぐるみを着て何も違和感を自身の中で感じなければ何も問題は起こらない。でも、必ずと言っていいくらい誰でも「?」と感じる事があるはず。そこを自分の意識に持ってくるか否かでその後は大きな変化が起きる。
着ぐるみ着たままで、詐欺師のまま一生を過ごせる人たちが羨ましく感じます。何も罪悪感を感じないのでしょうか?
こういう風に考えるドラゴン🐲はやっぱり狂ってるのかな?
S先生に「スコットランドランドへ行って消え失せろ」と言われた時も同じ感覚をゲットしたのです。着ぐるみを着れば、S先生の言う通りの解釈を受け入れる事も出来なくは無い。そして、S先生が誘導する様に従えばドラゴン🐲も治った人としてS先生企画のパフォーマーになれたと思うのです。でも、ドラゴン🐲のトラウマ概念感覚がS先生のそれとは違うモノであるというのを無意識で感じていたのだと思います。だから、素直にS先生の言う事には従えなかった。今は確実にS先生のトラウマ概念が自分のモノとは異なっている事を認識出来ているので無問題。着ぐるみを着なきゃいけない時って、違いがあるけどその違いが何なのかがわからない時、また無意識では感じてるけど意識には移行していない時に着ぐるみ着用するみたいですね。当たり前の事を改めて書いてしまったドラゴン🐲です。シャワーして来まーす。
この国では、狂わずにいる強靭な神経の持ち主を狂人と呼びます(笑)
言われた回数は勲章の数みたいなものですよ。
タッピングで記憶が書き換わるようなやわな神経こそ鍛えねば!治るものもなおりません。
今年はいつまでも暑いので、着ぐるみ着る人減ったかな…?
花嫁さん👰は見られず、小室さんの断髪✂を行った美容院が大注目だそうで。
スキンヘッドじゃ違いはないかもですが…
髪も爪も財産も奪われて追放されたのちにスサノヲは英雄となり、古事記の基礎をつくるのでしたね。
傍から失礼します。
子:何故、白衣を着るの?
P:白衣というのは「汚れていません」アピール。本当は、とっても汚い。そして…「信じる者は騙される」
子:へ〜そうだったんだ…orz。
Pは、Pope、Parents、perpetrators…
“大人の連帯” (©︎ 創価学会の西洋白人女性)
= “perpetrators チーム” 結成 spirit…
このような[政治弾圧]spirit を “team spirit” にしているPTSD否認=社会病理に浸かり切った日本では、
理系センスの日系男児は殺され放題になって当然です。
我々も連中にヤられっ放しで、最初にオヤジがヤられてしまいました。
かつての翠雨先生のコメントを参照しやすいように
https://franoma.info/気仙語聖書
という短縮URLを作りました。
オヤジは、ローマClub から Pannónia を守る子孫すなわち hazafi を残したかったのでした。志は、ローマClubに潜入した(?)創価学会の親分[政治勢力]によって、あっさり社会的に潰されてしまいました。連中の狙いは、常に[政治弾圧]だからです。多勢に無勢ですよ。
どうも、お邪魔しました。
白衣を着た売人という言葉の含蓄を理解しました💦
「お気持ち民主主義ケイサツ」は十字軍なみに暴力的です。
押しかけられたら最後、対応できる人間はいませんよね。
傍から失礼します。
«調理時間は、麺と卵を茹でる時間だけで約10分くらいです!鶏とハムは前日の残りでした。ポイントはいかに素材そのままで出すか!(笑)きゅうりもバキィッと折っただけです。»
https://www.fnn.jp/articles/-/6452?display=full
という記事が出ていました。
何だか病んでいますね…
愚息が幼い頃は、ベランダ菜園をやることで、収穫したら各人が好きに食べて良いことにしていました。
キュウリ🥒が好きならキュウリを作れば良いでしょう。食べる人が食べたい時に食べ頃のキュウリをもいで、さっと洗って、もろみを付けて食べたら美味しいでしょう。
「簡単に」と「ひと手間かけて」という日本語表現に当人のCPTSDが見えるでしょう。英語表現だったら、両者の区別はなくて、直観的に、
“just make it and eat!”
ではありませんか?
義姉は共立女子短大の英文科を出た秀才で、お茶もお花も習い、我々よりも家の格も高いのに、CPTSDなので、私どもに[八つ当たり]する訳です。やれやれですよ。
最近は「ひと手間かけて」と言うのがツボっているので、それは素晴らしいことですねえ…としか言いようがありません。愚息は「距離を取るしかない」という意見ですが、idthatid さまと同じで、突撃してくるのです。つまり[投影]してくるのですね。みほチャン@物理学会みたいに “just do what you will do!” というのが出来なくなるのがCPTSDでしょう。
iPhoneから送信
おはようございます。
ビジュアル的には斬新なお料理ですね。
ドラゴン🐲ママもこれを見たら一言何かを言うのは想像がつきます。ドラゴン🐲は何も問題無いと思いますけど。「ひと手間かける」のは日本文化だと感じています。胡瓜🥒を美しく切って盛り付けるワザに日本を感じるお客さまは多いです。たまに我が家にやってくる西洋のお客さまの前では思いっきり「着物着た着ぐるみ」着て日本文化を大サービスして、きゅうりをデコラティブにカットして盛り付けるワザをご披露します。でも、家族のご飯の時は、スライサーで切っててんこ盛り状態で取り分けする….単なるドラゴン🐲のニッポン文化見栄っ張りキャラなのかも?
「ひと手間かける」事を基準にされるととっても辛くなってしまいますよね。先ずはその素材そのものを感じる事に専念させて頂きたいです。充分に素材の味を堪能した後でデコラティブに切って召し上がって頂く方がsurvivingからthriving の回復になります。
何か的外したコメントです。すみません。
朝から、長々と失礼いたしました。
心理療法も、EMDRとかタッピングとか包装紙を変えるのではなくて、その人の個性を活かす方向で伴走するのが王道なんですよね。
傾聴は地味で、精進料理のように実は恐ろしく手間暇かかっていることや滋味を感じてもらえるまでの気の遠くなるような修行も必要です。
包丁🔪研ぎすぎて怪我することもあるし💦
「ひと手間かける」という表現には、
工夫する[喜び]が欠落しているので
食事のちょっとした楽しみが台無しになる響きがあるかなとは思います。我々は元々、土建ですから、土光さん家と同じで(?)イワシを常食しています。埼玉では海辺と違い、あまり魚の鮮度が良くないから、文化サバになり、漁港の近くの暮らしが懐かしい…というのはありました。それも、家に冷凍冷蔵庫があるのが普通の今では、生臭くない魚介類が入手できるようになり、嬉しい限りです。
天文系の人は、土建と同じで、性別に依らず、食事の用意は自分で出来る人が多いようです。 “gender conflict” とか言って、拗らせ女子型PTSDになっていく異常者は、 “KOガールズ心理学” に囚われた人が多いのかも知れませんね。然様な社会病理に浸かり切った人々が数の暴力を振るっているだけです。不毛ですよね。
Max-Planck研究所は、いろんな出自の人がいるので、Cooking Bookに載っているようなものではなく、普段の食事を教えてもらえてラッキーでした。皆さま、「ひと手間かける」ことを他者に「ひけらかす」ことはなく、こうすると美味いんだ😋よ〜ってなものです。
日本人で有名(?)になった例では、イタリアで干物を食べたいから浴室で作っているという話でした。ドイツに行った時には、私もやろうかなと密かに思っていたのですが、初っ端に「干物を作ったりしないように」と釘を刺されました。魚を焼く匂いが嫌だと苦情が出ることがあるので、日本人入居者を近所にしてOKなのは、ギリシャ、ポルトガル、イタリア、中国(沿岸)、台湾、クロアチアなど限られた人だけだそうです。それでも流石に浴室で干物を作るのは許容できないそうです。まあ確かに郷にいれば郷に従えということで。
普通に一汁三菜を基本にしていた当時、手間だと思ったことはありませんでした。文化サバを炙って「手間」だとか思うほうがCPTSDなのでは?と思います。子どもが小さい頃は一緒にやっていました。それを辞めたのは、奇妙な攻撃が激しくなって身が持たなくなり、密室で殺害されないようにアケスケにSNSに書くようにしてからですね。子どもの頃から普通にやっていたことが出来なくなるのはPTSDでしょう。一人で作って各人が孤食したほうが楽ですよ。
「こういうのを作って食べてみようか」
という提案は、今でも家族から出たり私から出したりし、アレはこうしたほうが良かったとか品評会をして、自分たちの食生活が文化になるでしょう。
「ひと手間かける」という発想そのものが既にCPTSD社会病理ではないでしょうか?
まさに
https://bit.ly/JapKillingOffspring
と言えるでしょう。
傷口は塞がりましたか?
ありがとうございます♪
今まで先生が何度も「包装紙」という表現を使われてきましたが、今、漸くその意味がわかった感じです。今、複雑性PTSDの治療方法が色々お話しされているようですが、専門家も患者さんも多くの方々は表面的なスキルに目が行きがちになっているんですよね。心理療法って理論をどうやってアクティベートするかのそのプロセスがメインなのに、スキルだけを使って治療しても空振り三振になってしまうのは明白です。しかも、ヒトはそれぞれ異なる思考パターンを持ってるからそこもキチンと治療者は把握していないと理論をアクティブに活用して患者をサポートしていく事など出来るわけがない。一度、タッピングトントンのワークショップに参加したことがあるのですが、お顔トントンしながらとっても虚しさを感じていた2時間だったのです。このお話はまたいつかさせて頂きますね。シャワーしてきます。
もう少しのはずが、髪の毛にばかり栄養が行くのか(笑)、時間がかかってます。
何も使わない実験中で覆わないのが遅延の原因かもです。
そういえば、大人なのに、ハサミをもって走る人にもよく遭うギョーカイです。
ラムザイヤー博士も観たのかな…?
虚無感セラピーのお話も楽しみ🦒
あ*さま
ありがとうございます♪
「手間がかけられた状態」が社会的基準になってる環境が日本のCPTSDの社会病理。酷く納得してしまいました。これ、日本のCPTSDの社会病理の一つですね。大きな気づきです。
よく、日本からいらした日本人同士が海外の地で語っているのが、海外の地で感じる事の1つに「レベルが低い」というのを耳にします。たとえで言えば、日本で養育された方々はクリスマスプレゼントを包装する際に殆ど皆さんは綺麗に包装する事が出来る方々が多いです。折り紙文化があるからか、角をきちんと折り曲げる感覚が身についている人が多いのかもしれません。でも、英人がクリスマスプレゼントを包むと何だかブヨブヨな包装にリボンが絡んでるかんじす。ですから、仕上がった包装の様は日本人が同じ包装紙&リボンで包んだモノとは団地で差が見えてしまうのです。
何を言いたかったかというと、同じヒトとして生を受けてこの世に生まれて来ても、最初に設定された基準/最初にヒトとして要求されてる基準が高すぎる環境に身を置くとCPTSDになりやすいのではないかと思うのです。その基準に到達するまでのプロセスをそれぞれの感性を丁寧に感じ、それをその都度、自ら受容し周囲にも受容されながら成長していくはずのところを、そのプロセスをすっ飛ばしてしまう部分に心的病理(?)があるのではないかと感じています。違うかな….
小学校の図工や音楽でも、兄や私の頃は、図工と音楽は担任ではなくて美術や音楽の先生でした。学校外に写生に行くこともあり、楽しかったです。ビンボーで絵の具が切れても買ってもらえず、ない色があったので、写生展に入選して賞品が絵の具だったので、大変うれしかったです。今は、美術のことが判っていない担任がそのまま図工も担当して、奇妙なことを「無理強いをする」ことが多いので、基準もクソもありません。
ドラゴンさまがご覧の日本人は、英国に行くような駐在員ご家族が多く、初めからサンプリングが偏っているのではありませんか?
普通の日本人は、保育園や幼稚園で折り紙をやりますけど、角をきっちり折るよう頑張る子もいれば、細かいことは気にしない大らかというかアバウトな子もいます。[虐待環境]でないなら、そこで「無理強い」しませんから良いのですが、無理強いや隠れ虐待、心理操作、集団ストーカーの企画&実行をするカルト勢力がいる…そういうPTSD否認=社会病理が蔓延しているということですね。
折り紙で角をきっちり折るように頑張らないタイプの子どもがいても、そのあと、どうなっていくか?見守っていけば済むことです。たかが折り紙ではありませんか?
「ホメラレモセズ、クニモサレズ」生きる道を
カルト勢力が妨害し、
https://bit.ly/JapKillingOffspring
ということです。