下駄の話をしていて
下駄屋って普通にありましたよね。
こんな子がいなくなってもしばらくは…
鼻緒が切れると
― そりゃ切れるでしょ。
江戸のフツーの人たちは
誰か一人くらいは
見るに見かねて助けてあげます。
(知ってれば簡単な修理ですから)
そこから始まるドラマもなくなったということです。
鬼太郎のことを思い出しました。
つい
幾多郎と表記する私のパソコン
2人がフツーに共存する集合的無意識の面白さ(^^♪
https://youtu.be/NeYQOpMCt2k
2つめの曲が下駄の曲でした。
それで調べてみると
【リモート下駄】って説明されています(◎_◎;)
昔の人は
やろうと思えばこのくらいの身体能力があったのでしょう。
― 薪割りや雑巾がけで鍛えてるから足腰が強い。
付随して
イマジネーションの基本が全く異なっていたというのが大事なポイントです。
先ほどの女の子ですが
父子家庭のトラウマで
父母の性格が違い過ぎて統合に苦労するタイプ
父親モデルは『(子どもから見ても)この人ダイジョブか?』
母親モデルは、現実に身近にいないこともあり
ちょっと下駄を履かせて理想化(そうしたい願望もある)
どうして恋愛が成り立ったのか不思議な組み合わせ
一説によると
ヘナモン(テツが売るのはホルモン)のせいらしい。
両親のことが心配で
当たり前に「子ども」時代を生きられないと
精神を病むようになる。
学校に行っているどころじゃないことがあるのは
そりゃ成績が悪いどころじゃないでしょうが
発達障害じゃないです。
この子は
常に下駄を履いてるので
体育だけ優れていて
いわゆる「下駄を履かせ」られることを嫌う性格なので
ソンばかりしている。
『坊ちゃん』の下町バージョンか…
当時の心理療法の常識でした。
今の専門家は
WISC📐で計って
規格外は病院送りで一件落着
いろんな家庭があることを学ぶべきでしょう。
https://youtu.be/2O-Arr9EnBQ
下駄の音よく聴いてね♪
昔⁉️って言うほど昔ではありませんよね、
下駄を飛ばして、天気を占うのは普通でした。
するっと飛んで鼻緒が上になったら[晴れ]、
横倒しは[曇り]、
裏返しは[雨]です。
コレが結構、当たるのでした。
小学校に百葉箱があったので、
温度と湿度が分かる訳ですが、
湿度が高いと下駄がするっと飛ばないから、捻りが入って横倒しや裏返しになりやすいのです。
先生、下駄、飛ばせますか?
愚息は出来ません。練習していませんので。
そう言っていただけると、(サイコパス扱いでT4当然という評価にさらされている身としては)ちょっと安心します(笑)
本日、機会をいただいて気がついたことも多々あります。
①なぜ下駄なのか
翠雨(縁ある先人から与えられた書名)だからですね。
草履は一日でアウトです。修理もできません。
②下駄を飛ばすことにしか興味がなかった。
飛ばすことは、多分、今も可能(当時の下駄と違うのでやらないだけで、本当はとてもやりたくてウズウズする💦)でしょうが、結果の記憶がないのです💦
その時の卦(明日の話)には興味がなかったのでしょう。
できるできないよりも(自慢できるかもですが…)気持ちが大事かと思いました_(_^_)_
こういうことに関わらず優秀で、むしろ、どう考えておいでだろう?と気になる存在(御大)です。
③百葉箱があったこと思い出しました。
近くの池にはまった記憶もあります。
何をしていたのか?はどうでもよいことで、コロナとインフルエンザの違いどころか、行動科学すら物理的に考察されない時代は問題でしょう。
百葉箱(存在しないなら無としてなおさら)も時代を映しますね。
気味の悪いガイガーカウンターの画像から解放されつつある時期に、アリエッティが住んでいそうな白い百葉箱の話が飛び出す現実にも布置を感じます。
ガイガーカウンターは、これからもずっと必要です。
[反核平和主義]だと[殺害]される《安倍晋三王朝》時代が続いているのですから。
一般論じゃなくて、スラップ訴訟の訴状に出てくる特定のガイガーカウンター画像(分析を公にしてゆくべき事件の象徴)のことです。
また言葉が足りなかった💦
こんばんは
明日、本番なのでパニクってるところです。
でも、一つリクエストさせてくださいませ。
翠雨先生とストーカーさまとのインターアクションを描写する際には、是非、双方の学びスタイルを考えながら分析進行していただけると読者は学ぶ項目が増えると想像しています。
学びスタイルを追究することはストーカーの無意識を知る事にもつながっていますので❤️
ドラゴン🐲自身の学びのためにも是非お願いします。
がんばってくださいね♪
どうまとめていこうかと途方に暮れていたのですが、おかげさまで、方針が決まりました。
「学びのスタイル」の違いという切り口は、逆算すれば、教育分野にも応用できます。
口出しは大きなお世話と思いながら、プレゼン終了して次の段階へ進める事を知らされて結構ルンルン♪気分で書き始めました。
「学びのスタイル」は切り口に使うよりも、メインテーマの下を流れる「何か」に設定する方が絡まり具合が面白いと思うのですが….
学びは常にヒトを動かしていますからね
おっしゃるとおりだと思います。
ほしいものは何でも手に入る時期でして、偶然「学びのスタイル」がテーマとなっている独白を手に入れたのです。
なのでこちらが前提(事例にあたる)で、得意の分析に展開する順番になります。
お疲れさまでした。
ルンルン♪気分は、次の成功を呼ぶでしょう(^^♪
傍から失礼します。
ドラゴンさまのコメントにある
「学びは常にヒトを動かしています」…①
[認知行動療法](CBTやTF-CBT)で
「権力は常にヒトを動かしています」…②
でも、②は、動かされる[ターゲット]つまり[心理操作]による攻撃対象に
“権力の悪を自らの内部に取り込む” プロセスを辿らせる[人の動かし方]で、 “psychological warfare” の一部を形成する[組織]が育ちます。“international crimes” そして[T4]推進派の温床になります。
①は、当人が
[トラウマの連鎖]を止めよう、
[トラウマの再演]を回避しようとして
《守備本能》instinct を備えた《観察主体》を守り育てながら進める[主体性のある学び]です。学ぶために人は(必要に応じて)動き、学んだことを実践的に検証するために人は動きます。その時、[牛]の “鼻面を捉えて引きずり回す”[専門家]は、いません。
トントン豚児は、水牛に乗って、水辺を歩いています。
当人の[魂]と共にある[保護人格]を見つけ次第、殺害する cults のアプローチを《野放し》にすることだけは、やめさせねば “《日本人の公民権運動》封殺” は、もうすぐ達成されますね。
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12726043350.html
と書きました。
iPhoneから送信
[牛]の “鼻面を捉えて引きずり回す”[専門家]
これですね(笑)
子どもの方が弁えてます。
あ*さま&翠雨先生
おはようございます♪
昨年秋から今の学校で学びはじめて感じているのは「学び」という概念がいかにヒトを観察する際に基本的な事であるという事を感じています。
DrFのトラウマトロジーという分野で学ばさせて頂いている時は単純に「無意識の情動がヒトの行動を左右する」という漠然としたものを感じながらこちらでお話し相手になって頂いていました。駄菓子菓子、今は、その無意識に抑圧されてる情動が作り出された原因は何処にあるのか?という事をひたすら考えさせられ、昨日のプレゼンに至りました。それが、“「思考」の理論に基づく学びのメソッドと人格形成の関わり“というテーマに結びつけられていたのだと今朝気がつきました。
ですから、今までは自分観察する際にはトラウマトロジーで学んだ自分の中の知らない情動のみに注目していましたが、これからは、その情動が形成された際の学びスタイルを考えるようにすると、更に自分の中で幼少期から引きずっている「何か」を知る事が出来るという事に気がつかされました。また、真の学び方とは学びの能力(本能的なもの)と学びを受け入れる許容力を拡大する能力(母子関係の相互作用で形成される)が必要であり、単純な資格試験に合格するために認知の貯蔵庫に知識を蓄積する事だけでは外的な成長しか期待する事は出来ないという事も学ばさせていただき、やっと翠雨先生の「公認心理師資格」について感じていらっしゃる事が理解出来た感を持ちました。
何だかオモロなってきちゃいました。引き続き、お話し相手で居てください。
得てコー🐒得てコーと連呼してるだけで芸がなかったので…(笑)
でも、楽しくて、おまけに理解していただいてうれしいです(^^♪