前記事の続きですが
リタリン依存症はリタラーと呼ばれているそうです。
芸能人のお仕事の1つは
踊らされて
アイコンや象徴を動かすこと
風貌も医者らしくなくなっていたと書いてあります。
世間では、白衣を着た売人と呼ばれ
(それで黒コート⁉)
どこが違うのか見分けがつかないと言われています。
どちらかというとやくざ(未治療PTSD)の方が優しいです。
こころの痛みがわかる(今でも疼く)ので「無理するなよ」と言う。
― 右寄りに
自然に行動療法をしているうちに
PTSDは流行に敏感なので
逮捕されるようになるのですね(笑)
PTSD治療は正しく受けましょう♪
リタリンを服用している限り、成長を見込める学習は出来ないですよ。ドラゴン自身、ベンラファキシンを服用してる間は感情が動かないので凄い集中力でしたが、その集中力は行動を継続する事には効果は発揮出来ますが、学びにはならないのです。学びはan emotional realisation of learning experienceと言うビオンの理論とは凄くかけ離れています。薬で感情/emotions を平坦にさせられ、行動だけに集中する事が果たして成長/発達を見込める治療になるのか?と思う今日この頃です。
経験者からの臨床報告はいつだってパワフルです( ..)φメモメモ
リタラー濫造者(アヘン窟経営者)は、何も言えなくなるでしょう(^^♪
真摯な当事者にこそ心理学を学ぶ資格があるように思えます。
当事者以外の人は相当謙虚でなければ太刀打ちできない世界です(笑)
何をおっしゃるピーターラビットです。
自分の感性のフィルターが変なのかもしれないという思い込みをこちらでお話しさせていただける事で少しずつ払拭させてもらっています。漸く、スタート地点に立てたばかりで、リカバリーは正に「学び」以外の何物でもないというのが理解できたところなんです。次男の卒業式でチャンスラー(学長?)のご挨拶を聞きながら「学びとは?」ってずっと考えてました。
私も荷が重い仕事を1つやっと解決することができそうですが、表面的にはマイナスがゼロになっただけなんですよね。
でもこのおかげでこれからの一歩は大きくなると思います。
足が長くなった気分(^^♪
私がそこにいたら、そこだけ「チャンスら(だ)ー」って聴こえて(幻聴)舞い上がって(解離)しまってたかな(笑)