本日5月24日は
「神戸連続児童殺傷事件」の
1997(平成9)年2~5月
神戸市須磨区で
小学生の男女5人が襲われ
小学4年の山下彩花さん(当時10歳)と
小学6年の土師淳君(当時11歳)が死亡
ほか3人が負傷した。
被害者の1人
土師淳君(当時11歳)の命日です。
淳君の父親土師守さんの哀しみは癒えることなく
時間の経過により
一般の人々が感じるような
日々のささやかな幸せを感じることはできるようになったが
― 長らく哀しみ一色だった。
本当の意味でのこころの安寧が訪れることはないように感じつつ
5年ほど前には体調も崩し
老いを感じながら
― 拉致被害者の親族等にも切実な問題となっている。
できる範囲で
犯罪被害者支援を続けたいと語ります。
― 犯罪被害者を取り巻く環境は大きく変わったがさらなる改善を願う。
― PTSD予防が必要
現時点ではまったく接触がなくなった
近況を知らせる手紙を受け取っていたが
― 抵抗感など複雑な気持ちはあるが理解しようと努力していた。
社会復帰後の2015年に突然
”元少年 A”として手記「絶歌」を出版したことを抗議し
2016、2017年の手紙の受け取りを拒否したところ
2018年から手紙は途絶えてしまった。
加害者の男性に
中学3年(当時14歳)のとき
殺人・死体遺棄容疑で逮捕され
― 警察署やマスコミにも怪文書を送り愚弄
神戸家裁での審判の後
医療少年院に収容され
2004年に仮退院し
2005年に社会へ復帰
なぜ命を奪われなければいけなかったのかという問いについて
「私たちが納得する解答を求め続けている。
この『なぜ』に答えることで
事件に真摯に向き合ってもらう」
「何年経っても、淳への思いは同じ。
純粋な子どもだった。
普通に怒ったり笑ったり
ふとした瞬間にいつも思い浮かぶのは
どんな子どもにもある表情だ」
― 純粋な子が投影を受けターゲットになりやすい。
納得できる回答を求め続けていることと
問題を通して納得できるその人なりの哲学がつかめれば
傷が癒える@昇華 のは心理療法の基本
この種の事件における償いの難しさについて話されました。
単純な物損事故と違い償いが宗教哲学的
「被害者や被害者遺族が
“償い”であると感じて初めて償いといえる」
― 心理療法とはハッピードラッグの世界ではなく哲学的忍耐力の世界
どの程度まで患者を治せば良いのか?
以前、kyupin先生が、患者は治療者以上に回復しないと言っていた記憶が….
薬物療法では普通のフリ止まりまでしか治りません。
無意識をノックする心理療法は、患者が哲学出来る様になるまでセラピストが付き合ってくれるはずですが…期待し過ぎかも…..
期待しすぎかも…🤔と思われてしまう現状がギョーカイの問題なのです。
それ以外の方法では、治ったとは言えないので。
(治療者の好きなデザインに)直すことに成功した事例があるばかりかな。
だって、いつも「あっ、この先生に診て貰えば今度こそ治るかも..」という想いをもって大金積んだ経験は何度もあります。それを繰り返して行くうちに、自分はどう治れば良いのかが解って来たのです。ですから、このサイトに妙な人が「治ってる感じがする」という私のコメントに「気持ち悪い。気狂い。」と言われても、言われた事には酷く傷つきましたが、自分は治ってる方向に向かっている感覚の方が強かったので、それほど感情は動かなかったです。
治療者の好きなデザイン❤️
これが、患者がどう治りたいかと目指すターゲットと一致していないと治療同盟は成立しないのでしょうね。
治療者が自分の好きなデザインに患者を仕上げても、それに患者が満足しなければ完治したとは言えないと思うのです。治療者のデザイン通りに患者は自分を当てはめても、結局は治療者デザインの着ぐるみを患者は着てるだけなのです。よくアカデミックな場で、精神科の看護師さんに「ドラゴン🐲さんはすっかり良くなったのね。」とお声がけを頂く事があるのですが、「いや、まだまだ。着ぐるみの重ね着はやめたけど、まぁーだ薄い着ぐるみ感覚は否めない。」と内心で思いながら、「はい。ありがとうございます♪」と明るくお返事してしまうのです。
頭で理解するのではなく感覚的に把握すれば心身に芯が通るので、ヘンなことを言われてもブレなくて強みになりますね。
今の風潮として、セルフが望むデザインにもってゆくのがいかに難しいかということかな🤔