1969年(昭和44年)のこの日
監督・山田洋次
主演・渥美清の映画
『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開された。
中学生だった頃に家出し
誤解されやすい性格が拗れて
― 妹だけが理解してくれた。
PTSDを発症
妹の縁談で故郷に帰り
♪おーれがいたんじゃ
お嫁にいけぬ♪ は杞憂でした(^^♪
やはり不適応ぶりを発揮してしまいますが
空気を読みすぎているような読めていないような…🤔
瘋癲(ふうてん)とは…💡
精神の状態が正常でないこと。また、その人。
通常の社会生活からはみ出して、ぶらぶらと日を送っている人。
以後は
キレては
これでもつながっていたつもり…
解離性遁走し
旅に出る
また戻ってくるというパターンを繰り返すようになります。
つながっていると納得するまで続ける。
― 行動療法の条件づけ中
令和の時代ではさらに生きにくい存在で
『あんな自分勝手で短気なおじがいたら迷惑』という評価が多いです。
見かけは
『君たちはどう生きるか』の大叔父とは真逆ですが
解離性遁走(失踪)した点は同一
周囲の人々に哲学させる存在としては同一です。
我慢する人が多い抑圧的な時代だから
あんな風にキレられたら…という
― 願望充足
集合的無意識が人気を支えていたという説もあるようです。
実際にトラさんの映画をみた事はないですが、トラさんは問題提起をすべき時に確実なプロンプトを出せる人だったのかもしれません。
まだ丸1ヶ月の休みがありますが、必死になってお勉強している間って今の問題を冷静に解析出来ないマインドステートなのです。そういう時って、何故か適切なプロンプトを出す事はめっちゃ難しい😓。でも、必死なお勉強モードから離れた時のマインドステートの時の方が落ち着いて考えられるし新しい智慧みたいなのが生まれ易いみたいですね。以前は必死になってお勉強してて、ふと「私って何のためにこんな必死にお勉強しているんだろう?」ってアホらしくさえ感じて時期がありました。でも、最近は少し成長してアホらしく感じる事が無くなりました。上手く説明出来ないけど、昨日アフリカ出身の白人セラピストさんと色々なお話をしてて、ドラゴン🐲がコレまでやって来た学びは無駄ではなかったと何と無く感じたのです。
確かに…
シャカリキ(本人としては釈迦力のつもりで(^^♪)になっているときには見えていないものが、あとで(あるいは離れてみれば)見えてくることがありますよね。
表現することは大事だと思います。
お返事ありがとうございます。
トラウマの再演も、実は一生懸命に我を忘れて再演してみるのもリカバリには必要だったりして…..
でも、社会に迷惑をかける様なトラウマの再演は良くないです。せいぜい、河原で泥だらけになって踊る程度なら許されるかも….
ただの再演で終わらせるか否か起死回生の大チャンス@精神分析 運命の分かれ道ですからね(^^♪