性別について特有の概念があり
日本は『古事記』の
イザナミとイザナキから
男性原理☯女性原理を間違うと
― 陰陽五行説は哲学だから
文字通りお話にならない。
「むし」という概念だって
「蟲」であって
昆虫@西洋の分類 じゃない。
サモアでは
トンガではfakafefine
ハワイやタヒチではmāhū
ニュージーランドの先住民族マオリではwhakawahine 等
出生時の性別と自認する性が一致しない人々のことを
概念的に
トランスジェンダーでもない。
男性として生まれながら女性として生きる
fa’afafineは「女性らしい」という意味
「ファファタマ」と呼ぶそうです。
女性として生まれながら男性として生きる
fa’afatamaは」は「男性らしい」という意味
どんな人でも脳の病気にするDSMすら
最近は
「性同一性障害」ではなく
「性別違和」とするようになりましたが
違和感をもっているという現象
理由は人口削減の一環のような気がするけど…🤔
サモアでは昔から自然に存在を認められてきたとのことです。
葛藤が嵩じてPTSDになることも
適合手術等で不健康になることもない。
― オリンピックに出たい場合は考える。
サモアの人々のこころは
何かと独特で
フロイトの精神分析は
あてはまらないことが知られてきました。
日本人の留学生は
エディプスコンプレックスじゃなくて
アジャセコンプレックスが問題だと指摘した。
例えば
思春期は反抗期でもあるわけですが
文化人類学者ミードのフィールドワークにより
サモア島の若者には
反抗期がないことが報告されました。
大人になる前に
大人に反抗するということですが
大人とこどもの社会的区別が明確でないので
①子どもも仕事をしており
②性行為が禁止されていなかった。
子どもという概念がなく
小さな大人(人間)
反抗しようという動機は生まれようがなかったからです。
フロイトは性でしか考えませんから
夢分析も奇天烈です(^^♪
ミードは
女性ということを意識していたようですが
「ファファフィネ」については
あまりに自然で
意識されなかったのでしょうか。
サモアでは
例えば
女手の足りない家庭で
女性の仕事を任せるために
男の子を女の子として育てる風習もあったということで
ジェンダーは
後天的につくられる場合もあったようですから
仏教でいえば
すべては「空」で
固定した実体や不変の本質を持たない
縁起ということかな
他の存在との関係性の中で常に変化し続ける。
女性は適応力がある
ファファタマ⁉
トランスジェンダーを解析するのはあまりにも多くの文化的背景要因があるので、そこに行くのを故意的に避けているドラゴン🐲です。そして、当初からエディプスコンプレックスとかペニス羨望とかは、男性フロイトの浅はかな独りよがりな思考だと感じています(カミソリ送られてきそうでコワイ😨)。だからからかな?あえてジェンダー問題には立ち入らない様にしているドラゴン🐲です。長男のお友達のAちゃんは、今は法律家としてトランスジェンダーの非営利組織で働いていますが、Aちゃんの立ち位置は、女性弁護士でも男性弁護士でも無く、トランスジェンダー弁護士という立ち位置みたいです。本人にはそれを聞く事はできませんが、側でみていてAちゃんが男性になったり女性になったりSwitchが常に切り替わっている感じが否めない。
日本での動きは、目的にあやしさも透けて見えるので、警戒しつつの傍観対象です。
A弁護士は、概念としては、ファファフィネ的立ち位置だけど、文化的なバックアップがあってのことではなく、おそらくはトラウマが介在しての無理なトランスだから、アイデンティティのボタンが勝手に作動してしまってドラァグクイーン(ペルソナを引きずっているイメージ)的に見えるのかな。
そういうかたちで、いまのギョーカイの問題をあぶりだして表現してくれるトリックスターなのかもしれません。
お会いしたこともないのに、時代のカナリア的悲哀が漂ってくるのです。