アメ風呂さんが
お風呂でスマホやテレビ見る?とお訊ねですが
お風呂で観るべきは
脳内でしょう。
要するに
お風呂は瞑想する場所
お風呂がつくられた頃には
スマホもテレビもなかったけど
蒸し風呂では本も読めませんね。
たとえば…
明智風呂は
妙心寺境内にある明智風呂。
明智光秀の伯父が建立したとされている。 pic.twitter.com/zYNmXu1pVo
— 愛敬 史 (@shiro22tan) November 12, 2024
伯父である和尚が
菩提を弔うため
甥の死から5年後
お墓の代わりにつくった
「主君織田信長を討った
逆賊という汚名を
洗い流したかったから」という説もある。
浴室です。
お墓の前で
宴会はしても
テレビを見る人はいませんね。
脳内ですが…
妙心寺の天井にも
天井 = 頭頂のイメージ
― 建物 = 人体
超自我のような龍がいて
どこに移動しても注視しながらついてくる。
善人は見守りと感じるでしょうし
悪人は監視と感じるでしょう。
夢や幻覚で観るのは
五右衛門風呂⁉
何だか全記事の続きみたいですね。
生まれた時のほんの少しの自我がどうやって成長していくかのプロセス。
私もお風呂は瞑想する場所にしています。トラウマの再演が起こりそうな時も、お風呂の熱いお湯に身を沈めていると体内のこころの流れが穏やかになるのです。勿論、熱いお湯に身を沈めると血流は活性化しますけど、体内のこころの流れは逆に穏やかになるのです。不思議ですよね。お風呂体験をしないシャワー🚿派にはわからない感覚です。
そうですね。
ふと、私が明智風呂に案内されたのはどちらのお寺だったかな🤔と昨日想ったのでした。
アメブロさんのお題で、確認することができました。
無意識の思考過程ってホント不思議というか自我よりよほど関連づけて深く考えているんだなと思います。
身体がお湯に圧されるのと、自我が無意識に圧されて「超越」(最近は、この言葉の理解に苦しめられていた)するのが同時@身心一如 なんですよね。
おかげさまで、今年は、いくつかの新しい考えに触れることができて、お風呂観が変わりました_(_^_)_
「超越」という言葉も、もしかしら英語から来た日本語かもしれない…って思ってます。trans••••••という言葉たちをどう理解するかって、時間がかかります。何をtransするの?っていつもつまずくんです。
そうなんですよね。
日本語ではないのでムズカシイのです。
何が・どのように超越されるのかはわかっているのですが、なぜそう言ってしまえるのかという実感のような部分でtrans感が埋まらないのです。