子どもが死にたがる国ですが
死因第一は自殺
2021年12月8日に
高校二年生の男の子が自殺した原因は
学校の指導でした。
指導死については
― 明文化されている。
PTSD予防教育の一環として冊子などがある。
なんと
仏教系の私立高校なのに
体育会系のウサギ飛びみたいな
写経を罰として課していたのでした。
「文字を間違うと訂正はできず
最初から書き直しとなる。
丁寧に書けていない場合も枚数にカウントされない」という厳しいルール
1枚あたり1時間ほどかかった。
試験でカンニングすることはよくないことですが
「『卑怯者』というのは
副校長が朝礼で
『カンニングは卑怯者のすることだ』と
何度か使っていた言葉です。
反省文にも遺書にも『卑怯者』という言葉がありますが
学校が自己否定の言葉を無理やり言わせているということではないでしょうか。
後日、第三者委員会の調査報告書でさえ
『カンニングの禁止の域を超えた一つの行為で全人格を否定するような強い決めつけを感じさせる』とし
『配慮する必要がある』としています」
謹慎させるならば
自分で考えさせることが必要なのであって
罰を与えることには弊害しかありません。
自殺しない場合も
― それ以前の段階でこころを病む
本当の意味で反省せず
― 指導を受けるつらさでいっぱいに
今度はバレないようにしよう
もう勉強はやめた…等とゆがむかたちで病むことすらある。
第三者委員会は
自殺の理由について
「学校や家庭をはじめとする諸要因は絡み合って
一般論をそのままコピペしたもので
― 家庭にも問題があるかのように読める。
両親は激怒し提訴する決意をした。
急性のうつ状態に陥り
― PTSDの間違い
― PTSD予防が必要なときに指導死させられた。
今後の学校生活に絶望し
自死に至ってしまった」としていますが
長時間拘束して
複数の教員からの圧迫的な指導を受けたあと
大学受験で推薦しないと通告したうえで
― 信頼はもう回復しない。
やわらかなこころに卑怯者という言葉を植えつけた。
おこもりさせられ
― 「家庭での謹慎8日、その間友人との連絡は禁止」
瞑想状態におかれているうちに
― 「般若心経の写経80巻」反省文や反省日記
条件づけられた言葉に苛まれ
“写経”の下敷きの下にあった遺書
《死ぬという恐怖よりも
このまま周りから卑怯者と思われながら生きていくのが
怖くなってきました》
将来を悲観してしまったという見方もできます。
罰より怖いカルトのような洗脳
カンニングした科目が
「倫理・政経」というのにも
死後
学校は「倫理・政経」の授業について同じクラスの生徒たちに授業についてのアンケートを遺族に了解を得ずに実施した。
「熱心でわかりやすい」とする声がある一方で
「意見を言っても否定されるため
意見や考えを出しにくい」
「授業中に居眠りをした生徒を教室の後ろに立たせる」
― 体罰は禁止と知らなかった先生
「口調にトゲや圧力を感じる」などの回答
布置を感じます。
夜が明けたら試験という時間に
この科目だけ勉強していないのに気づいて
― 進学校で中くらいならまじめで優秀
慌てて解離判断してしまった。
解離行動は間違っているだけではなくて
隠れた大事なものを明るみに出す意味を含んでいるものです。
学校とか家庭とかの子どもの成長を育む場所(重要な居場所)での罰の与え方は要注意だと思っています。
しかも、教える立場の先生が、1つの誤ちから生徒をはなっから否定する言葉を投じていたとなると、虐待と同じ構図が出来上がってしまいます。その先生の意識って、おそらく神さま意識が強かったのかもしれないですね。教える側x習う側の関係性も、何処か治療関係と似ていますね。こんな先生と治療関係を結んだら、確実に患者は悪化して死にたくなりますね。
そうですよね。
こんなひどい話が実際にあるのかと、私も驚きました。
この先生はご自分がどれほどおそろしいことをしているかという自覚がないようで、悪い意味で神がかってますね。