William James
1842‐1910
スエーデンボリに関心がある
生きながら霊界を見て来たという
霊的体験に基づく大量の著述が
大英博物館に👀保管されている。
神学者である父親の教育で
真に善を愛し
共感するがゆえに善を求めるような正しい人間となり
自由闊達な精神の持ち主となることを願う。
学校に行かず
7歳から3年間小学校に通って以降
大学までは学校教育を受けていない。
転居や旅行の多い子ども時代を過ごし
いろんな文化に触れ
語学も堪能
ニーチェっぽいかも
精神的苦悩を経て
画家になろうとしたのはセーフ
— 長弟は作家として大成
生理学を選んだり
— 旅行は得意のはずが船酔いや天然痘の発作などで中断
医学を選んだりして
— 不眠、消化不良、眼疾、背中の痛み、憂鬱など
善から遠ざかると調子を崩す…
— 次弟は父親と奴隷解放問題に尽力
心理学の父と称される人物になりました。
アメリカで初の心理学の講義を開始し
研究室を設けた時は生理心理学だったが
— 4年後ドイツで研究室を設立したブントは実験心理学の父
生理学だけでは
人間の精神状態を説くのに十分でないと疑問を抱きはじめ
— ユングのヌミノースのようなものを見ていた。
—— 白隠禅師のナンソの法みたいなクリスチャン・サイエンスで神経症治療も
——— 狭心症から不眠症まで
哲学に転向
— 『宗教的経験の諸相 〜人間性の研究』は宗教心理学にして臨床心理学の古典
心理学者と呼ばれることを好むようになり
心理学の実験室も後進に譲った。
意識の流れの理論は
ジョイスや夏目漱石に影響を与えたとされる。
こころを解剖せずにまとまりとして動きとして観察
「人間の意識は静的な部分の配列によって成り立つものではなく、動的なイメージや観念が流れるように連なったものである」
東洋に映され西田幾多郎の純粋経験論を生みました。
人魚姫がポニョになるみたいな話は
ジェイムズが心臓病で亡くなった翌年
1911年(明治44年)2月6日の出版
ジレンマを解決するものとしてのプラグマティズムの理論は
経験から生まれたものでしょう。
セルフの意向から外れるたびにPTSD症状に苦しんだ。
中立一元論は一太極二陰陽的ですね。