【10月17日が誕生日・命日の音楽家】
今日10月17日はショパンの命日です。
フレデリック・ショパンは1810年3月1日、ワルシャワに生まれました。
ショパンは7歳の時にポロネーズ第11番ト短調を作曲、出版したと言われています。
「ポロネーズ」というのはポーランドの村人たちの踊りの音楽です。… pic.twitter.com/TbsZeTg1DX
— 吉岡裕美@音痴改善&ボイトレ・ピアノ初心者レッスン (@yoshi_uta_piano) October 16, 2025
今日はソナタ2の3楽章中間部をたくさん弾こう🎹#ショパン命日
— のんちゃん3 (@non_san_san) October 16, 2025
ショパンは
1849年
10月17日
39歳の若さでパリにて亡くなりました。
病弱からつくられた繊細な性格は
孤独をより深く感じたことでしょう。
現実の母子関係が希薄な人が
グレートマザー@集合的無意識 とつながるように
祖国の魂と深くつながることで
幼い頃から触れてきた
ポーランドの
— マズルカやポロネーズ
民族舞曲が音楽の基盤
昇華へと向かいますが
ポーランド語の「Żal(ジャル)」という言葉は
単なる悲しみではなく
失われた祖国への悲哀、無念、郷愁、憤り
そして抑えられた怒りが複雑に混ざり合った感情
死の恐怖は驚異的で
結核は大変恐れられていた病
幻覚などみながら
先天的な理由でなく
— ブランデー漬けの心膜から遺伝病は除外された。
肺が悪く
幻覚をみながら
自分のルーツとつながるのは
『思い出のマーニー』のヒロインと似ているかも
創作をしました。
16歳の頃には
片頭痛に苦しんでいて
「ピアノソナタ第2番」を
第1楽章の不安感は発作の予兆
第2楽章の慌ただしいリズムは発作の到来
有名な第3楽章の葬送行進曲は
強い頭痛の中で横たわるショパンの姿
27歳で結核を発症してからの
幻覚は
コンサート中に
ピアノから「生き物」が現れたと感じて
演奏を中断したり
夜中に
突然ピアノの元へ駆け寄り
身を震わせながら
「死者が現れた」と語ったり
— 「雨だれの前奏曲」の着想となった
この世のものとは思えないような神秘的な響きや
夢の中のような幻想的で美しい調べを生むことがあれば
夜想曲(ノクターン)
それをみた驚愕や不安、動揺、恐怖、混乱を表現させたりしました。
突然の不協和音や予測不能な転調
あるいは激しいパッセージ
革命の通称で親しまれているエチュードは
ロシアのワルシャワ侵攻を知った時に
先の「ジャル」で
故郷への「痛恨の念」を表現したものでした。
サロンのような場所は
大規模なコンサートホールよりも
少数の選ばれた人々が集まるサロンでの演奏を好んだ。
— 親密さや内省を重視し聴衆との間に深い共感を求めるところがあった。
感官のような場所だったのかも🤔
神隠しの場所とも言う。








おはようございます♪
やっぱり、現実の母子関係が基本なのですね。
子育て中、母親側に歪みがあれば、それが子どもに確実に受け留められてること。言語化はしないけど、色々な言動から想像💭する事が出来ます。
心理学ではわからない事が、無意識では解明のチャンスが数多くあるのですね。
そうですね。
ネズミ🐭心理学の夢(そこからの空想で人間の現実を見ていない)から一歩も進化していない臨床心理学は、ショパンからも多くを学ぶことができます。
音楽のためとはいえ(宗教的無我だと今気づきました💡)、祖国を離れることだけでも、大きな課題が1つ増えるようです。
還ることはできなかったけれども、音楽でつながり、ロシアに政治利用されるのを拒絶したショパンの心臓だけが祖国の教会に存在するというのはなかなか象徴的な事実でした。
普遍的な人気の秘密を知った思いです_(_^_)_
自分の出生は自分のIDでもありますからね。
出生が不明だと、それ自体がトラウマになってしまう人たちはたくさんいらっしゃいます。ヒトの本能みたいですよね。生まれた所に戻りたいって。確かに生まれた所に戻りたい、自分を生んでくれた人の所に戻りたい(知りたい)と思うのは万人共通の想いだと思います。
少しお話はズレますが、
私の知り合いで、二卵性の双子の女性姉妹、片方がダークスキン、片方が透き通る様なペールスキン。子どもの頃は、その肌色の違いが大きなトラウマになって酷く2人を悩ませたそうです。両親のルーツを辿れば簡単にそういう双子が生まれるのはわかるのですが、そこを理解出来るまでの年齢に達するまでは結構大変だったらしいです。
IDそのものにして人類共通の核心でしたね( ..)φメモメモ
日本は戸籍を大事にしてきましたが、それでも限界はあったし、国勢調査の実際の変化(調査員哀史)などをみると、国が後手後手で意味をなさないマイナンバーカードでも強制したくなる気持ちもわからなくはないです。
旧人類にとっても大きな課題のまま、新人類は、進化し続ける応用の時代に適応しなければならないので大変なのですね。
言われてみれば、昔の心理学の双生児研究(遺伝ではなく環境)は、同じお母さんのおなかということを前提とした考え方で、不徹底でしたね。
難しい部分ですよね。
新人類が旧人類のアウトプットを利用して、楽しんで応用出来るハズだったのに、応用の仕方が間違っているのか寧ろ苦痛を感じてしまっている感じがします。
私だけ?
共通認識だと思いますよ。
楽しんで応用してもらえるまでに消化できないばかりか、木で鼻を括ったような百均グッズをコンビニに並べている感じです。
新人類は、調子を崩してから有難迷惑だったと知るのです。
世代間の信頼関係にも亀裂が入りましたよね。