「喫茶去」は
「まあお茶でもお飲みなさい」くらいの意味だそうですが
クレーマーに対して
話を聴く姿勢を示して
気持ちを沈めてもらって
―― 気@易学 が済む
一件落着… みたいな
「難しい話は抜きにして
お茶でも一杯飲みましょう。
楽に行きましょう」なんて解説には
おおもとの意味が垣間見えます。
もともとは禅語で
中国・唐時代の趙州従諗禅師
幼いころに出家
― 今なら児童虐待
厳しい禅の時代に
― 暴力的
簡単な言葉で解説することに成功した
公案考案の達人
文字通り
「お茶でも飲んで去れ」と
叱咤激励?したものでした。
自分を訪ねてきた
ふたりの僧に
「前にここに来たことがあるのか?」と尋ねておきながら
「来たことがない」と答えた僧にも
「来たことがある」と答えた僧にも
「喫茶去」とお茶をすすめたとのことです。
文字通り
禅問答@現代語 ですね。
来たことがあるとかないとかは関係なくて
頓智
ここに来たなら
… ということはですね。絶対無の場所ってこと?
一太極二陰陽
お茶でも飲んで
リラックスして瞑想
― 非日常的な思考
発想が刷新されるようなことでもあれば…
去るという場であることを示しています。
「ようこそ」「いらっしゃいませ」くらいの意味かな
おこしやす
ぶぶ漬けどうどすか?— 久遠堂 (@navnavkatze) April 13, 2025
こんにちはin京都
— 平こけし (@coceci_) April 13, 2025
ぶぶ漬けの意味はちょっと違うけど
発想はお寺仕込みなのかも🤔
この禅師
かなり偉いお坊さん
昔の人で
120歳まで生きたというのだから
お茶は健康によいようですね。
貴重な薬だったから
お茶を飲むためだけに道もできた。
― 一抹の翠🍵が世界平和にもつながるという壮大な理論
PTSDを薬で治そうという発想と真逆の喫茶去なのでした。
おはようございます😃。
京都的オーソドックスな精神科医(薬物療法士)のご挨拶。
「カリフォルニアロケット🚀どうどすか?」
こんなものまで…😨😨😨
確かにぶっ飛んでるあの方々…
薬物療法士と名乗るべきですね。
普通の知性を持っている薬物療法士(=オーソドックスな精神科医)でも、学んだ理論を変化する社会に出ると使いこなせなくなっちゃうのかもしれませんね。だから薬で誤魔化している…..
正直言って、普通の知性を持っている人だったら薬で治るわけが無い。
条件づけられた🐭と一緒です。
しつけられた知能以上には成長しない🐭さんたちも数年経つと、干からびたミイラみたいになるのでしょう。
でも、それが案外信仰の対象になったりして(^^♪
何だか凄く納得してしまいました。
ひたすら無意識理論だけをぐるぐるしてて、そこから発展していない専門家のブログ。
専門家がクリニックから出て犯してしまうありがちな行為を教科書通りにパフォーマンスしていらっしゃってる様子です。今更、教育分析🧐なんて受けられないのかもしれない。精神分析をトラウマ研究に使う際に生じる理論と実践のギャップにハマった典型が、スコットランドインシデントだったみたいです。
あともう一つは、明日に完成させたら出来上がり❣️
無意識理論をつかって行動療法(洗脳)をする構図だと今気づきました💡
しかも黒魔術的!
ここまで典型的な間違いをしてきてしまうと、その間も負の条件づけが強化されているので、坂道がきつすぎますね。
サクサク仕上げられているようでうらやましい(^^♪
私の第二章をまとめてくださってありがとうございます♪
オーソドックスな精神科医(薬物療法&行動療法)の教祖化及び、スコットランドインシデントは、クリニック外の精神分析使用が引き起こす問題を全て網羅している様子です。オンラインさまさまです。
身体の中に未だに衝撃が残っているせいか、理論展開しやすい感じです。
ほんとオンラインさまさま( ..)φメモメモ
知恵と智慧の違いで説明されていることの実際ってそういうことなんでしょうね。