本日亡くなった加賀乙彦さん
1929年〈昭和4年〉4月22日 – 2023年〈令和5年〉1月12日
小説家、医学者(犯罪心理学)、精神科医
東京拘置所の勤務医で精神科医の加賀乙彦氏は、
≪日本人は「気に生きる」民族≫と。
裏を返せば、それだけ精神的に安定しない民族なのでしょう。
だから「八百屋の神」を求めているのでは。
また同氏は「個人内情報操作」「視野狭窄」と日本人を説いています。— White Eagle (@junyaasylum) December 21, 2025
お誕生日の神谷美恵子さん
1914‐1979
精神科医
哲学書・文学書の翻訳やエッセイの著者としても知られる。
「100分で名著生きがいについて」を読了。著者神谷美恵子の初恋相手が創った詩が印象的。初恋相手とはいえ二人きりで会ったことはない関係。「会うという事は目でもって愛し合う事になるが、会わずに居る事は魂をもって愛し合う事」。魂で愛するのは難しいです。#読書 #読了 #詩 #生きがい #名著
— 読書するクマッシー (@92OOEY8ins70365) January 12, 2026
今の精神科医とはだいぶ違いますね。
神谷美恵子さんは
宗教哲学的な深い内容ながら
自らの信じる道を貫きながら
哲学書や文学書を翻訳
多くの人々の心に響くメッセージで
生活人として
葛藤を抱えた
普通の日常生活を送りながら活動
人気のある精神科医です。
代表作は
没後四半世紀が経ってもなお
あらゆる世代から非常に高い人気を得ているロングセラー
ハンセン病患者の人々の苦悩に寄り添った経験を
隔離政策が行われていた時代に
患者さん一人ひとりに人間として向き合い
献身的に対話
普遍的な生き方という問題に高めた
人生の悩みや不安を抱える
多くの人々の心の支え
共感を呼んだ。
『生きがいについて』です。

これ系の本ですね。
19歳の時(1933年)
叔父に連れられて
ハンセン病患者の人々と出会い
病気の苦しみの中にありながらも
賛美歌を歌い
信仰の喜びを語る患者さんたちの姿に
深い衝撃を受け
精神科医になることを決意しますが
「ここにこそ私の仕事があったのだ!
苦しむ人、悲しむ人のところにしか私の居場所はない」
「自分は病人に呼ばれている」
「病める人、苦しむ人のために働きたい」
周囲から猛反対され
当時のハンセン病に対する社会の認識から
本人の健康面を気遣ってのこと
本人も
強制終身隔離政策について
患者にとって恩恵であるとの立場にたち
処遇を見ていても違和感を覚えたという記述がない。
有料で読めないのだけど、神谷美恵子の『生きがいについて』を読んだ時に驚いたのは、ハンセン病の施設で、当時合法だったとは言え、堕胎や解剖を本人の同意なくし、胎児を標本にしていたことに衝撃をうけた。それを医師が何の疑問も抱いていないようなことがショックだった。 https://t.co/sIPP7Z0bkJ
— ミント♪ (@lady_green7) December 26, 2025
30歳のときにやっと医師になります。
「ハンセン病に関わらない」という条件つき
— 粘り強い戦略家
肺結核を克服した経験も
こころのケアというより
死の病

通過儀礼のような
イニシエーション
神秘体験として表現されています。
生死をさまよう絶望の中で
— 「発狂か自殺かの二つしか私の行きつく道はないと思いつづけていた」
突然、眩しい光が視界に飛び込み
激しい喜びに包まれ
自分でも不思議な言葉を口ずさんだ。
死の淵から生還したとき
これが生きる力となり
医学への想いが強まった。
現実でも「病人が私を待っている」とたびたび口走る。
こんな夢うつつの状態?
こういう人はやはり影を引き寄せるようで
「死ぬまで、つきまとってやる」と言われ
大学を一週間ほど休む事もあった。
ストーカー被害は本当に恐ろしかったそうです。
「恐ろしいのは知らず知らず人を誘惑してしまう私という人間の
構成である。男性に対するわなたる自分である」
「どうしたらよいのかわからない」
やさしさの源泉は
幼少期に培われたようで
度重なる引っ越しで
いろんな国や宗教の学校に編入
兄弟もバラバラで生活したり
預けられたり
— これが一番気を遣い子どもらしくなれない。
両親の不仲に気を配ったり
両親の性格について
エルンスト・クレッチマーの類型論に沿って
父を分裂気質、母を循環気質と分析したというのは
お父さんはやせ型
お母さんは肥満気味だったのでしょうか🤔
おもしろいエピソードですね。
蛇足ながら分裂気質と分裂病は違います。
今は一緒にするけど😒
