朝日新聞では
13日の朝刊一面に
大変ショッキングな記事が出ましたが
―軽費なので
男女が雑魚寝
夜間はおむつ交換もないので
朝は大変なことに
読んだお年寄りが
思わず涙が出たと
―看護師で働いた経験もある方で
今も健康ですが
他人ごとではないと
投書されています。
『明日、ママがいない』現象と違うのは
「書くな!」と言う人が
いないことです。
傷つきをそのまま
話し合うこと
「負担増」なのに
なぜなんだろうと考える視点
さらには
認知症って?という
―国家プロジェクトである
研究の杜撰さが発覚
いまだに原因不明で
治療法もなし
議論に発展したら
いいですね。
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児童虐待問題が世間で否認したくなる性質なのはなぜなのか。
発達凸凹の本はテキストになっていたので読みましたが、昔なら子供に問題があれば虐待していたりすると余計家から出さず存在を隠していたのではないかと思うのですが、それこそ救いがなく日の目が当たらなかった問題だったのではないかと感じ、それを発達障害とあたかも原因は他にあるという感じにすれば、虐待親もやましさを隠し外と子どもが繋がることができ、まだ救いがある、という面では、隠れ蓑で良いと感じました。虐待の性質を考えたら理由は何でもいいからとにかく外部とつながらなくてはと。
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>RINKOさん
それもわからないことはないですが、今の日本では子どもを座敷牢に入れておくことは不可能です。外につながっても「発達障害」と言ってあげてますから、弁護のしようがない話だと思います。読んでないから知りませんが、詭弁を弄しているのではないですか?