あ* 2014年11月10日 00:40 SECRET: 0 PASS: さわり玉のほかに何もない世界。 触り=“feeling” でしょうし、 刺激として強すぎれば、 障り=「病気」でしょう。が、 それを食べ続けて内面を構成するものの、一雫の涙=anima=霊魂を得るまでは、個人の良心が外からは認められないカオナシ状態だった。それが、 anima=霊魂=無意識の人格を得ると、それまでに内面に取り込んだものが血肉(←赤色)となり、外からも見える個性を構成するようになった… というふうに見えました。 当人の良心が無視されているかぎり、PTSDは認められず「うつ病」扱いされて、PTSD克服の原動力は当人の良心だけなので、個性化には向かわないカオナシ状態の「うつお」ということなのでしょう。 さわり玉は、おそらく種類があり、さわり玉しか取り入れるものがない過酷な世界ではあるものの、それでもなお、どの障り玉をどういう順序で、どういうスピードで、どう食べるかは、「うつお」本人が見て決めて実践しているので、そこに主体が認められて、内面の自由があります。過酷な世界で毒になるものばかりでも、その人らしく生きるというPTSD克服の物語でしょうか。 返信 ↓
翠雨PTSD予防&治療心理学研究所 2014年11月10日 06:06 SECRET: 0 PASS: >あ*さん きれいに解説していただきました。 ありがとうございます。 なるほど、タイトルは「うつ神楽」でもいいわけです。その方が注目されますしね。 発達障害論で間違って問題にされた「主体が立ち上がる」というテーマも取り込み、さすがに宮崎駿の創造力は深いですね。 返信 ↓
あ* 2014年11月10日 12:22 SECRET: 0 PASS: >翠雨PTSD予防&治療心理学研究所さん 『うつ神楽』©宮崎駿 http://ameblo.jp/aya-quae/entry-11950456482.html というブログ記事と、それに関連して、 駅弁祭りさんのところにコメント 1. 禅の公案、「主体」と「さわり玉」(©宮崎駿) http://ameblo.jp/blue1239/entry-11949475065.html#c12631879023 を書きました。 返信 ↓
SECRET: 0
PASS:
さわり玉のほかに何もない世界。
触り=“feeling” でしょうし、
刺激として強すぎれば、
障り=「病気」でしょう。が、
それを食べ続けて内面を構成するものの、一雫の涙=anima=霊魂を得るまでは、個人の良心が外からは認められないカオナシ状態だった。それが、
anima=霊魂=無意識の人格を得ると、それまでに内面に取り込んだものが血肉(←赤色)となり、外からも見える個性を構成するようになった…
というふうに見えました。
当人の良心が無視されているかぎり、PTSDは認められず「うつ病」扱いされて、PTSD克服の原動力は当人の良心だけなので、個性化には向かわないカオナシ状態の「うつお」ということなのでしょう。
さわり玉は、おそらく種類があり、さわり玉しか取り入れるものがない過酷な世界ではあるものの、それでもなお、どの障り玉をどういう順序で、どういうスピードで、どう食べるかは、「うつお」本人が見て決めて実践しているので、そこに主体が認められて、内面の自由があります。過酷な世界で毒になるものばかりでも、その人らしく生きるというPTSD克服の物語でしょうか。
SECRET: 0
PASS:
>あ*さん
きれいに解説していただきました。
ありがとうございます。
なるほど、タイトルは「うつ神楽」でもいいわけです。その方が注目されますしね。
発達障害論で間違って問題にされた「主体が立ち上がる」というテーマも取り込み、さすがに宮崎駿の創造力は深いですね。
SECRET: 0
PASS:
>翠雨PTSD予防&治療心理学研究所さん
『うつ神楽』©宮崎駿
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-11950456482.html
というブログ記事と、それに関連して、
駅弁祭りさんのところにコメント
1. 禅の公案、「主体」と「さわり玉」(©宮崎駿)
http://ameblo.jp/blue1239/entry-11949475065.html#c12631879023
を書きました。
SECRET: 0
PASS:
>あ*さん
拝見します。