天皇皇后両陛下パラオ訪問で伝授されるPTSD予防(こころのケア)のこころ

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映像で見守った
皇太子さまと愛子さまは
こころをこめて慰霊される姿に
深い感慨を覚え
改めて平和の尊さを
こころに刻まれたそうです。
発達障害ブームに便乗するような
(PTSD否認)
風見鶏学者たちは
恥ずかしくないのでしょうか。
 

天皇皇后両陛下パラオ訪問で伝授されるPTSD予防(こころのケア)のこころ」への6件のフィードバック

  1. franoma

    今の国際情勢においては、象徴天皇システムを守ることによって、
    今上陛下の国民的な人気を悪用して統帥権を天皇に戻そうという謀略を止めねばなりません。日本人の基本的人権を守り、象徴天皇のご公務が子々孫々にわたるまで「世界平和を祈願なさること」であるように。

    「東京の公立小学校で6年生の男子が卒業文集に
    『将来、国会議員になって、戦争したり武器を輸出したりしない平和な国を作りたい』と書こうとしたら、
    『政治批判を内容に含み卒業文集には載せられない』として書き直しを命じられたそうです」
    http://nobuhirob.blog.fc2.com/blog-entry-2294.html

    「僕の前に道はない」と書いた愚息は、すべての人に気遣いが出来ていて、結構、頭いいです…でも、
    「アスペ」ラベリングや「ADHD」ラベリングで抹殺されそうなのです。
    「隠れ虐待」実践者たち(←複数いるところが恐ろしい。全員、西洋白人です)が「黒幕」( http://bit.ly/1QZgwbs )だからですね。

    杉山登志郎氏が911講演によってスタートさせたのは、
    ショックドクトリンとセットだったということですね。
    このような悲惨な世界に生まれて、伝わらないものを何とか伝えようとして楽器を持つ子もいて息子もそうでしたが、
    殴る蹴るで自分の思いどおりに弾かせようという「調教」路線をオヤジが選んだので
    二度とヴァイオリンは持たないことに決めたそうです(現状)。そういうふうに無意味に意固地になるのはPTSD症状でしょう。もうオヤジには親権も監護権もないのだから、もし何の確執もないならば、やめる必要はないのです。自分のため、自分に身近な人のために気が向いたときに自分の好きなように弾いて、自分が選んだ先生に指導を受けることもできます。要するに、趣味レベルでやれば良いので、他者のためになる演奏ができるがゆえに、それで飯が食っていけるプロの奏者になる必要もありません。

    暴力と心理操作による恐怖の支配で自分の思いどおりに楽器を弾かせようというのは「虐待」です。隠蔽されていても「隠れ虐待」です。虐待の被害者はPTSD児であって、発達を障害されている被害者です。「発達障害論」詐欺を全部、やめさせないと、日本人の人権は国際レベルで蹂躙され続けます。

    保護者にあるのは、教育の「自由」と、教育を受けさせる「義務」、
    保護されている子にあるのは、自己教育の「自由」と、教育を受ける「権利」、
    保護者とは、子の人権を守るように、親権と監護権を行使し得る人物ですね。

    自己教育の「自由」と、教育を受ける「権利」を子どもから剥奪して良いように法整備をしたのが第一次アベ内閣の教育基本法「改悪」でした。
    これから更に、
    隠蔽、差別、被差別者の棄民を進めることができるように、
    行政法をデタラメにして行政権の主体たる国家がやりたい放題…リヴァイアサンとして市民を食い殺すことができるように、着々と仕事をなさる櫻井敬子教授のような大学人が跋扈しているので(思想信条に関係なく)何とか「アベ政治」を止めないと大変です。

    発達を障害させるように、教育を受ける本人の文化的な基層を蹂躙した上で「発達障害」ラベリングを行い、「治療ストーリー」を「専門家」と称する人が勝手に選んで保護者を丸め込んで家族全員の「洗脳」がなされたのは、人権蹂躙ですね。これは、グローバルになされているショックドクトリンとセットの心理操作です。それを指摘すると嫌がられてしまい、どこにもコメントできませんが、事実でしょう。
    http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12146157940.html
    に書きました。

    私事ですが、亡父の心残りは、敗戦によって言語研究が止められてしまったこと、ジェットエンジンの開発が禁止されてしまったことでした。パラオというと言語研究を思います。植民地主義による日本語押し付けではない日本語学習は可能でしょう。私は欧州にて、失礼ながら変な日本語を話す様々な国籍の西洋白人を見ました。ハンガリーの温泉では「ハンバーガーは、いかがでござるか?」と言われたので「かたじけのうございますが、結構でございます」とお断りしました。チャンバラ映画で日本語を学習したそうでした。いちばん不幸だと思ったのは「変人」とタトゥーをなさったドイツ人です。「恋人」と彫りたかったことは間違いないので、「お金を貯めて日本に行って〇〇に会うんだ!」と言われたら「そうですか、よかったですね、幸運を祈ります」としか言えませんでした。

    おフランス語も、植民地主義によるフランス語押し付けではないフランス語学習は可能でしょう。
    山の学校( http://www.kitashirakawa.jp/yama-no-gakko/ )は、その優れた一例です。

    私個人は、大してフランス語はできませんが、
    『歴史言語学がポイントです。』
    http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12129093669.html
    にご紹介した
    “Dictionnaire historique de lalangue française”
    を毎日、読んで人生を豊かにしています。
    “ÉCONOMIE” や
    “ÉCRIRE” とは
    人類にとって何なのか、おフランス語の辞書を引いて考えると極めて勉強になります。

    ロシア人のエリートさんは、大概、英語もフランス語もよくできて、文人は特に、ギリシャ語やラテン語もスイスイなので、世界に通用します。そこを観察すると、英語一辺倒の現代日本はバカ丸出しですよ。少しはロシア語を勉強するといいかも?…と思います。なかなか英語文献では得られない知見が得られますから。

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    1. wpmaster

      タレント議員と同じ駒のように考えるとは不敬なことです。
      「僕の前に道はない」と書かれたら、灰谷健次郎のような昔の先生なら話を聴きながら考え続けさせたでしょう。
      先生がおかしな資料や会議に忙殺されて忙しいなら、スクールカウンセラーの仕事でしょうね。
      イジメ問題のあとのアンケートも、今のような関係なら本当のことは書きにくそうです。
      そのような教育を受けて研究者になれば、「ボツ」論文など書かなくなるのでしょうね。
      アスペで指導の対象かもしれませんから、大学教育に絶望されるのもわかります。
      音楽も「音が苦」でミクちゃんも「idiotic♪」なのでしょう。

      今の日本向けなら、とりえあず「どうも」がいいかもしれません。
      「へえ」「おおきに」「よろしおたのもうします」も困りますね。
      アフリカでは、旅行客が捨てていった下着だけで歩いている人がまだいますが、おみやげ用のポリエステルの極彩色の長襦袢を「KIMONO」と言って着ている人は流石に見なくなりました。
      みなさん古着屋に行って、日本人も知らないようなよいものをお求めです。
      ネットのおかげかもしれませんね。

      ロシアの文人ですか。
      今はどんな感じなのか興味深いですね。

      返信
      1. franoma

        「ボツ」論文は、息子だけではなく我が家でも先祖代々書きませんよ! 論文の投稿料が高いからです。

        「ボツ」論文は、法師(=蓬茨)先生もお書きになりませんでしたよ。論文の投稿料が高いからです。でも、論文に書かなくても、非公式には辛辣に議論( http://bit.ly/23eP0yr )していました。www

        「ボツ」論文をお書きになる翠雨先生を応援します。
        あの場合は明らかに「ボツ」にする査読者がバカなんだけど、多勢に無勢ですね。

        返信
        1. wpmaster

          私はそこに気がつくのが遅かったのです^_^;
          デジカメ主流になる前のポジの時代からですから、写真代が凄いムダになりましたが、返してもらえないと思います。

          ちょっと前に学会投稿はやめましたので、ボツはもうないですけどね。

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