文科省の調査によると
新たに不登校となる小中学生が
増えているそうです。
1993年度の約3万3千人に対し
2014年度は約6万5千人⁉️
自殺対策も
不登校対策も
誤診と薬漬けが基本では
どうしようもないですね。
PTSDを
フツーとか
自宅警備員(引きこもりタイプのPTSD)と呼ぶ
傍観者も
「いじめ」でしょうし
Researchmap悪用して
ストーカー行為をやめないので
訴訟中の
idthatidなんかでも
スクールカウンセラーやってますよ。
もう廃止したほうがよい制度です。
優れたブロガー氏で身体医としては真っ直ぐ自己実現の道を歩まれながら、PTSD発症リスクにある人たちを躁的否認に持って行ってしまうであろう記事を今もお書きの御仁がおいでです。
http://ameblo.jp/scg425/entry-12123381563.html
それで、以下のコメントをしようとしたら、雨風呂さんに撥ねられたようです。
コメントタイトル:
野口雨情に倣い、PTSD予防&克服
コメント内容:
ただ笑い飛ばすわけではありませんよね?
一生、悲しみを背負いつつ、笑うときは笑うだけです。
ところが、心ない人々がおり、「笑うときがあるのは、大して堪えていないということだから、もっと追い詰めてやる」という判断をします。そういう誤判断は、PTSDによる認知機能の歪みというもので、年端のいかない子どもに対する加害行為を否認するために世界レベルで悪用されてきました。
正常な悲哀を「病気」扱いした上で、
「過去を忘れて前向きに」笑い飛ばす
http://ameblo.jp/phantom-nightmare/entry-11670326442.html
と、PTSD予防はできず、震災でも、いち早く仮設住宅から自立して放火犯
http://ameblo.jp/raingreen/entry-11990259682.html
になったりします。
原爆PTSDは、ありますが、否認されています。
http://bit.ly/USAbused
英国民は、レイモンド・ブリッグズ『風が吹くとき』でしょう。
一方、日本人の多数派が一生、悲しみを背負いつつ、笑うときは笑う心情は、
『シャボン玉』
http://www.douyoukan.com/syabondama.html
「風 風 吹くな しゃぼん玉 飛ばそ」
ではないでしょうか。
世界に「オーバーキル」路線をやめない人たちがいるのは、殺害対象とされている我々の責任ではありません。あの人たちは自らトラウマ複合体を肥え太らせたので、「オーバーキル」路線をやめられなくなってしまったのです。あの人たちの殺害対象になっている私たちは、「オーバーキル」路線を続ける人たちの下僕になってはダメで、安全確保こそが回復への第一歩と確認することです。つまり、殺し合いに参加しないように、殺人鬼とは縁を切ることが必要です。
「オーバーキル」路線の人たちとは縁を切って初めて心から
「ワッハッハ、僕は治るぞ、治るぞ!!」と
言えるでしょう。
===コメント内容おわり===
この内容でコメントできないのは、辺野古について
http://bit.ly/1nvBFlk
こういう状況だからではないかと推察します。現地の人々を「万策尽きた」というところまで追い詰めてはならないし、「オーバーキル路線の人たちとは縁を切るしかない」と世界中の心ある人々に明示されてしまうから、PTSD否認はダメだという内容のコメントはさせてもらえないのかも知れません。
ちなみに、スクールカウンセラーはじめ心理職の多数派も、子どもや保護者はじめ当事者が「万策尽きた」というところまで追い詰めて心理操作を行ない、躁的否認に誘導して「治った」と言い張ることになさっています。すると、アグレッサー
http://bit.ly/1hz1Jsv
を量産してしまいますが、気になさらないどころか、それが目的なのかも知れませんね、日本社会を崩壊させて日本人庶民を「オーバーキル」路線の下僕として悪用するために。
香山リカ氏もレイシズムに反対するのは結構なのですが、ご自分が解離なさっては精神科医&心理職としては終わっていますね。NHKに出してもらって石破氏にヨイショ質問なさるようでは、平和運動の旗手という役割は果たせません。結局は、平和運動の分裂策動者役を果たしてしまうでしょう。まず、ご自分が解離しないようになさって、それから非暴力を貫く平和運動の旗手として立ち直ることが必要です。
不登校問題に話を戻しますと、不登校は治ったけれど、もっと弱い他の子を殴るようになったとか、先生に抗議するのではなく、先生を殴るようになったとかいうのでは、PTSDは治っていませんね。負の連鎖に加担する「加害者としてのPTSD」にスイッチしただけです。
人間が査読するわけにいかないのはわかりますが、コンピューターに覚えさせた設定が、どうも安直すぎるのではないかと推測します。
笑いに偉大な免疫力があるのは否定しませんが、これだけに頼るのはどうかと思いますし、「笑い」の質が重要になるでしょうね。
残念ながら、添付されている映像がその答えとなり、すべてを物語ってしまっていますし、「哀しみの否認」が浮き彫りにされています。
万人受けするよいイメージをお持ちですが、香山リカも昔からあのような表情ではなかったのでしたね。
「悲しみ方」の質を考えるとき、『シャボン玉』は深いですね。
今はわざと大量の犠牲を献上する時代なので、『シャボン玉』に相当するような鎮魂歌は生まれないですね。
加害者PTSD夢見るはにわを利用し、たきつけるスクールカウンセラーidthatidも、香山リカ同様醜いと思っていたら、その存在は勤務先にも実害を与えるまでになったそうです。
PTSD解離行動は連鎖しますね。
https://twitter.com/franoma/status/693681828452921346
RN:孔徳秋水 「…ひとりひとりが、サルから人間に進化すれば、その分だけは確実に世の中は変わる」のは正論ですが、明らかに有色人種をサル扱いしていますよね、わざと?…「個体能力論では #教育 はできない」(©鯨岡峻)と言いましょう。 http://amba.to/1m6OhhX
https://twitter.com/franoma/status/693683186346242048
@franoma #トラウマ 複合体には #放射能 #恐怖 トラウマも含まれており、学校給食の安全性に不安があるという声をきちっと聞き取り、やることをやらないとPTSD予防ができず社会を崩壊へと導くでしょう。#不登校 も増えます。 http://bit.ly/1JQRLAO
学校における「安全確保」には、学校給食について不安を口にできないのは問題です。できる限り内部被曝の低減に努めるように合意形成が必要です。それに関連して昨日、以下のコメントをしたところ、それも、できませんでした。トラウマ複合体には、放射能恐怖トラウマが含まれる点を指摘することに繋がるのが拙いのかも知れません。
http://ameblo.jp/oginaoki/entry-12123151747.html#c12817407552
2 ■全部、第三者機関の監査が必要
(1)全員が零ベクレルのものを食べることはできないとしても、子孫を既に残し、老い先も短い中年以上が率先して調理を工夫して食べれば良いのに(地域によっては)真っ先に給食に出して子どもを安全アピールに利用しています。
(2)根拠が薄弱な仮説に過ぎない「発達障害論」をさも世界の定説であるかのように騙して、学校から精神科医へ繋げて実験動物として利用するルートがあります。
(3)「すべての子どもを人間扱いして人間教育をしよう」という教育哲学が崩れてしまっている学校現場もあります。
それゆえ、
(1)給食の安全について合意を形成する。異議がある保護者は文京区のように弁当持参を許可して少数意見も尊重する。
(2)仮説に過ぎない「発達障害論」をさも世界の定説であるかのように騙して精神科医へ繋げる詐欺は、もうやめる。
(3)すべての子どもを人間扱いして人間教育を行なう。
この3つを守るため、教育現場を査察する人が必要かと思います。この3つができていない国は、所謂「先進国」でも日本だけではありません。しかし、やらなければ公教育が崩壊するでしょう。
あ* 2016-01-30 18:01:42
同感です。
そしてわざとだと思います。
放射線実験のし過ぎで、不安の「解離」ですか。
スクールカウンセラーも中年になれば、子どもを心療内科送りにすることに慣れてしまい、その人身御供で生きている事実を否認する段階になれば、「自分は食べなくても子どもに」なんていうような親心など持てないまま老いてしまうのでしょう。
我が娘の顔もわからなくなったアウシュビッツの元看守が、自分はいかに優秀だったか誇る話を読んだことがありますが、そうやって晩年は過去の栄光(?)に浸りながら狂ってゆくのでしょうね。
サル教育の一環の要は「食」でしょうから、「学校給食」は大事な場ですね。
汚染物質はまずここに集中させないといけませんし、弁当持参など勧めてはどうしようもないので、「差別につながる」等の詭弁で阻止する必要があります。
わざと心身を弱らせて集めたご老人を、薄給で世話させる場面では、日本人の好きな「一体感」イメージを使い、「同じ釜の飯を食わんと気持ちがわからん!」「食中毒も怖い」と栄養士がつくったエサを強制的に摂取させるところも多いそうです。
ないときはないなりに、あるときにはあるなりに、それぞれ自分の心身と対話し工夫し考えながら食べる自由が与えられるなかで、分け合うのが「人間」ですよね。
「ない時はないなりに、ある時にはあるなりに、それぞれ自分の心身と対話し工夫し考えながら食べる自由が与えられるなかで、分け合うのが『人間』」という点に同感です。
私どものいる首都圏で某地域の公立中学校では「高汚染地の産物は避ける」という程度で一応、合意が形成されたようですが、おそらく、もっと厳しい基準で気をつけたい人はいるだろうと思います。例えば、
『給食もみんなで食べれば怖くない・・・のか?』
http://ameblo.jp/sannriku/entry-12122396691.html
「娘の爪検査、給食やめたらウランとセシウムが平常値に。土壌4Bq/kgの松本在住で、家での食材にかなり気を使ってても、給食から摂取してしまうってことだ。ホント気をつけようね日本中の子どもたち! 爪検査、一度はやったほうが良いよ、15000円…」というご意見もあります。しかし、この検査は、給食から常に微量なウランとセシウムが摂取されているだろうことを推定できるだけで、我が家では、そこまでは要求していません。
「本日は潟上市の小学校給食で使用されていた、千葉県産の人参の放射能を測定してみました。果たして放射性物質は検出されてしまうのか(;゚д゚)ゴクリ… 【濃縮】千葉県産 ニンジン【23kg】」
http://beguredenega.com/archives/6070
このくらいのニンジンなら我が家では食べます。ゆえに給食に出ても気にしません。要するに、福島県庁の職員食堂くらいに気をつけてくだされば、我が家はOKです。ちなみに、福島では、県庁の職員食堂は、学校給食よりも厳しい基準で食事が用意されています。
しかし、福島県庁の職員食堂並みでは満足できず、気にする人は気にしますから、そういう人にはご本人の判断で、給食は申し込まず、お弁当をお持ちになって良い…とするしか、どうしようもないと個人的には思います。あるいはストロンチウムの実測がない牛乳は飲みたくないとか、サンマは三枚におろして酢塩水に晒してからの調理でも食べたくないとか、イットリウムが測定されていない魚介類は食べないとか、個々人がアサーティブに「私は個人の生活で、ここまで注意していますから給食も同じレベルまで注意して食べ、その基準に外れたものは残します」と言う声は、あるでしょう。そういう声に対して言論封殺があってはならないということです。
以前、鮭の安全アピールをするより実測と加工こそがPTSD予防だとコメントしましたね。そういう話です。
http://ameblo.jp/raingreen/entry-12093771800.html#c12790144932
1. 放射能汚染について実測はPTSD予防になります。
放射能汚染について実測の裏付けなしに安全アピールをする解離性ウソつきがPTSDの温床になるという点に同感です。
放射能汚染について実測はPTSD予防になります。
実測して現実を直視して、
逃げるか、闘うか(被曝低減の工夫をするか)各人が決めることがポイントだからです。
「知らぬが仏」の方が良いと主張する人たちは、PTSDをご存じないと言えます。
あ* 2015-11-10 13:28:19
この実測を進めてくださっているのも早野さんら東京大学の人々ゆえ、彼らに抜けている点はPTSDに関する認識だけです。
そして、PTSDに関する理解があろうとなかろうと、以下のような変な補助金を出して、大人が食べないものを子どもに食べさせるのは、頭がオカシイ施策だということは、広く合意が形成できるのではないでしょうか。
『学校給食に福島野菜使用で補助金』
http://ameblo.jp/sannriku/entry-12122422576.html
爪の検査に15000円ですか。受けるかどうか判断するにも知識が必要なのですね。
私には知識がなく、勉強する時間もないので、どうしても厳しく設定しがちですが、旅行や外食の時はデタラメです。
そういう感覚は個人の自己責任であり自由なので、言論封殺はやめて欲しいなあといつも思います。
嘘の情報も困りますが、結局は「実測」しかないということですね。
福島県庁の職員食堂が学校給食より考慮されているとは驚きですが、わかりやすいです。
子どもを大事にしない国はどうしようもないですね。