「眩む」「霞む」「滲む」「絡む」世界から
逃れられないという
大いなるあきらめに終始するのかと思えば
最後の最後に
「闘う強さ」「願ってよ」が
弱々しいながらも
出てきます。
野山は死んでしまったのではなく
冬枯れに過ぎず
よく見れば新芽が春になるのを待っていたりします。
(一陽来復)
どん底をみるからこそ
救われるんですよね。
躁的お祭り騒ぎには
そんなパワーはありません。
かぐや姫の物語にも通じる
象徴的なモチーフがあるので
温かい
拍手がもらえているのではないかと
思いました。
これまた雨風呂にコメントしてみたら、承認待ちにならず消えますので、こちらにコメントします。
先ほど、
http://bit.ly/1TuMG2R
にコメントしたように、躁的否認に陥らないための微妙なところを理解いただけるような表現ができていないため、私らの方が一方的にキチガイ&バカ扱いで今日に至りますが、これはもう、今のところ、どうしようもないことです。
http://bit.ly/Ssensei
も無視され続けるのでしょうね。しかし、明治学院大学の若い人が引用してくださっているのが微かな希望です。
熱心に情報交換したりするのも「スパム」扱いされてしまう傾向があるように思います。
語学の勉強もやり方によっては「粘着」「アスペ」認定されかねないのでしたね。
私も先ほどからの話題を意識していて、この曲を見つけました。
大学生が最近つくったようです。
バカバカしい時代ですが、期待できる若い人たちもいて、それが救いです。
変な人が心理職として出入りしているような学校でも、どこかに隙間があって死なずに済み、実験動物として利用されずに済むと良いと思いました。幸多かれとお祈りします。前途多難ですがね。
少子化が進み、入学希望者を取り合うことになる学校法人は、「発達障害論」詐欺を悪用して阿漕なことをしてはダメですね。曰く「あなたのお子さまは障害者なので我々が特殊教育を施して障害者として保護してもらえるように育てます」とか。行かない方が良い学校です。しかも、「遺伝」する「障害」なので、将来、縁談が壊れることもあります…とか。普通に暮らせないように心理操作を加えて誘導しよう、子孫を残せないようにラベリングしてやろう…という底意が見え見えなので困りますね。
阿漕な人たちとは関わり合いにならないことが一番です。
私もそれを望みます。
服薬をやめた子はみな、本当は嫌だったしおかしいと思ったと言います。
でもお母さんも先生も助けてくれなかったんです。
このお人形さんも、他に選択肢があるなら示してよと言っているように思います。