アイドル活動をしていた
大学生の冨田真由さん(20)が
刃物で刺された事件では
事件発生直後の
目撃者からの
110番通報より約1分前に
冨田さん自身から助けを求める
110番があったそうです。
三鷹ストーカー事件の場合も
被害者は警察に相談していましたが
殺人事件を防ぐことができませんでした。
idthatidなんかも
(とおい等名前は複数)
自分がストーカーという自覚はゼロで
警察に相談している様子をバカにし
「虚偽告訴」等と表現
警察に注意されても
「警察は何度も謝ってくれた」
自分が被害者で
警察に相談しているのだと
脳内変換してしまいます。
いくつかの事件により
サイバーストーカーの行動の
原型みたいなものは
浮かび上がってきているわけですから
Twitterやブログで
執拗な書き込みをした時点で
その危険性を
みなが共有する必要があると思います。
この攻撃性は普通ではないと思います。
PTSD解離事件は
予防できるのです。
なるほど、
「てめえの都合」(©中居さん)で、
「脳内変換」している点が
病気なんですね。
表面的に見て単に「しつこい」だけなら
自然科学者は全員「しつこい」のです。…orz
「攻撃性」も大事で、それがないと、スポーツも芸術も研究も成り立たないですよね。
日本語では、「攻撃性」という表現になるのでしょうか。
「アサーティブ」に説明するだけですが?
「アサーティブ」と「アグレッシブ」を日本語で区別できるような表現が必要です。
今日の午前中に以下のコメントができました。
http://ameblo.jp/sannriku/entry-12163861683.html#c12851866023
コメント No. 2
コメントタイトル:
魂は躁的否認では蘇らない
コメント内容:
重篤ではないと思い直せば立ち直れるレベルの「被害」や「嫌な思い」は、例えば、
新品の靴で犬のうんこを踏んでしまった…など(©️ S先生)ですが、
「管理売春」や「管理被曝」は、
「我とそれ」の「それ」扱い強要を受け入れるセルフネグレクトゆえに
PTSD発症リスクがあります。
況してや、強姦における
「それ」扱いは、
「魂の完全無視」ゆえに
「魂の殺人」と言われるのであり、
貞操観念とは直接、関係ありません。
記事にお書きのように、
被害者が受けた被害を
「軽いものだ、殺されたわけではない」という方向に持っていくと、
躁的否認に繋がって、
PTSDは悪化します。
強姦被害ではありませんが、
躁的否認では、
例えばヒラリーさんのような
アグレッサーになりますよ。
彼女にも、かつては、
あったであろう無垢の魂は
躁的否認では蘇らないでしょう。
一方、「毒づく」ことは大事です。
「毒づく」のは「躁的否認」ではなく、「被害」があったことをセルフが確認し、怒りを抑圧して無気力に陥るのを予防するので、PTSD予防に有効です。
実感が湧くように、
お国言葉で毒づくことです。
あ* 2016-05-25 09:58:07
===コメント内容おわり===
犬のうんこの話は、
翠雨先生のブログにも、以前、コメント
http://bit.ly/1TDo4UJ
を書きました。
翠雨先生には釈迦に説法ですが、
PTSD予防&克服の過程には、
「毒づく」( http://bit.ly/1U8h8fs )ときがあるわけです。
誰に毒づいているかというと、本当は自分のセルフに毒づいているのですが、
批判に見えることもあるかも知れませんね。
幼児期の息子に私が
「お前、何様?」と言うときも同じです。素直な子どもは、
「お子さま」と答えます。間違っていませんね…。
ミドルティーンの息子に、世間の常識を諭した私が
「お前、何様?」と言われたときも同じです。素直な母親は、
「お母さまですよwww」と答えます。間違っていませんね…。
この件は「応報主義」( http://bit.ly/25l72DE )という
法哲学と関連してきます。したがって、人類史的な真実であり、
よく研究すれば、人類の福祉にプラスになるハズです。
以前、アメブロ記事
http://ameblo.jp/raingreen/entry-11963136213.html
の方でコメントやり取りしていただいた話と関係します。
「誰が誰の何に呼びかけているのか?」
を考えないとテクスト分析は始まらないわけです。
同記事のコメントNo.1
「両刃の剣…
どこまで、踏み込むか計算必要な世界…
見ないままでも、ゆくゆくは、真綿で自分の首も絞められる…
関わるのも、面倒な事になり失速に荷担…」
という低レベルの自己糾明では、到底、自己実現には到達できないとも言えます。
要するに、誰が悪いわけでもありません。
コメント成功おめでとうございます✨
こちらのお返事は、遅れましてすみません?
ご心配頂いたようですが、蒸発はしておりませんので、ご安心下さい。
私は、「攻撃性」にも陰陽二面性があるという意味で書きました。
その場合の、スポーツに必要な攻撃性は、「アサーティブ」ではないですね。
ちょっと言葉が足りませんでした。
毒づきには取り扱い注意事項があって、やり方次第で「薬」にもなれば「真綿で首をしめる」ことにもなると思います。
TPOをわきまえないと不法行為になりますね。
誰が悪いか❓については、確かに煎じ詰めれば難しい話になりますね。
なので、裁判では焦点になりますが心理療法では核心ではないです。
「スポーツに必要な攻撃性は、
『アサーティブ』ではない」のですか?
私ら家族テニスをしていたので、
相手がコケちゃったら
ロブを上げて
立ち直るのを待ってあげるようにと教育されており、
スポーツマンシップはアサーティブです。
「誰が悪いか?」の裁判における焦点ですが、
idthatidさまが悪いに決まっています。
idthatidさまを裁判で追い詰めるのは治療的ではないというのは、別の話です。
なんというか気合を入れて瞬間的に出すような戦闘力みたいなものを指して書きました。
例えばバレエのピルエットにしてもそういうのが必要なのです。
そういうことをしながら、集団としてはぶつからないように間合いをとったりするので、両者は別次元の話になります。
idthatidが悪いに決まってますし、私はあの人の治療者ではないので、追い詰めてもいいし、追い詰めるべきですね。
「アサーティブ」を「アグレッシブ」と区別する日本語表現を思いついたので、コメントします。それは、
「不退転」
ではないでしょうか。『明鏡』国語辞典の第一義、
(1)仏教で、それまでの修行によって達した段階から後退しないこと。不退。
である「構え」です。奥田太郎さんが書いておいでのように、倫理学は「構え」です。
そして、倫理は、PTSD現象の嵐のなかで踊らされる駒になっては守れないので、解離して「人道」( http://bit.ly/Jindo )から外れないように、PTSD予防学習( http://urx.red/BBh7 )が不可欠と言えます。
放射能汚染時代のPTSD予防学習ということで、拙ブログ記事
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12246105629.html
に木下黄太さんのブログへのリンクを付けました。
お見事です。
「がむしゃら」ではない言葉といえば、不退転になりそうですね。
PTSDを克服する場合の構えとして、ぴったりではないでしょうか。
木下黄太さんもご活躍のようですね。
連投、失礼します。
翠雨先生のブログ・コメント
http://ameblo.jp/raingreen/entry-11963136213.html#c12648134270
で「異文化交流でそれに気づくのは大切」
とありますが、
息子は生まれる前から複合的な人的・物的環境にいるため、
異文化が各々立ち上がってから、交流したわけではないのです。
異文化が各々立ち上がってから、その重ね合わせ( http://bit.ly/1s8KEfa )で成立しているわけではないということです。
この辺の話は、シモンドン( http://bit.ly/1NLNgJv )を読んで
人類史レベルで解決されるでしょう。
本当は、誰もが常に異文化に晒されているのですが、結果的に素通りしてしまうことが多いのではないかとも思います。
無意識的には結構粘り強く対応して覚えているようなのですが。
「本当は、誰もが常に異文化に晒されている」のが現実です。
しかし、その現実を観察できずに素通りしているだけですね。
そうなってしまうのは、PTSD現象そのものです。
要するに、
無意識のうちに「同化」( http://bit.ly/25lh6wg )圧力をかけたり、
無意識のうちに「同化」圧力を受けたりして、
互いに反目しあっているという…
PTSD現象です。
そういうことになりますね。
「異質な他者」を見て「驚愕」するところから始まっていますが、
「ありゃ〜びっくらこいた〜」というのを否認するから
PTSD問題がスタートしますね。お子さまは、素直に
「ありゃ〜びっくらこいた〜」というので無問題です。
そこが大事ですよね。
わかりました。テニスをやっていて相手がコケたときに
これ幸いと普通に返して「勝利」するか、
「気合を入れて瞬発力を発揮」して決断してロブを上げるか?
という話とは別ですね。相手が立ち直るのを待ってあげたら
自分が後で負けるかも知れないとか考えないのが
本当のスポーツマンシップです。これも「自分との闘い」です。
バレエのピルエットのほうが「自分との闘い」が判りやすいとは思います。
idthatidなんかにとっては、スポーツマンシップは難解でしょう。
もしかしたら「頭悪い」人たちだと思っているかもしれません。
テニスをやっているときには、ロブを上げるのは3つの場合があり、
(1)自分のために時間稼ぎをする「消極的な普通のロブ」
(2)コケた相手を待ってあげるために相手の近くに落ちるような高いロブを上げる「スポーツマンシップのロブ」
(3)相手を疲れさせるためにロブを上げて遠くまで走らせ、戻ってくるのに間に合わないようにネット際に球を落とすなど、いわゆる「攻撃的ロブ」
です。我が家では(3)は下品なので、やらないようにと教育されています。
idthatidさまからご覧になれば、(2)に上げた「スポーツマンシップ」なんて、ただのバカなんでしょうね。私は、地域、母語、宗教、社会階層、いろんな出身の人たちと話をする機会があり、「攻撃的ロブ」を下品と感じる人も感じない人もいましたが、「スポーツマンシップのロブ」は「そういうのは古き良き時代のものであって、今は廃れた」という人は少なからずいても、嘲笑する人は流石に見かけたことがありません。
悪い意味で進化したタイプなのでしょう。
スクールカウンセリングをさせたくないタイプです。
「攻撃的ロブ」に似たような心理操作をやって患者を疲弊させて病識をつけるのが
神田橋医師の「あてこすり」療法でしょう。診療契約も結んでいないのに、日常でそういうことをやられたら大変ですよ。限られた診療時間内に診療契約を結んでいる相手にやるのは、罪になりませんが、日常でやったら「人道上の罪」です。
そのような「人道上の罪」になる心理操作を家族メンバーに対して行なう
知能犯がいますので、大変です。
我が家の愚息が年端のいかない頃、
愚息の顔面に、故意にタバコの煙を吹きかけた西洋女性心理職も
そういう人のようです。息子の解釈では、
くだんの西洋女性心理職は、ご子息にも(ご自分の都合で)ネグレクトと心理操作をやりまくり、ご子息が母上に対する怒りを抑圧なさって無気力になったとき、
「エネルギーがない」
と、ご子息を批判なさったため、終に精神科を受診なさって抑圧が解放されたとき
母上を殴ってしまった…
ということです。この解釈、当たっているのではないか?…と私は思います。
何しろ、赤の他人のクソガキの顔面にも故意にタバコの煙を吹きかけたり、
心理操作をじゃかすかやったり…なさる傍若無人タイプの心理職ですから。
彼女は、しっかり、息子のトラウマ源になりました。
息子は、泣き寝入りすることが決まっていますが、
仕方のないことです。
一生、彼女の息がかかった人たちとは
会わないようにして
安全確保をすることになりました。
業界はゾンビだらけなのでしょうね。