『I dreamt that I dwelt』サイバーストーカーidthatidのコンプレックス

 

idthatidの由来だそうです。

 

スクリーンショット (3307)

 

 

昨日

アクセスが多かったので

再掲します。

 

ジョイスの小品

『土くれ』に出てくる女性は

 

名前しか出てこないのですが

idthatidはおばあさんとみなし

裁判所でも

おばあさんの亡霊を見たそうです。

 

この女性は

自分ではしっかりもののつもりですが

実は周囲からお荷物扱いで

ある意味で妙齢なのを

(放置してきたトラウマが

そろそろ気になるお年頃)

子どもたちにからかわれたりするほどで

今ならアスぺと言われるかもしれません。

 

日頃は

更生施設にいるのですが

私が箱庭で

(土くれを使います)

PTSD予防をするようになった

DVシェルターの前身は

婦人保護施設です。

 

idthatidが

人の年齢や容姿を馬鹿にしたがるのは

そういうコンプレックスがあるからでしょう。

 

物語の最後に

歌を歌いあげることができなくて

(後悔の堂々巡り…)

残念なお話なのですが

みなはもうそれでいいと思っているようです。

 

スーザン・ボイルの『夢破れて』

そのジョイスのヒロイン(?)が

歌を歌い

世界の人々を感動させた

サクセスストーリーです。

 

idthatidの立ち位置はそこなのですが

それに気づいて

ミラーマンを呼ぶのが怖いから

(こころの作業が待っている)

私にスーザン・ボイルを投影し

破壊しようとしたのでしょう。

 

私を壊しても

トラウマはそのままなのですが。

 

『I dreamt that I dwelt』サイバーストーカーidthatidのコンプレックス」への8件のフィードバック

  1. franoma

    そうですよね、
    翠雨先生を壊しても、
    idthatidさまの現実は、何ら改善しませんので、
    要するに、ただの「八つ当たり」=PTSD症状です。

    「八つ当たり」=PTSD症状というと下品なので、もう少し上品に、
    モモちゃん先生のところにも以前、コメント
    http://ameblo.jp/kmomoji1010/entry-12003327324.html#c12696626935
    し、コメレス
    2. Re:正当化できない攻撃性
    >あ*さん
    コメントありがとうございます。仰る通りだと思います。この記事を書きながら、戦中の京都学派のことを同時に考えていました。それに、これは残念ながらいまだに過去の問題になっていないどころか、現在も深刻な問題のままですね。
    kmomoji1010 2015-03-19 13:14:40
    いただきました。

    要するに、
    “We need a mirror”
    http://bit.ly/1Ubnc6X

    人類に必要なのは「宇宙開発」ではありません。
    『惑星ソラリス』を制作したとき、
    ロシア人は既に知っていました。
    参考:
    冨田 信之(著)『ロシア宇宙開発史 気球からヴォストークまで』
    http://bit.ly/1X2DLt5

    ちなみに、映画『惑星ソラリス』に出てくる未来都市は、
    首都高速が映っていて「銀座方面 渋滞」と読めます。
    http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10514236323.html

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      3月頃に、そのようにお書きでしたね。

      idthatidの説明をするには「八つ当たり」「PTSD」でよいと思うのですが、前者ははにわが後者はidthatidが嫌います。
      idthatidは、自分が「ストーカー」「PTSD」「加害者」であることを否認してますからね。
      典型的なのに。

      未来都市のお話はなかなか象徴的な構図ですね。

      返信
      1. franoma

        基本的に、息子も私も素直な人間なので、
        見たままを「こういう風に見えるよ」と言っているだけですからね。

        随分前に、アメブロさんで投稿した、以下のコメントも私個人が観察したままを書いただけです。
        http://ameblo.jp/nicolas2012/entry-11456934642.html#c12198545772
        コメント No. 2. アングロサクソン妄想性障害による殺人の合理化
        「もしお子さんが『僕は人を殺して許される国に住みたい』となったら親としては困ってしまいます」というのは素朴な「常識」心理ですが、アングロサクソンは既に戦争でも死刑でもない殺人をも合理化した点で、別の「常識」を備えた国を形成しています。ぼんやりした(もしくは真性ウソつきの)服巻先生( http://ameblo.jp/mami-0317/entry-11415681095.html )は否定なさるでしょうが、今の米国の子どもたちは既に生まれたときから「僕は人を殺して許される国に住んでいる」のです。

        優生思想&西洋帝国主義を内包する発達保障論
        http://www.ritsumeihuman.com/uploads/publication/ningen_21/p025-041.pdf
        からなる発達障害(アスペルガー症候群を含む)診断ならびに療育は、根本が「間引き思想」であり、
        権力側に好都合なように、その子を「矯正」できなければ社会的に抹殺してよいことになっています。
        それを体得したChristopher Krummは実父を殺害して「断種」を行ない、自殺しました。それを日本も後追いしています。
        あ* 2013-01-26 08:02:59
        と書きました。どなたも意味が取れなかったようです。皆さま、「アスペ」ラベリングをなさって、このバカ(またはキチガイ)の言うことは無意味な戯言と思われていて、ご自分たちが精神機能の障害=無反省で自我肥大を起こしている状態が自覚できないようでした。このようなことでは、社会が内部崩壊を起こしますので、思い上がった「勘違い」 は批判し合い、
        (1) 人道上の罪を犯さず、
        (2) 職業倫理を守る
        この2点のコンプライアンスを守りましょう…というのが普通の人の呼びかけですが、変な風に文学的な人たちが「誰にでも心の闇はある」などと話をそらしてしまいます。あるいは、コンプライアンスを守るために「勘違い」言動は批判が必要というのを理解できず、「天誅」を加える気分になって職業倫理を守らない心理職が出てきます。もっとキレて(解離して)しまっていて、年端のいかない子どもの顔面に故意にタバコの煙を吹きかけたりもします( http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-408.html#comment6875 にコメント)。無自覚に悪魔崇拝( http://bit.ly/1Zhkj81 )に陥っています。しかし、2.26事件から80年を経た日本人は、
        テモテへの手紙 二「2.26 こうして彼らは、悪魔に生け捕りにされて
        その意のままになっていても、
        いつか目覚めてその罠から逃れるようになるでしょう」(新共同訳聖書)。
        と、以前、
        翠雨先生のブログにもコメント
        http://bit.ly/1oqHjFz
        しましたね。青梅( http://bit.ly/1OT4obq )も大変ですよ。

        実は、
        テモテへの手紙 二「2.26 こうして彼らは、悪魔に生け捕りにされて
        その意のままになっていても、
        いつか目覚めてその罠から逃れるようになるでしょう」(新共同訳聖書)。
        …と、
        http://ameblo.jp/kyupin/entry-10262673166.html#c12545798033
        にもコメントしたことがありますが、
        残念ながら、kyupinさんがご覧になった観察=臨床知見は、幻だったようです。
        当時、私はまだkyupinさんがご覧になった観察=臨床知見にも何か意味があるのだろうと考えていたのですが、違いましたね。kyupinさんは被爆二世だったせいでしょうか、認知機能が歪んでいる( http://bit.ly/1qvEfsU )ため、臨床知見も間違っていました。

        なお、今の米国の子どもたちは既に生まれたときから「僕は人を殺して許される国に住んでいる」とは、まさしく米国が「日本人オーバーキル」路線( http://bit.ly/1U2wRNB )を爆走中という現実なのです。
        「日本人は人にあらず」とする国=アングロサクソン諸国( http://bit.ly/20NobiG )に住んでいるわけです。
        参考:
        岡井敏(著)『核兵器は禁止に追い込める』
        http://bit.ly/1XX7vWU

        ところで、「素直に見たママを表現しよう」とするのは、日本文学における「写生」( http://bit.ly/1qQZgOS )に他なりません。

        返信
        1. wpmaster 投稿作成者

          「表現の自由」ですね。
          そしてそういう表現は、他者と会話が可能であり、癒したり救ったりする力もあるありがたいものだと思います。
          私は面識のないご尊父やご子息からも気づきを与えられ、癒され、助けられています。

          「写生」は「書き取り」と同様かそれ以上に大事な訓練だと思います。

          返信
          1. franoma

            流石、翠雨先生は、お判りになりますね。実は、私の父母は揃って肋膜炎( http://bit.ly/1shRmiP )をやっている縁なのです。どういう縁かというと、当時は、「死ぬ思い」という縁なのですね。イマドキは、肋膜炎で死んだりはしませんので、実感が湧かない人が多数派だと思いますがね。当時は、気胸くらいで大変だったのです。

          2. wpmaster 投稿作成者

            主訴ではなく、ときどきちょこっと目にする程度ですね。

          1. 翠雨 投稿作成者

            身体表現も写生ですね。
            ロープは信用できるって学んだんです。

            世襲制の家に生まれて(先生は一流)、毎日お稽古していると、ものにならない子はいないそうです。
            絵も歌も踊りもやらなくなるとおヘタになりますね。
            薬漬け医療に加担するひとたちの臨床能力も同じだと思います。

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