絵本「たべてあげる」がトラウマ級に怖いとTwitter騒然だそうです。
この現象が起こった背景を分析してみました?
お金も権力もない子どもたちは
日々
「好き嫌いは駄目?」
(…?…)
「残しては駄目?」と言われて
理不尽な状況をどうしたらよいのか
生きるために頑張って考えています。
そんな哲学的実践活動の参考になるのが
この本です。
人間は
内的には多重人格ですから
「食べたくないなぁ」と困惑すれば
「食べなくていいよ」という
内なる声が聞こえてくることもあるでしょう。
食べたくない気持ちは
ほっとしますね。
でも
ここで考えるのをやめてしまうと
問題がこじれて大変なことになることを
この本は教えてくれているわけです。
本を読んだ孤独な子どもたちは
そういう架空のお友達の事例を参考に
自分はどうするとよさそうか
自分の頭で考え続けるようになります。
答えなんか要らないのです。
考え続けられる人間になるために
本や学問や心理療法というものがあるのですから。
ユング心理学では
個性化の過程=自己実現と言います。
好き嫌いをする子=発達障害
ピーマン嫌いな子=アスペルガーと書きそうな勢いの
DSM10でも参考にしているのかと思われる
専門家による
「発達障害です」「コンサータ呑んで下さい」=ゴールの選択は
その二番煎じの
適応論と呼ばれ
「食べてあげる」おばけ?と同居する人生を選ぶことを意味します。
お化け屋敷ですから
今後もお化けは出放題ですよ?
内なる声に呑み込まれてしまうことを
精神分析では
「抑圧」と言います。
抑圧したまま生きるということは
「影」を育てることになりますが
そういうことを教えた物語は
図書館にたくさんありますね。
食べる=受け入れるということですから
「食べろ!」「食べなさい!」と言いながら
メタボのパパやママも
実はこの問題がまだ解決できていません。
なので子どもに
自分が生きられなかった影を
過剰に託すのでしょう。
「影」の行ってきた悪行をなかったことにしようとする
スクールカウンセラーに
知らないところで無断で実名をさらされたブロガーさんもいますよ。
(心理療法には
時空を超えて
親子問題が持ち込まれますからね)
食べるか食べないか
影をどうするかは
誰にとっても
他人事ではない問題です。
だから話題になっているのでしょう。
平成の怪談です。
確かにコワい
日本を覆っている「影」に関する絵本なのでした。
記事にあるように、
「お金も権力もない子どもたち」である姪や息子は、
「理不尽な状況をどうしたらよいのか
生きるために頑張って考えて」、
肉食系の姪と草食系の息子が
バーター取引をしていました。
祖父にあたる私の父が姪に「大きくなるには、もっと野菜を食べたほうがいい」と言うと、姪は、生きるために頑張って考えて、
「もう大きくなった。これくらい大きければ、あれもこれもちゃんとできる」
と言い、祖父が「もう少し大きくならないと大人になったとき困ることが多い」と言うと「そうは言っても、この頃、お野菜も高いでしょう?」と言い、祖母が「それくらい買うお金はあります」と言い、私は何も言わず、姪が好きな肉団子やハンバーグ、餃子などに大量の野菜を入れていました。幼児でしたが料理には興味があったので、例えば人参を輪切りにして姪に渡し、姪にハサミで千切りにしてもらい、キンピラにしたりしました。そのときは、「この人参、〇〇(←姪の名)が切ったの〜」とか言って、喜んで食べていました。
ベランダ菜園には、ミニトマトやカラーピーマン、ハンガリーから種を持ってきてもらったパプリカを作って、息子が世話をして息子は勝手に収穫してオヤツにしていました。姪も自由に食べて良かったのですが、食べず、青いミニトマトを採って「ママにあげる」と言って、持って帰りました。青いトマトは食べられないと言われたのでしょうか、兄が祖父母の家に持ってきて、仏壇に供えました(←?)。
実は、青いうちに摘果して実を減らし、残したトマトを大きく育て、青いトマトはフライにして食べるのは、アーミッシュの料理ブックに載っていて、結構、有名ですね。ペンシルベニア州に面接に行ったことがある私は知っていました。兄夫婦もペンシルベニアは兄の研究で行っていたので、青いうちに摘果したトマトの食べ方は知っているかと思いましたが、知らないようでした。仏壇に飾ったのは、どういう意味があるのか不明だったので、どういう意味なのだろうと今でも時々、思い出します。しかし、「どういう意味があるのか」問わないのは、答えは「なんとなく…」に決まっているからです。
アーミッシュといえば、私の元配偶者も随分、興味を持っていましたが、そのことを当人の人生にプラスにすることはできませんでした。
2015年、ツイッターでは、私は、アマゾンの Kinde で
“Tears of the Silenced: For the silenced victims
…An Ex Amish abuse survivors courageous true story”
なる電子書籍を著者自身から自薦されました。多くの人々が、宗教があるからPTSD現象が起きると勘違いしているため、私がカトリックを棄教しさえすれば、万事がうまくいくのではないかという妄想を抱くようです。おそらく、くだんの西洋白人女性心理職の大学人ご夫妻のご主人のほうが「悪(=映画監督)を持って悪(=私)を制す」と私に仰ったのも、そういう短絡した考えからなのでしょう。そうして、奥さまのほうが愚息に「隠れ虐待」を実行し、愚息と私の夫にセットで攻撃的な心理操作を加えて思いどおりにしようとなさったことは、
「お金も権力もない子ども」に対する直接的な暴力であり、完全犯罪かつ人道上の罪でした。芦田氏と仰るハイデガー研究者がおいでなので、氏は、そういう人道上の罪に対して「やられるバカが悪い」と切り捨て「ほら、だから発達障害でしょ」と仰り「騙し討ちにされる可哀想な日本人は安楽死にしよう。自殺幇助も商売になるし…」という立場を取られるでしょうか?「騙し討ちにされてキレる前に自殺しなさいよ。それが尊厳死でしょ」という立場を取られるでしょうか?
愚息は、小学校に入ったとき、人参の香りがしない変な人参や何やらが入れられたサラダに「オーロラソース」をドバッとかけたものが気持ち悪くて食べられませんでした。それまで、いいものを食べて育ってしまったためです。それで、息子と話し合って朝ご飯を減らして「お腹が空けば味は二の次!」という状態にすることにして、何とか切り抜けました。しかし、切り抜ける前に担任が「あなたたちが給食を残すからアフリカの子どもたちが飢えて死んでいる」と言って罪悪感を植えつけようとしました。そういう教室の独裁者に対して、「権力もない子ども」の一人であった愚息は、
「給食を半分にして、残りの半分は、先生がアフリカの子どもたちに届けてください」
と本気で言いました。「哲学的実践活動」です。
「『食べたくないなぁ』と困惑すれば
『食べなくていいよ』という
内なる声が聞こえてくることもある」でしょうが、
困惑から無駄に悩まないように、哲学をするのが大事ですね。宗教があるから「被害者」が出ると短絡するようではダメです。大人も子どもも
「『べし』は『できる』を含意する」( http://bit.ly/2ozjBIO )
という哲学のテーゼの意味を考えないとダメですね。
そうして、
「『食べたくないなぁ』と困惑すれば
『食べなくていいよ』という
内なる声が聞こえてくることもある」お子さまに虐待を加えては、ダメです。
霊感商法で児童精神科に誘導する精神科医の餌食にするのは困りますね。
佐世保事件( http://bit.ly/SaseboJiken )に知らん顔し、
さらにPTSDと口先で言いながらジブリの音楽などを悪用した「霊感商法」で子どもたちを精神科に取り込んだのが宮田雄吾医師
http://mendusa2.seesaa.net/category/21873216-1.html
のようですね。
世界中でなされる倫理のない心理操作=「人道上の罪」をやめさせる必要があるのです。
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12152173175.html
関連記事1:
『人類史レベルの「人道上の罪」に無頓着な大学人を糾弾しよう。』
http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12145857168.html
アベ政治の独裁&棄民政策を実践できるように
行政権の主体たる国家がナチスのような独裁政治を行えるように行政法を変更するのですね。
被害の隠蔽、
被害者の差別、
被差別者の棄民(=被差別者の使い捨て)の3つを実践し、
PTSDを蔓延させて、人心が荒れるようにするのが彼らの狙いです。
「女性の悪用」( http://urx.mobi/xMyc )によって
行政法( http://urx.mobi/xMy6 )を「おしゃれ」に変えては困ります。
大学の悪用ができてしまいますね。
関連記事検索:安倍晋三氏と河井克行氏が無視したS先生を
無視した学術出版社は、
S先生を無視した本
http://urx.mobi/xMuu
を出されました。いつの間にか社長交代していますね。
原爆PTSD否認によって、「日本人オーバーキル」を進めてしまう人たちを野放しにしてはなりませんね。
押しつけではなく、自分の心身と適切な会話ができるように見守る立場が必要だと思います。
頭で食べる人は、人間関係もうまくいかないので、おなかで考えさせることはとても大事ですね。
キリスト教でも何でも、結局は同じなので、何らかの宗教に触れることは必要だと思います。
何かないと比較もできませんしね。
連投、失礼して、補足です。
PTSD予防&克服は、人類全員の深層心理まで潜れば「文化依存性」はありません。犬猫レベルの高等な動物全員とも一緒にPTSD予防&克服ができるでしょう。しかし、例えば母語や風土に依存して文化は育ちますので、何が象徴になるかは「文化依存性」があります。数学は最も「文化依存性」が少ない学問なので、数学リテラシーは誰しもが持っていて損にならないリテラシーです。読み書き算盤のうち、算盤に関係することですね。
記事にお書きの
「答えなんか要らない」というより、
数学の授業中に、
(1)生徒が「先生、これで合っていますか」と「質問」したり(←お子さまは考えるのをやめている)、
(2)先生が「お前らバカだから考えるのは時間の無駄だ。覚えろ」(←お子さまに考えさせず、「傾向と対策」をさせて学力偏差値をあげて適応させることを目指して、お子さまの数学リテラシーは壊滅的なダメージを受ける)…
というような実例があるそうなので、
考えることをやめて
「正解」(←「権力」からお墨付きをいただける)ようにして
医療・福祉のハズが
安楽死という自殺幇助を商売にすることが西洋白人たちの先進国がやり出しました。あれ?…ヒポクラテスの誓いって何?…ということになりました。
ここがマズい訳ですね。
そういうことだと思います。
権威的な正解にしか興味が無いなら、餌食にされるだけです。
たくさんの示唆をいただき、ありがとうございます。
おかげさまで、言葉にできる部分も増え理解も深まります。