日本独特の妖怪である
河童や座敷童子が出てくる
遠野物語は
東北の貧困から生まれた
物語であるとわかりました。
もともと
稲作の北限地だった遠野での
米の生産性は低いうえに
冷害が拍車をかけ
収穫量が少なくなっても
年貢は
画一的に徴収されたので
百姓一揆の数も全国No.1となります。
しかし
お上に勝てるわけはないので
子殺し
娘売り
姥捨て山は
当たり前でした。
そんな状況で
人々のこころが
傷つかないはずはないでしょう。
戦争に行かなくても
死ぬような恐怖に該当します。
遠野で行われた
PTSD予防は
(こころのケア)
哀しみの事例を語り継ぐことと
(遠野物語)
表現することでした。
(五百羅漢等)
飢餓で亡くなった人たちは
悟ったわけではありませんが
大変な艱難辛苦を生きました。
(自己実現のパスポートは得ています)
羅漢像を見て
こころを動かされる人が
(同じ傷を持った人は
否応なしに動かされる)
自分のまきこまれた
理不尽な艱難辛苦が
普遍的なものであることに気づき
勇気を得て
精進し
成仏(自己実現)できるように
そういう象徴性が見えない人たちには
ただ
唐突で奇天烈な
統合失調症的な
つまり無意味な
物語に映るような
足跡を残してくれたのだと思います。