絡まれる人1には
私のなりすましまで湧いてきて?
自作自演の場外乱闘
「風の歌」の意味も自ずと判明します。
絶対の絶望と絶対の表現と言えば
正法眼蔵【祖師西来意】しかないでしょう。
大事な原理なので
ジブリも
如人千尺懸崖上樹として
『崖の上のポニョ』で
百尺竿頭として
『借りぐらしのアリエッティ』で
アリエッティを竹の上に立たせ
ひょいと飛ばせました!
『かぐや姫の物語』で
ポニョのように崖の上から飛ばせ
自己表現させます。
繰り返し表現しました。
「祖師西来意?」は禅の公案ですが
あなたは誰かと訊かれ
応答しないのはマナー違反だが
常識的な答え方では
落命してしまう。
気がつけば
絶体絶命の場に
模範解答はこちらです。
集合的無意識を鑑みて
「ねずみ」のように足元を掘り続けて脚下照顧
自己表現するということですが
ジブリは追い込みの時
チンチロリン(風鈴)戦法だ!と気合を入れるらしい。
まずは
風鈴のように
風を感じる必要があり
浜田省吾『風を感じて』はこの頃か?
「片手(隻手)」の声を聴けなんて
片手で拍手なんて無理でしょう!なんて言えば
即退場です。
公案も一緒くた(一即多)になって
「風の歌を聴け」になったのではないかと思います。
チンチロリン戦法ということで、こちらに書きます。
チンチロリンは、風鈴であると同時に、
どんぶりにサイコロを振ってやる庶民の賭け事(←違法)でもあります。
安倍政治では、庶民に博打を打たせようと躍起になっていますね。阿漕なことです。
まだ、承認されるか不明ですが、
https://ameblo.jp/amanomotoyasu/entry-12329767195.html
に、以下のコメントを投稿しました。
仰るとおりですが、
「誰の子どもも殺させない」
という人類レベルで合意形成ができ、また、人道的には、そうすべきであるのに、真っ直ぐ追求できないのは、
共産党の中澤さんがバカだからなのです。
構造的暴力を無意識化しようと頑張っている教育社会学者=東京大学の本田由紀教授が跋扈するようでは、お先真っ暗ですよ。あのようなモラルの低い人を擁護しているから、
「誰の子どもも殺させない」
という普通の人の願いが真っ直ぐに目指せません。
早瀬洋子さんという小児麻痺で24時間介護が必要な女性が立教大学の近所にアパートを借りて猫を飼っていました。彼女の母親は薬剤師さんか何かで(←うろ覚え)働かなければ生活できなかったので洋子さんを施設に預けたのですが、施設では毎日、天井を見ているだけ、尿意も便意もあるから「トイレお願いします」と言って連れて行ってもらえれば排尿も排便もできるのに、オムツをして放置されていたそうです。そういう非人間的な人格無視に洋子さんも支援者も当然、反対だったので、生活保護を受けてアパートを借りて、介護者が交代で24時間介助するようにしたのです。そこに島田光久さんが介護者として入り、私も誘われて入ったのですが、腰を痛めてやめました。そのあと暫くして洋子さんは吐瀉物を喉に詰めて落命なさいました。気道の確保も出来ない介護者が死なせてしまったのです。島田光久さんにとって、そのことは大きなトラウマだったハズなのですが、みさと協立病院は看過して、島田光久さんを「うつ病」ということにして入院させた後、「これ以上、よくならないから実家に帰って、身の振り方を考えよ」みたいな助言をして故郷に帰しました。その後、処方薬が徐々に効かなくなって、本人が勝手にアルコールで服薬するようになり、ある時(死ぬ気はなかったのに)落命しました。つまり解離性不注意による不本意な死なので、未治療PTSDだったのです。中澤医師が口先だけPTSDなんて言うのがダメだという実例です。ああいうバカがいるから
「誰の子どもも殺させない」
という誰にとっても人道的な道を目指すことができません。
中澤医師には、バカが治るように反省していただかねばなりません。
どうも、お邪魔しました。
===コメント内容おわり===
興行は博打でもありますからね。
しかし、自己実現する人は、頭のなかでの博打にすべきで、行動化してはダメですね。
確かに、よく間違う人がいます。
うつ病と診断されていても、ほんの少し話を聴けば、こういう物語に遭遇するんですよね。
誰の子どもも殺させないために、誰もがそんなお話を聴く世の中になってほしいです。
ネットストーカーの手口について、解説しておきました。
博打で思い出すのは、
https://www.google.co.jp/search?q=%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%95%8F%E5%8F%B2
こちらの映画監督です。かつてはペンネームを使って映画評論をなさっていたようですが、
あるとき映画監督をやるということで、ご本人が「大博打」だと仰るので、私は、そんなものは博打のうちに入らないと言いました。そのあと、ご本人が何を思ったかは存じませんが、ともかく映画監督になったのです。めでたし、めでたし。
特に年賀状のやり取りをしたわけでもないので、ネット上でお見かけしたときに、たまにやり取りしたことがあっただけです。
『筋の通らないことは、庶民から国際的に支持されない。』
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12019114326.html
にツイートをまとめておきました。
ところが、何だか静かになったなあと思っていたら、
ツイッターアカウントを凍結されていました。…orz
言論弾圧ではないかと思いました。
ちなみに、倒壊大学の文学部サーバーを流用したメーリングリストで交流分析を行い、メンバーの心理的弱点を把握して集団ストーカー行為を組織していた西洋白人女性心理職ご夫妻ですが、私が参加する前のターゲットは上述の映画監督でした。私がメーリングリストに参加したとき、私もご夫妻がなさる心理操作に参加するよう誘われたので、明確にお断りし、そんなことをしていると死人が出ると警告しました。そのあと、私がターゲットにされたのです。このことを知っているのは私一人なので、何が何でも私の被害妄想ということにして社会的に抹殺しようとしています。
http://ptsd.red/2017/11/19/%EF%BC%83%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BF%83%E7%90%86%E8%87%A8%E5%BA%8A%E5%AD%A6%E4%BC%9A-%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E9%96%8B%E5%82%AC%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E7%B7%9A%E3%81%A7-ptsd%E8%A7%A3%E9%9B%A2/#comment-14704
のコメントに出てくる倒壊大学です。
関連して、
『「オーバーキル」が続く米国』2017-11-20 18:22:40記事
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12329052629.html
にも「オーバーキル」( http://bit.ly/2ypiDn7 )と
PTSD否認( http://bit.ly/deniedPTSD )は、セットで進められています。
…と書きました。今朝、
公式ハッシュタグランキング:ロサンゼルス55位
に、なっていました。米国本土ともに日本でも
http://bit.ly/DSMfaction
が終わりになることを祈りつつ。
フクシマの「無人地帯」を撮ったら、監督の周囲が無人地帯になってしまったようですね。
前兆として、メーリングリストで狙われていたようですが、ターゲットにされたお二人から、心理職のコンプレックスがなんとなく浮かび上がっているような気がします。
大学を倒壊させてでも守りたい執念とは、恐ろしいですね。
前のコメントに補足です。
https://ameblo.jp/amanomotoyasu/entry-12329767195.html
に、中澤医師がバカなのを反省して治せというコメントをしたところ蒸発しましたが、
以下のコメントは投稿できました。アメブロさん、ありがとうございます。
2. Re:マルクスの視点
>つなしくいちさん
傍から失礼します。
「資本論は未完で特に特に産業恐慌の原因は分析なし」
誰もできていないので、何故かフランスの地震学者がcatastropheとして数学的に記述しようとしたり、日本では
滝田洋一『今そこにあるバブル』(日本経済新聞出版社)
が出されたりしています。つまり
(1)「資本論は未完で特に特に(ママ)産業恐慌の原因は分析なし」で
「資本論は未完」であることは、マルクスを批判する根拠ではありませんね。
(2)「レー二ン」(ママ)これは「レーニン」で検索されたときにヒットしないように細工なさっていませんか?
レーニンの偉いところは、国民の大半が農奴であったロシアに、中小零細業者を自由に起業させたことと、領土的な野心を持たずアラスカを米国に売ったことでしょう。アラスカ原住民は、土地がソ連のものであろうと米国のものであろうと、その福利厚生には何ら影響しないので、全然、気にしなかったでしょう。
(3)「経済は語源の通り家計の法で政府は倹約して家計を豊かにする法制を案出するべき」という発想は、
“Dictionnaire historique de la langue français” (Alain Rey 監修)の
“économie” の項を見るとでてくるものですが、それだけだと経済体制をどうするのがいいかは決まらないことに気づきましょう。
実は息子がまだローティーンの頃に、自分は共産主義なのだろうか?と自問していたので、普通の日本人庶民は「おむすびころりん」の哲学で生きているだけで、それだけでは経済体制をどうするのがいいかは決まらないことに気づきましょう…と教えてあげました。
話は戻って、合理的に民意が反映される経済体制に持っていくには、構造的暴力の源になるところを無意識化してはならないわけです。そこで、ブログ主さまが「無意識化」されているところは、現状、どこであるか?…を考察して提示なさっていることは、まさしく「空想」(=ユートピア構想)から「科学」へを実践することゆえマルクス・レーニンの続きをやっていると言えるのです。
あ*
2017-11-21 11:25:17
===コメント内容おわり===
ちなみに、私の両親は、新嘗祭に結婚式を挙げて、父は、(私の誕生日は自由の女神の除幕式の日だと何度、教えても記憶が治らず)私の誕生日は11月23日だと思い込んでいました。そちらは結婚記念日ですが? テキトー…orz しかし、新嘗祭であることが大事なのだそうで、勤労感謝の日ではダメだと申しておりまして、そちらは正論かと思います。勤労するのは自分たち普通の庶民なのに、勤労に感謝して一体どうするんだ?勤労と納税は(社会参加の)権利であり義務だ、税金の使い途は国民のためでなければならず、税の公平性を追求することは地球市民の(公民としての)義務だという意見です。そういうわけで、我が家では、11月23日は新嘗祭なのでした。勤労者が自分の勤労に感謝しても???筋が通らないというのは「おむすびころりん」の哲学で生きる日本人には当然ではないかと思います。
また難しい場所にも、ご出没で…(。・・。)
しかし、「金融政治経済研究家の天野統康が、世の中を動かしている金融システムの情報を中心に、政治、経済、社会、生活、思想、文化などについて書いていきます」とのことで、人の心理が経済を動かしていると考える立場としては、興味深いです。要するに「おむすびころりん」なんですよね。複雑なお話をわかりやすくしていただきましてありがたいことです。
早いもので、もうすぐ新嘗祭なのでした。
「人民」という言葉も、翻訳でしょうが、感覚的にはまだしっくりこない言葉で、「朝鮮民主主義人民共和国」なんて、もう意味不明です(+_+)
あちらで、人民と訳されている言葉は、農奴くらいの意味だと、さっき小耳にはさみ、腑に落ちました。