日本人にとって
「戦争で焼けた」と言えば
第2次世界大戦(太平洋戦争)でしょうが
京都人にとっては
「応仁の乱」だそうです。
祇園祭は
応仁の乱が起きた1467年から
33年間も途絶え
第2次大戦による山鉾巡行の中断は
4年間だけ
京都市考古資料館の
山本雅和副館長(53)によると
本当は
「蛤御門の変の方が
1864年
京都の街は焼けた。
『どんどん焼け』とも言われ
これとの関係は不明?
大火の印象が強いからですかね」とのことですが
こういうことは
得てして感覚的なもので
こころのケアにとっては
主観が重要になります。
祇園祭がどうとか
文化的に破壊されたことが
(アイデンティティ)
意味をもつのでしょう。
なにはともあれ
本日は
応仁の乱の事実上終結から
550年だそうです。
トラウマは、人類史レベルのスパンで考えねばなりませんので、
記事にお書きのとおり、京都の人には応仁の乱くらいまでは考慮に入れないと話になりませんね。
このことを人類レベルの常識にすることがPTSD予防の研究に有効でしょう。
拙ブログ記事
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12336658213.html
に、ごちゃごちゃ書きましたが、一体、どれほどの人が理解なさるものかは不明です。
理解してもらえるか考え始めると…、気が遠くなりますね。
「京都の人」の性格もトラウマからというのは、あまり言われていないような。